古明地さんの発祥地に行った話
備忘録
東方のオタクで苗字のオタクです。
先日、古明地という苗字の発祥地に行ってきました。が、特に大きな情報は得られなかったのでこっちでまとめます。せっかくなので記憶が薄れる前に日記形式にします。また行くとき交通手段とか書いとくと便利なので。
※観光地でもなんでもない一般の集落なので諸々お気をつけください
事前情報
東方好きからすると古明地と聞けば古明地さとりと古明地こいしの姉妹がすぐに浮かぶでしょう。古明地姓は実在し、全国に600人ほどいる苗字です。ZUN氏がこの苗字を選んだ理由は謎多きところですが今回は触れません。
インターネットとは便利なもので、古明地さん自身による家の由緒を書いたサイトがありました。
どうやら山梨市牧丘町にある在華集落が発祥であること、明治になって生まれた苗字であることがわかりました。
続いて、農地ナビで在華の小字を探しました。
あらかじめネットで検討をつけた範囲を見ていくと、小字としては「在家道西」と「在家道東」になっているようです。上記の古明地さんの話でも明治初期まで「在家」と表記していたとのことなので、かつての表記のまま台帳には載っているのでしょう。道西や道東というのは字の通りで、集落の中心を南北に走る道の西側が「在家道西」、東側が「在家道東」になっていると思われます。
しかし、なぜ古明地という苗字になったかは謎のまま。日本の苗字の大半は地名由来と言われてるのですが、肝心の地名もなし。とりあえず現地の在華集落に行ってみたいという思いがありました。
山梨県へ
前日、文献調査
今回の旅程は、甲府に前日入りして翌朝在華まで向かう計画でした。午前中に集落へ行くには、JR塩山駅から朝8時台のバスに乗らないといけなかったためです。甲府駅近くに県立図書館があったので、古明地姓の情報がないか、ついでに本を探してみました。
『牧丘町誌』牧丘町誌編纂委員会 編
学校職員などのいくつかの名簿で古明地姓を発見。『山梨苗字考』中澤忠雄 著
山梨県の少数派苗字の例の1つとして古明地が挙げられていました。名簿系の史料ごとに登場する苗字もまとめてありましたが、古明地の文字は江戸時代までのものでは見つけられず、明治の史料で初めて出てきました。これは明治になって生まれたという事前情報とも一致します。『山梨県姓氏歴史人物大辞典』姓氏編纂委員会 編
「地名は古地名で、古い名田があった所をいう。」との記載がありました。古い名田のあった地で古明地のようです。字は違うけど許容内。例として載っている人名もやはり明治の人物でした。
本当に明治になって生まれた苗字っぽいということ、古地名が由来であることが分かりました。今回得られた最大の成果です。
いざ、在華を目指し
ホテルから駆け足で改札を抜け、朝7:52の甲府駅発高尾行に乗り込みました。20分もするとバスの出る塩山駅に着きました。山梨市民バスに乗り、窪平で乗り換えて在華最寄りの横道停留所で降りる計画です。しかしいきなりアクシデントが起こります。
バス停の場所が分からない!
バス停があるのは南口ということは事前にストリートビューで把握してたのですが、肝心の目的とする行き先のバスがどこから出るか分かりませんでした。窪平方面行を探して乗り場の時刻表を見るのですが、どこにも載っていません。
ロータリーをうろちょろして北口まで確認するなど迷った挙げ句、南口の行列の先が当該のバスだと分かりました。
当日はGWの真っ只中、しかも晴れるのは今日が最後というときで、登山装備を整えた人たちがバス待ちの列を成していたのです。
登山するには軽装すぎる人物が後ろに並んできたのでスニーカーを履いている足元を明らかに見ていました。
バスのサイズに対して人数が多いという不安はあったものの一安心して並んでいると、定刻の8:25になってバスが出発していきました。
え?
いやまだたくさん人は並んでいるんだけど????????
おそらく登山客は別のバス待ちだったようで、数人の地元民を乗せて窪平へ向かっていきました。次に窪平へ行く便は13:50です。即座にタクシーで先回りする案が頭をよぎりました。
帰りに分かったことなのですが、窪平へは山梨市民バスだけでなく山梨交通でも行けたようです。こちらは便がちょっと多め。
そんなことは知らないので北口のタクシー乗り場へ走ります。
「くぼひらまでどのくらいかかりますか?」
「あーくぼだいら、ね。10分ぐらいで着くよ」
車内では運転手さんに窪平以降の目的地を尋ねられ、集落に興味があり特に在華集落を見たいという話をしました。間違ってはいない。
あと「西保(にしぶ)」を「にしほ」、「在華(ざいけ)」を「ざいか」と言ってたので合計で3回ぐらい地名の読みを訂正されました。文字でしか見てないから難しい!
たまたまタクシーと山梨市のバス委託業者が同じ会社だったようで、窪平に着いてからどの便に乗り換えるべきか丁寧に教えていただきました。次の便まで約1時間……。
窪平を散策
時間もあるので周辺を散歩してみます。
東方を知らなければ「馬刺しあります」の看板から甲斐の黒駒を謳われた馬産地としての山梨を連想できなかったでしょう。
この交差点は洋風でノスタルジックな店舗が複数ありました。地域の中心として往時の賑わいを感じます。
在華集落へ
9:27の窪平発洞雲寺行に乗車しました。マイクロバスはぐんぐん山を登っていきます。10分ほどで目的の横道停留所に着きました。
タクシーの運転手さんに西保郵便局の右手にある道を上がればいいと伺っていたのでその通り進んでいきます。
郵便局は面白い外観をしていました。この辺りの建物の直喩でしょうか。
答えはすぐに分かりました。
バスの通る道を外れて上っていくと、写真のような蔵がいくつもありました。漆喰を使ってない土壁のままなのが良いですね。
到着
さて、そうこうしてるうちに……
在華地区へ着きました!!!!!!うおおおおおおおおおおおおお
在華公民館!!!!!!!!!!
……情報としては以上になります。理由としては、
古明地は地名ではないため神社や公民館に古明地の文字が無い
古明地と書かれた表札は数軒見つけたが写真は撮っていない(撮るべきではない)
日和って住民と話していない
からです。それでも公共交通機関だけでアクセスできると分かったのは大きな意義があったでしょう。
もう少し古明地姓の由来について情報が得られたら同人誌にまとめるかもしれません。
帰路
1時間程滞在し、来たときの反対で横道から窪平へのバスに乗って、窪平からは山梨交通のバスで塩山駅まで戻りました。そして翌々日の例大祭に向け中央線で都内へ……。