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タイ終わり


タイにいる間、楽しいことがたくさんあった。友達に話したくなった。これ、ツイートたら誰か反応くれるだろうか、っていうことも色々あった。でも、何をどこまで言いたいのか言うべきなのか分からなくて結局やめた。どうしたら丁度良く自分を見せられるんだろうと思った。歩きながら考えたけどやっぱり分からなかった。一人でいるのに、めんどくさかった。
 

誰とも喋らず1週間ずっと日記ばかり書いていたなんて、変なことなのだろうか。あぁ、こんなこと気にしたくない。飛行機の中で、鬱々としていた。東京に帰って再び始まるいつもの生活が億劫に感じられた。隣の席の、ブランド品に身を包んだ女の人の横顔が、太陽に照らされていた。なんだかそわそわした。社会の大きな流れにちゃんと乗っかっている様を見せつけられている気がした。

誰から言われたことにただ従うだけになるのは嫌だ。でも、そんな我がまま貫こうとしたって、自分に力がなかったらご飯は食べられないだろう。学生じゃなくなったらどうするのかって、考えたら分かるかも、なんて思ってたけど何も変わらない。
仕事についたら1週間どこかに行く自由もなくなるんだろうか。だんだん近づくであろう青春の終わりを呪った。
  

 
着陸前、5歳くらいの男の子がずっと泣いていた。吠えるように泣いていた。私も、着いたときには泣いてしまった。降りる列に並んでいるときでさえ涙が出そうで、堪えた。行きに飛行機に乗ったとき、帰って来れなくなるかもしれないと思っていた。幸せに帰ってる場面、あんまり想像してなかったもの。お土産を買う場面も。運が悪ければ大変なことになる所に行った時、しっかりできるのか、タイで試すつもりであった。

命の危機を感じていればミスはそんなにしないってことが分かった。凄いじゃん自分。お腹を下したのも、たった一度きりだ。コンビニで紙パックのドリアンジュースを買ったときだけだ。

実は、母には友達と旅行に行くと言っていた。絶対に止められると思ったから。黙っておくつもりだったけど、帰ってきた次の日の夕飯時には言ってしまった。母が大学1年生の時に一人でアメリカに行ったという話をし始めたからである。母は大学1年生、18歳。私、今、20歳。それなら、タイに行ったことくらい許してくれるだろうと思った。自慢したい気持ちもあった。

本当は一人で行った、と言うと「一緒に行く友達もいないの!」と怒られた。ズレたところで怒り出したので、心の半分では許してくれていた気がする。でも、「母は恥ずかしい」とまで言われた。うーん、ごめんなさい。でもそこまで言わないでも良いじゃないかと思ったり。

ブログにタイの出来事を書いたから見てもいいよ、と言うつもりだったけれど、あぁ、こんなことを書いたら、やっぱり見せられないな。


 
東京にいると、なんでも整いすぎていると感じる時がある。整ってないものが排除される、そんな空気も。
そうは言いつつ、私は東京に住んでいる。私はドリアンもサソリも怖くて食べられなかった。
破天荒な人に憧れる。

ブログの最後はきれいにまとめて終わりたかった。でも、旅に出たって、何かの鮮やかな答えが出てくるわけではないのだから。劇の人物ではないのだから。私を助けてくれた人やモノに感謝しつつ、正直にこのへんで。(了)
 

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