空が鳴っていた
タイA-3
1日目、お寺が点在してるエリアを歩いた。当たり前ながら、次のお寺に着くまではその全貌は分からない。スマホではなく、『地球の歩き方』掲載の地図を見ていため、方向が合っているのかもよくわからない。よくわからないタテモノを目指してよくわからない道を歩く。その上、日差し対策のアームカバーとネックカバーのせいで物凄く暑い。タイの道なら、日本で道を歩くより確実に楽しいはずであると予想していた。しかし、歩き始めて6時間もすると、暑さと歩き疲れで、内心愚痴をこぼしてしまったのだった。
そもそも私は、観光で外を出歩くことが好きではなかった。歩き回るくらいなら家で本を読むなどと言い、よく親戚旅行も行き渋っていたくらいだ。だから、元気を出すため、RPGのプレイヤー(主人公のキャラクター)になった気になることにした。
次のスポットにつくまで、自分の方向選択を間違えると、別のダンジョンに行ってしまうかもしれない。進んだ先で予想外の条件を提示されて引き返すことになるかもしれない。でも、もしルートが分らなくなったら、街人に尋ねることで解決するかも。そう思ったら、楽しく歩けた。
ワット・アルンという寺が最も印象に残っている。高さ75メートルもある仏塔が境内の中央にたっている。塔の側面の階段をのぼり中腹から街を見下ろすと、3時間前に歩いていたエリアまでもはっきりと見渡せた。中央の仏塔と、四方にある小仏塔の上部には、銅製の鈴がいくつも取り付けられていた。風が吹くたびに頭上から小さな鈴の音が何重にも重なって聞こえてきた。曇り空に蓋をされたようだった街に風が吹き渡っていたことに、その時気がついた。なんでも出来るような気分になった。
1泊1500円の宿までは、ほぼ街灯がない、犬が出てきそうな道を突破しなくてはならなかった。その日最後の難関だった。タイの犬に噛まれると大変なことになるらしい。道の端で眠っているかもしれない犬を刺激しないよう、静かに全力で小走りした。大通りから走って3分程度だったが、汗だくになっていた。
もし、虫だらけ、おんぼろ宿だったらどうしよう、という不安があったが、ブッキングドットコムという宿泊サイトの「良い」、「清潔」との評価は納得のものだった。紅茶とコーヒーとバナナクリームのクッキーを、無料で提供してくれた。Wi-Fiも使い放題だ。その上、部屋に閉じこもっていても誰にも何にも言われない。寝るまでにやらなくてはならないことのプレッシャーもない。天国だった。
シャワーで汗を全部流して、クーラーをガンガンにかけた部屋で熱いストレートティーを飲み、ベッドに寝転んだ。ベッドの上でユーチューブを流しながら日記を書いた。久々にスガシカオを聴いた。観光も良かったけど、その日一番幸福を感じたのはその時だったかもしれない。
折角のフリーWi-Fiだったので、ラインで友達に電話を掛けてみた。
電話は簡単に繋がった。タイでココナッツの汁を飲んだことを自慢した。1日半ぶりに声を出して笑った。「さびしくないの?」と聞かれたけど、さびしくはなかった。本気でさびしかったら、電話はしない、きっと。