【第4話】コスプレイヤー、異世界で悩む
荘厳な鐘の音が三つ鳴る。
その音を合図に広場に待機していた音楽隊が、一斉に演奏を始めた。
ドレスのスカートを大きく膨らませて、エスコートされた乙女たちが初々しくステップを踏んだ。
ウーヤ
「……ふぅ」
珍しく、ウーさんは緊張しているように見えた。濃いめの化粧で誤魔化そうとしたのだろうが、誤魔化しきれていない。
でも私だって人のことを言えない。指先が冷たくなって震えている。
私
(でも、仕方ないよね)
この舞踏会を制するものが、メルクリウスになる。
泣いても笑っても今日の結果で、すべてが決まるのだ。
ルス
「ついに始まりましたね」
私
(なのに、ルスさんってほんといつもと変わらない……)
綺羅びやかな正装に身を包んでいるのを忘れてしまいそうなほど、ルスさんの立ち振舞いはいつも通り自然だった。
まるで、着慣れているとでもいうようなほど、微塵も緊張を感じない。そして相変わらず、感情が読めない。
対して、いつもどんな服でも着こなしているはずのウーさんが、今日ばかりはしっくりこない。
服のサイズもデザインも、ぴったりのはずなのに『服を着せられている子供』のような違和感が拭えなかった。
私
(まぁ私が言えたことじゃないか)
(あんな服、絶対着こなせないもん……)
ルス
「大丈夫です」
「私たちが作った服は、可愛いですから」
私が不安を隠しきれないでいると、ルスさんはそっと微笑みかけてくれた。
ウーヤ
「そうだ。俺たちの服はすーぱー可愛い!!」
と笑うウーさんは、空元気も良いところだ。
エラ
「……ウーってば、ひどい顔ね」
「でもまぁ今日の主役は彼じゃないし。本番は、皇太子がこっちの広場に来てからだしね」
私
「エラさん!」
苦笑いをしながらも、指摘せずにいると、支度を終えたエラさんがこっそりと私に耳打ちした。
エラ
「待たせてごめんなさい。準備に時間がかかってね」
私
「終わりましたか?」
エラ
「バッチリよ!」
エラさんはグッと親指を立てて、凛々しい男前な微笑みを浮かべた。
私
(これで、やれることは全部やった!)
私はエラさんと一緒に頷き合った。
エラ
「でも、あなたもずいぶんと緊張してるわね、スイ」
「一曲踊って、緊張を解しておいたら?」
私
「わ、私、踊れないです!」
エラさんはいたずらっぽい笑みを浮かべる。
エラ
「なら、あの二人に教えてもらいながら、踊ったら良いじゃない!」
私
「無理ですってば!」
からかうエラさんから、脱兎のごとく逃げだす。
エラ
「あ、こら! スイってば!」
呼び止めようとするエラさんを無視して、人混みに紛れ込んだ。
私
(……皇太子もまだ来ないし、しばらく隠れていよ)
広場は昼間と見間違うほど明るく飾り立てられ、人で賑わっている。
華やかなドレスを着た妙齢の女性の、鈴を転がしたような笑い声があたらこちらから聞こえてきた。
女1
「王子様は誰を選ぶかしら? もしかして私が選ばれちゃうかも」
女2
「ないない。貴族のお姫様でもないのに」
女3
「そんなことより、今日は楽しみましょう」
本番もギスギスしているのかもしれないと身構えていたが、いらぬ心配だったようだ。
少女たちは各々のドレスを褒め、楽しげに談笑している。
広場を取り囲む市の様子を見ても、商人たちも浮足立っており、微笑ましいことはあれど、恐ろしいことはなかった。
しばらくして再び鐘が三度鳴り、お城から色とりどりの貴族の娘たちが流れてくると、いっそう広場は華やいだ。
私
(あ、ってことはもうすぐ皇太子が来るのよね)
(皆のところに戻らないと)
慌てて元の場所へ向かうが、人が多くてなかなか思うように移動できない。
人に揉まれていると、いやでもまわりの会話が耳に入ってくる。
話題に上るのは、各々のドレスの感想。王子が最初に誰に声をかけるだろうかという予想と期待。そして。
貴族の娘
「ねぇ、今日はやけに同じ服を着ている商人が多いように見えるけど」
メイド
「今回は、しっかりお嬢様方のサポートができるように、服を揃えているそうです」
「人混みの中でも、すぐにわかるでしょう?」
貴族の娘
「そう。あなたたちと同じなのね。とても良いアイデアだわ」
そしてもうひとつの話題は、広場を取り囲むように出店している商人の女たちの服装だ。
思わず口の端が緩む。
私
(お揃いドレス作戦、大成功!)
多くの商人は紺色のドレス、メイドは紅色のドレスにヘッドドレスと腰巻きエプロンを合わせた服装で統一している。
もちろんすべて私たち『レグルス』が作ったあのドレスだ。
オペラでの観劇戦略が成功して、まずエラさんの観劇仲間にドレスが広まった。
そしてその中の商人の娘から、さらに他の商人の娘に売り込んでいくことになった。
売り込むときの文句は『舞踏会での売上を、2倍にするドレスがある』。
魅力的なキャッチコピーに、魅力的なドレス。当然、思惑通り誰もが目の色を変えて飛びついてくれた。
実際、売上が増えるというのも間違いではないはず。機能的で動きやすい上に、人混みの中、遠くからでも、ひと目見て商人と分かれば仕事がずいぶんとやりやすくなる。
結果は大成功。
またたく間に評判になり、ドレスは飛ぶように売れた。
しかも、思わぬことに商人だけではなく、観劇に来ていたメイドたちの間でも『機能的で可愛い』と噂になり、じわじわと広がっていってくれた。
開始ギリギリまで、エラさんは準備に奔走するハメになったが、お陰で舞踏会の会場は、私たちのドレスで埋め尽くされている。
エラさんの頑張りに感謝だ。
私
(でもただ、ドレスをお揃いにして終わりじゃない)
まだやらなければいけないことがある。
あと二つほど、舞踏会の最中に発動する仕掛けをしてある。
そのためにエラさんはギリギリまで走り回り、ウーさんやルスさんに男性の正装をして参加してもらった。
だからこそ、私が遅刻して足を引っ張るわけにはいかないのだ。
エラ
「スイ! どこに行っていたのよ!」
「もうすぐいらっしゃるわよ」
私
「ごめんなさい!」
私がエラさんたちと合流して間もなく、皇太子を乗せた馬車が広場に到着した。
私
(よし間に合った……)
ウーヤ
「……アンタたち、頼んだぞ」
私
「もちろん!」
「私が全力で推しますから!! 安心してください」
ウーヤ
「おう!」
私は自信いっぱいに頷いてみせると、ウーさんの緊張がわずかにほどけて表情が和らぐ。
私
(大丈夫……大丈夫……)
私だって、緊張しないわけじゃない。
でも、舞台の幕はもう開けた。
舞台の上では、どんなに不安でも笑顔を浮かべる。
推しになりきる。
それがコスプレイヤーの鉄則だ。
私
(……うん。絶対にうまくいく)
(だって私にはこのドレスがあるから)
ハリのあるスカートをギュッと握りしめる。
心地の良い感触が、私に自信を与えてくれた。
そのとき、皇太子を乗せた馬車の御者が立ち上がった。
私
(もうすぐだ……)
御者が馬車の扉に手をかける。
私は同時にエラさんに目配せをした。
エラさんはニッコリと微笑んで、しっかりと力強く頷いてくれる。
御者がゆっくりと扉を開けた。
瞬間、一斉に、同じドレスをまとった商人たちが――もちろん、私たちも――スカートを広げてお辞儀をする。
すると生地をたっぷりと使ったボリュームのあるスカートの裾が、ふわりと翻って、光を弾いた。
貴族の娘
「まぁ……素敵……」
キラキラと輝く光沢のあるスカートに誰もがうっとりと見惚れ、ため息を漏らした。
私
(みんな『レグルス』のドレスを見てる……!)
豪華絢爛な数多のドレスはたしかに素晴らしい。しかし、大勢が集まるこの場で最もインパクトを与えられるのは、一着の最高の仕上がりのドレスではなく、大勢が着る最適化されたドレスだった。
私
(皇太子の反応は……!)
お辞儀の姿勢を崩さないまま、ちらりと皇太子の様子を伺うと、思いがけず、皇太子と目があった。
私
(え……?)
まさか皇太子と目が合うなんて、考えてもみなかった。
私
(気のせいよね……!)
言い聞かせてみるも、皇太子は私側仕えに何か話しかけながらもずっと私の方を見たままだ。
鋭い視線を浴びて、背筋をダラダラと滝のような汗が流れ落ちていく。
私
「なんか、見られてる気がするんですけど……」
エラ
「あー……うん。スイもそう思う?」
さすがのエラさんの顔にも、緊張が浮かぶ。
ウーさんに至っては真っ青だ。
私
(ルスさんは……)
今もきっと何を考えているのかわからない、堂々とした顔をしているんだろうと高をくくってルスさんの姿を探すが、見当たらない。
私
(あれ? どこに行ったんだろう)
キョロキョロとあたりを見回している間に、皇太子のダンスが始まってしまった。
私
(どうしよう……この後、ルスさんたちの出番なのに)
二つ目の仕掛けは、ルスさんとウーさんが主導している。
ルスさんがいないと成り立たない。
不安になってウーさんに声をかけてみた。
私
「ウーさん。ルスさんの姿が見えないんだけど……」
ウーヤ
「ったく、アイツ。相変わらずフラフラしやがって」
ウーヤ
「ま、それでもやるときはやる奴だ。大丈夫だろ」
ウーさんは悪態をつきながらも、わざわざ探しに行こうともしない。
仕事に大して完璧主義なウーさんが焦っていないということは、きっと大丈夫なのだろう。
私
(……ルスさんってほんと掴みどころがないんだよね)
不安は拭いきれなかったが、二人を信じて、私は目の前のダンスに集中することにした。
最初に皇太子が手を取ったのは、商人の十露盤をモチーフにした奇抜なドレスをまとう女性だ。
私
(こんなドレスもありなの……?)
元の世界の名だたるコレクションを彷彿とさせる、エキセントリックなデザインに動揺を隠せない。
しかし十露盤ドレスが、どうもネタに走ったわけではないらしいことはすぐにわかった。
大きく旋回するたびに、ドレスに付いた珠がジャラジャラと小気味良い音を立てて、おおいに会場を盛り上げる。十露盤の串をイメージしたであろう細い紐の飾りが、ひらひらと空を舞い、よりダンスを美しいものへと昇華させてもいる。
私
(すごい。なんだかんだきれいだった)
最初はあんなに訝しんでいたのに、ダンスが終わったとき、無意識に拍手を送ってしまった。
続いて選ばれたのは、コインを紐で繋げて仕上げた踊り子のような扇状的なドレスをまとう女性。このドレスもまた『商人』を非常に意識させる挑戦的なデザインだが、先程と大きく違うのは……。
私
(うわ……これは、目のやり場に困るやつ……)
肌の露出が多く、思わず目をそらしてしまう。
踊り始めると、一層肌が晒され、観客は良くも悪くもヒートアップする。
けれどコインが照明を弾きながら舞う姿はたしかに美しいし、人々の目を奪った。
私
(……なんか、自信なくなりそう……)
想像していたドレスと、まったく違う方向性に不安が鎌首をもたげる。
ウーヤ
「なんだ。この程度か」
けれど、今まであんなに不安そうにしていたウーさんが、自信満々の笑みを浮かべて言い切った。
ウーヤ
「こんなの俺たちの敵じゃない。……次が勝負だぞ」
今からのダンスは一組一組が踊るのではなく、皇太子と一緒に何組かが同時に踊り、踊りながらどんどんパートナーを変えていく、華やかで派手なダンスだ。
その輪の中に、ルスさんとウーさんが紛れ込む予定だったのだが、未だルスさんの姿はない。
私
「でも、ルスさんがまだ……」
ウーヤ
「大丈夫。アイツは来る」
いつものウーさんらしい不敵な笑みが、こんなに頼もしく思えるなんて。
私
「ウーさん……さすがです。かっこいい!」
ウーヤ
「あったりまえだろ! 俺を誰だと思ってるんだ!」
「すーぱー可愛くて、すーぱー有能なウーだぞ?」
私
「すごいすごい! 宣伝部長の名は伊達じゃない!」
ウーヤ
「センデンブチョー?」
思わず口を飛び出した、この世界に似つかわしくない言葉に、ウーさんは首をかしげる。
私
「あ、なんでもありません! 私の住んでいた地方で、すごいって意味です」
ウーヤ
「フーン」
私の雑な誤魔化しに不満そうにしながらも、ウーさんはそれ以上は突っ込んでこなかった。
私
(イケナイ、イケナイ。つい通じない言葉が出てきちゃった)
一人でこっそりと反省していると、ウーさんがなんでもない風を装ってわざとらしく私に声をかけてきた。
ウーヤ
「あー、そうだー」
「確認だが、アンタは踊らないんだよな」
私
「はい」
ウーヤ
「……フーン」
それだけ言うと、ウーさんはそっぽを向く。
同じ「フーン」なのに、先ほどとは比べ物にならないくらい、ウーさんはフキゲンだ。
私
「あ、あの、なにか」
ウーヤ
「別に」
絶対何かある。そんな物言いだ。
しかし別にと言われては、それ以上深堀りすることもできない。
ウーヤ
「……アンタみたいなのに、ハレの舞台はもったいない」
けれどその後に続いた独り言は、彼の否定的な思いはしっかりと私に届いていた。
ウーヤ
「――みたいな――嫌いだ」
喧騒のせいで一部しか聞き取れなかった。
それでも、嫌いという言葉が強烈に耳に残る。
ウーヤ
「行ってくる」
エラ
「見ててね、スイ」
私
「……はい」
私の戸惑いを待ってくれることなく、出番がやってきた。曲が終わると同時に、エラさんとウーさんが手を取って広場中央に出て、ダンスの準備を行う。
他の組もぞろぞろと同じように広場に出てきた。
その中にルスさんの姿もあった。ダンスパートナーは、先日ヒントをくれたカラバッサさんだ。
全組が出揃って、改めて広場を見ると、皇太子の組以外、全員が『レグルス』のドレスを着ていることは一目瞭然だった。
夜を思わせる光沢のある紺色のドレス。照明を受け、夜空の星々のように煌めく姿は圧巻だ。
なのに……私は目の前の景色に集中できないでいた。
私
(嫌い……って言ってたよね)
まだ、ウーさんの言葉が鼓膜に張り付いて離れない。
心臓がバクバクと騒がしくて、周りの声が何も聞こえなかった。
それでも、ときは刻一刻と進んでいき、ダンスが始まった。
全員が同じステップを踏み、どんどんパートナーを変えていく激しいダンス。
たった一人違うドレスを着ている女性も目立つが、視界の半分以上を占めるまったく同じドレスにも視線が行く。
私
(……気にしても、仕方ないよね)
私は必死に目の前の景色に意識を向けた。
舞踏会も終盤に差し掛かる頃になると、その場にいる全員がソワソワとし始める。
婚約者の発表を今か今かと、待ちわびていた。
皇太子が最後のダンスを終えて、一息ついている間も、皇太子の一挙手一投足に注目が集まる。
皇太子はふと気が緩んだ瞬間に、いったい誰を呼ぶのだろうか。いったい誰を見つめるのだろうか。
人々の興味のすべてが皇太子に注がれていた。
しかしそんな視線を物ともせず、皇太子はゆったりとした仕草でワインを呷ぐ。
その瞬間、誰にも気が付かれないような、ほんの一瞬。
また、皇太子と目があった――ような気がした。
私
(なんだろう)
不安になって、隣りにいたルスさんの後ろに隠れる。
ルス
「どうかしましたか?」
私
「あ……人の熱気に圧倒されちゃって」
ルス
「大丈夫ですか? 少し休みましょうか」
私
「大丈夫です。もう、終わりですし」
ルス
「わかりました。無理はしないでくださいね」
私
「はい」
ルスさんと話しているうちに、皇太子の視線も感じなくなった。
ほっと胸をなでおろすと、ほぼ同時に皇太子がゆるやかに手を上げる。
今から話すという合図だ。
嘘のように喧騒が引いていき、夜の広場は静まり返った。
皇太子
「明日はメルクリウス選挙の市民投開票日。私の婚約者は、メルクリウスと共に発表しよう」
粋な計らいに観衆はざわめく。
皇太子
「皆、明日を楽しみにしていてくれ」
・
・
・
迎えた翌日。
私
(寝れなかった……)
重たい身体を引きずり、工房に顔を出すと、眠れなかったのは私だけじゃないとすぐに悟る。
口数の少ないエラさんに、話しかけてくる相手を睨み殺しそうなくらい目付きの悪いウーさん。
ルス
「さ、皆さん。投票に行きましょう」
元気なのはルスさんだけだ。
ウーヤ
「本当に、お前は、いつもいつも……」
「……はぁ、今日ばかりは救われるよ」
エラ
「そうね。どれだけ気が重くても緊張しても、投票だけはいかないとね」
私
「そう、ですね」
メルクリウス選挙の結果は、対象商品の売上金額、販売数、市民投票で決まる。
どれほど人気があっても、売上が伴っていなければメルクリウスにはなれないし、逆もまた然りだ。
ウーヤ
「貴族の爆買いの噂もないし、流行も安定していない。間違いなく売上も販売数もトップクラスだ」
ルス
「あとは投票の結果次第ですね」
自分たちに投票するために、街に出る。
すると、どこへ行っても私たちに投票したよと声をかけられた。
私
(これは本当の……本当にあるかもしれない)
感じたことのない高揚感に包まれる。それからはあっという間だった。
選挙時間が終わるなり、すぐに開票は始まり、発表へ向けた祭りが始まる。商人の娘たちは、昨日の舞踏会と同じく『レグルス』のドレスを身に着け、商売に励んでいた。
そのドレスを見ては、街往く人々は『レグルス』の噂をし、「私もあの服が欲しい」「自分の嫁に、娘に買ってやりたい」という注文が殺到した。
メルクリウスになることが決まれば、値段が上がるかもしれない。
なかなか手に入らなくなるかもしれない。
そんな焦燥感が人々を浮足立たせ、メルクリウス選挙のことを忘れそうになるほど忙殺された。
大臣
「間もなく、第八十代、メルクリウスをメルクリウス広場にて発表いたします!」
大臣の放送案内を耳にして、ようやく思い出すほどだった。
・
・
・
広場に行くと、特設のステージが組まれていた。
王の間をイメージしているのだろうかと思うような荘厳な舞台の中央には玉座。
その脇の飾りには、布が掛けられている。
(あの布の下にあるものが……メルクリウスに贈られる)
全員で発表は今か今かと待つ。
そしてそのときは唐突に訪れた。
「第八十代メルクリウスは――『レグルス』です」
想像はしていたけれど実際に名前を呼ばれると、胸がいっぱいになる。
私
「ああ……呼ばれた!! 呼ばれましたよ、ルスさん、ウーさん、エラさん!!」
ウーヤ
「ああ、聞こえてるよ」
エラ
「もう! 素直に喜んだらいいのに!」
ウーヤ
「うるせぇ……!」
照れて、不機嫌そうな顔をしているウーさんをエラさんがからかうが、そう言うエラさんも、ニヤニヤが抑えきれず頬が緩んでいた。
皇太子
「代表者は壇上へ」
私
「ルスさん、行ってください!」
ルス
「私、ですか」
私
「はい!!」
ウーヤ
「……ま、うちの代表はルスだからな」
「譲ってやるよ」
エラ
「いってらっしゃい! ルス!」
ルス
「ありがとうございます」
皆に背中を押されて、ルスさんが代表として壇上に上がる。
メルクリウスの証として、皇太子から賞状と盾と杖が贈呈されることになっていた。これが、今後メルクリウスである証で、通行手形にもなる。
ところが、ルスさんが壇上に上がって、皇太子の前に立ってしばらくしても、皇太子は贈与を行う様子がなかった。
どうしたのだろうと、観客たちもざわつき始める。
様子が気になるものの、観客席からは壇上の会話を聞き取ることはできなかった。
私
(どうしたんだろう……?)
メイド
「レグルスの皆様でしょうか」
気を揉んでいるといつの間にか隣に立っていたメイドさんに声をかけられた。
メイド
「皆様全員壇上へどうぞ」
エラ
「え、私たちまで!?」
メイド
「殿下が望まれております」
メイドさんが指を鳴らすと、これまたいつの間に集まっていたのか大勢のメイドさんたちが私たちを囲み、壇上までの道を作っていく。
わけも分からず、私たちは促されるままに壇上に上がる。
その場にいる全員の視線が私たちに注がれた。
私
(むむむむ!! 無理!!)
何の心の準備もしていなかった私は足が震えて、座り込んでしまいそうになる。
その場でへたり込みそうになる私を、両脇に立っていたエラさんとウーさんが支えてくれて、どうにか事なきを得た。
私
「ありがとう、ございます」
小声でお礼を言うと、エラさんは微笑みかけてくれたが、ウーさんはぷいっとそっぽを向いてしまった。
私
(……うーん、なんだろう。ウーさんの態度が変な気がする)
どうにも違和感を覚えずにはいられないが、それどころではない爆弾発言が皇太子の口から飛び出した。
皇太子
「さて、女性どちらが代表の愛人なんだ」
私
「へ!?」
エラ
「ありえ……ません。殿下。私たちはあくまで仕事上の関係です!」
慌てて、エラさんが否定をすると、皇太子は意地の悪い笑みを浮かべた。
皇太子
「なら、私がどちらかを婚約者に望んでもいいということだな」
私
「へ?」
エラ
「こ、こ、婚約者!?」
アニメのような展開が、私の身に降りかかるなんて考えたこともなかった。
もはや脳の処理が追いつかない。
皇太子
「そちらの女は、なかなか、度胸があるようだな」
皇太子は私を指し示してそう言うが、度胸なんてあるはずもない。
ただ、感情に表情が追いついていないだけである。
皇太子が再び口を開こうとすると、皇太子の言葉を遮るように、ルスさんが私と皇太子の間に、割って入った。
ルス
「邪魔をするつもりですか」
皇太子
「何?」
しばらくの間、皇太子とルスさんは無言な間、見つめ合っていた。
いや、睨み合っているというべきだろうか?
何をするわけでもないのに、妙にピリピリとした空気が二人の間に流れていた。
私
(邪魔をするって……どういうことだろう)
(メルクリウスって皇族にとって邪魔なのかな……?)
(なんか、でも、ちょっとそういうニュアンスとも違う気がする)
考えたところで、ほとんどこの国の仕組みをわかっていない私では答えを見つけることができるはずもなく。
すぐに思考を放棄して、皇太子とルスさんの出方を観察することにした。
意外なことに、先に口を開いたのは皇太子の方だった。
皇太子
「まさか」
「まぁ婚約者は冗談だけれど」
「……ただ、このままメルクリウスの証を持って旅にでも出られたら勿体ないと思ってね」
「君たちを私専属の職人にしたいくらいなんだよ」
私
(え、それって!!)
皇太子の口から出てきたのは、刺々しい空気に相応しくないスカウトの言葉。
私
(メルクリウスだからって、全員が皇族のお誘いをもらえるわけじゃないよね)
(ってことは、これ、めちゃめちゃすごいことじゃないの!?)
ルス
「殿下に気にかけていただけるなんて光栄です」
「ですがお断りします」
けれど、ルスさんは呆気なく皇太子の提案を蹴ってしまった。
皇太子
「ほう? 皇太子お抱えの商人や職人になりたいというものはごまんといるんだぞ」
ルス
「でしたら、なりたいというものにお声掛けくださいませ。私はなりたくはありません」
珍しいほど、ルスさんはきっぱりと断った。
微塵の解釈の余地も残さない物言いは、掴みどころのないルスさんらしくなかった。
ルス
「それに殿下がいつまで皇太子でいらっしゃるかも、わかりませんから」
さらりと続けられた言葉に、場が凍る。
傍に控えている騎士も、メイドさんたちも、一瞬のうちに殺気立ち、二の句を継げなくなりそうなほどだ。
私
(それってどういう意味……?)
ウーヤ
「おい、ルス。何考えてるんだよ!」
エラ
「そうよ。ルス。殿下に向かってなんて失礼なことを……」
全員で小声でルスさんを問い詰めるが、ルスさんはまるで気にした様子もない。
ルス
「失礼……?」
「間もなく王になるかもしれない殿下を前に、いつまでも皇太子でいると思う方がよほど失礼ではありませんか」
一瞬、壇上が静寂に包まれる。
無言が生まれるたびに、私がわからない壮大な駆け引きが行われている気がしてならないが、状況が追いきれない私にできることはなかった。
皇太子
「……そうだな、間もなく王になるからな」
「今よりも、もっと考えるべきことが増える。お抱え商人も見直すことになるやもしれん」
皇太子が口元を緩めたことで、ひとまずその場は収まったようだった。
けれどその後も続いた授与式の間中ずっと、想像していたものとは違う形の緊張感が続いた。
式典が終わると、メルクリウスが決まったお祝いとして、数々の催しもなされた(中には、エラさんの推しによる特別公演まであった)が、まるで集中できない。
私
(もー……わからないことだらけだよ)
ルスさんは立ち振舞いから見て、けっこう地位が高い人なのかもしれない。
皇太子と知り合いのようにも見えたが、とても親しい仲とは思えなかった。
私
(皇族のあれこれを知らないけど派閥が違う的な何かなのかな?)
(だとするとルスさんが皇太子ではない、誰かを推しているのかも!)
基本的に推し活であれば、応援してきたが、今回ばかりは手放しに応援できそうになかった。
私
(あー、ルスさんのことだけでも頭パンクしそうなのに、ウーさんまでなんかオカシイしなぁ)
初めてあったときからずっとツンツンとした態度を取ってくるが、舞踏会から少し様子が変わった。
突っかかってくることは減ったけれど、やけに冷たい気がする。
私
(……なかなかうまくいかないなぁ)
メルクリウスになれば、もっといろんなことがわかって、元の世界に帰るヒントが見つかると思っていたが、ますます深みにはまり込んでいる気がする。
私
(でも諦めない。私は絶対に元の世界に帰るんだから)
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