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マウントをとること

こんばんは。

すごく久しぶりの投稿です。

私が最近悩んでいることは「マウントを取られる」ことです。というのも、就職活動をはじめたあたりから、それ関連のマウントの取り合いになっている学校の人が増え、私生活ではささいなことでマウントをとってくる方と知り合いになったのです。

マウントってなんだろう

マウントって、調べたらすぐにでてくるであろう定義(頭の中のほうにはありますが)はいったんおいといて。マウントを「とる」つまり「とられた」私は何かを奪われたのでしょうか。逆に、マウントとるの大好きなあの子は何を得たのでしょうか。こっちのほうがわかりやすいかもしれません。

考えながら打つと、文字が目の前で生きているのが好きなのですが、マウントマウント言ってると元気がなくなってきた感じがします。

きっとマウントって、取られる側からしたら「えーいいなあ」で、取る側からしたらあの子の中の’どう思う?’に対するあの子の中の「いいなあ」が、より具体的になったもの、それがマウントなんじゃないかなと思います。 もちろんこれは一つの例に過ぎないので、ほかにもというなら「えー!すごいね!」「絶対うまくいくって!」「おめでとう!このまま最後までいけるといいね!」等…いくらでも出てくるし、多分これを読んでくださっているあなたからも沢山の具体例が聞き出せると思います。

なんで取ったり取られたりするの?

①とる側と②取られる側の両方について考えてみましょう。私は経験上②のほうが多いので、①に関しては想像と比較的少ない私の体験談も踏まえて。

①マウントを「取る」こと:自分の中にある答えをより強く他人に求めるときにとるというのが先ほどの考察から導き出される考えです。

どうしてわかっていることを他人に再確認してしまうのか

私の経験から言えば、もっともっと褒めてほしい背中を押してほしい凄いとおもってほしいという感情からきているものだと思います。自分もそうだし、人のマウント取りを見ていて思います。              もっと簡単に言うと自慢・格差のお知らせなんじゃないかなあと思います。格差のお知らせは自慢に組み込まれる気もするのですが、ゆるやかな差別化の意味も込めていそうだと思い、あえて自慢と切り離してみました。ここまでくると、<わかっていることを【再確認】>というこの文自体がおかしくなってしまうのですが。

人は、特にこの謙遜が重んじられる日本人のコミュニティのなかでは、自分がどれだけ自分をすごいと思っても、そのことを「自分」だけが知っていても意味がない。必要なのは「周りの人間」もそう思うこと。もちろんこれは完全によくない考え方だと私は思います。でも、なかなか人の意見を一つも聞かずにすべてを決めるのは難しい。たとえ自分の中で考えがまとまっていたとしても。だから〈わかっていることを再確認する〉のではないかなと書いてて思いました。

でも「自分」ってやっぱりかわいいし愛されるべきだし、良くありたいですよね。良くはとくに比較対象がないといいも悪いもわかりません。そうして自分が〈良い〉なら必然的に誰かは〈悪く〉しないといけない。・・・

だからマウントって取っても取ってもなくならないのかなと思います。

②マウントを「取られる」こと:他人からくる既に確定的なこたえが見えているなにかをぶつけられることですかね。ここでいう確定的とは、こういう返事が欲しいんだろうなあというのが透けて、というか丸見えで見えていることも含みます。とりあえずこちらが何を考えているかはどうでもいいと思ってそうだなあ

こちらはただ私の感じたことをつらつら書いていきます。        常に人のことを気にかけて生きているような人間には、マウントなんてすぐに見つかります。そして、常に周りのことを気にかけて、自分よりもその人が気持ちよかったらいいやと思いながら人付き合いをする人は、最初から天秤に釣り合うことを放棄したくせにマウントには一丁前に傷つきます。  自分が普段から人の話を時間も問わず聞いたり、逆に聞くからいつでも言ってねとか言ったりしているのに。相手はもちろんそれを信用して、こいつなら掃き溜めにしても大丈夫だなという狭義かつ限定的な信頼感を抱くのです。私とか、これを読んでるあなたに。

そして吐き出される言葉と消費される時間・精神みたいな関係を続けていくうちにマウントなんてものが出てくるんだと思います。初対面の方にマウントをとられたとしたら、それはあなた(私)の見た目です。性別身長声の調子表情(特に瞳の動き)はたいていすぐわかると思います。そして私たちの性格です。ひどく煮詰めた偽善的な何かがそれを助長しているのだと思います。気持ち悪いですね。

だって、相手に掃き溜めとされることで満たされるところがあるから。それがあるから私はこの性格のまま生きてきたし、これからもそうだと思う。

そんな真っ黒な煮詰まった偽善がないと生きていけないです。搾取されてもいいよ。マウントだって、こんな人がいたらとりたくなるような人間なんです。私は。

さいごに

一つだけ。

思いつく限りでマウントをとられなかった時代はなかったけれど、

この人は絶対にマウントはとってこない・対等にみているんだろうなという人は2~3人います。私はその人にもたまに汚い偽善者的対応をしているし、辞められないけれど、

対等にみてくれる人はそういうことはしないよ

というお知らせと自分(とあなた?)への戒めを置いて寝ます。


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