私の死生観
私は今年の1月に大好きな祖父を亡くしています。
そして今日は初めての、祖父がこの世にいない私の誕生日。
1年前、当日は会うことができなかったのですが、数日前に会ってもう二十歳か~という話をしました。
一緒に銭湯に行って、私が早く上がりすぎて受付の隣の椅子で待っていたのを今でも覚えています。孫のなかで唯一一緒に銭湯に行く子だったので、いつも2人で軽トラに乗っていきました。窓を全開にしてセミの声を聞きながら、ぬるい風に吹かれて通った道を今でも鮮明に思い出せます。
祖父が末期のガンだと診断されたのが12月頭だったので、1年前の私はこれからもずっとこんなゆるやかな日々が続くと思っていました。
1年って本当大きいですね。
毎日人が亡くなります。
毎日誰かの濃密で美しい日々が記憶が消え去ります。
毎日誰かが悲しみのどん底に落とされています。
祖父がいなくなるまでの私は、死ぬつもりもないくせに、死の端っこを味わって楽しみ、生きていることを実感するような人間でした。人には言っていませんが。
祖父がいなくなってから、死とはただただ悲しくてなにもなくて、静かで永遠なのだと知りました。
日常が帰ってこなくなることだと知りました。
大好きな人がこの世界からいなくなり、
私のことを愛してくれる人がいなくなり、
こんなにも心がからっぽになるのだと知りました。
毎日たくさんの人が亡くなっています。
理由は様々ですが、残された人の悲しみははかり知れません。
どうか、亡くなった方たちが安らかに、そして残された人はこれから先の生きなければならない間をどうか悲しみだけで過ごさなくてすむようにと祈るばかりです。
私もふと引き込まれたかのように地獄を味わうことがありますが、どうか生きれる限りは生きていきたいと思います。
大好きな祖父が、天国で苦しみなく幸せに暮らしていますように。
21歳になった私を、これからもずっと見守ってくれますように。