デッキ構築についての私の所感と盤外の特殊勝利条件について

MTGのデッキには、目的別に種類がある。
私の頭の中のイメージを、少し言葉にしてみた。

勝つためのデッキ。
したい事をするためのデッキ。
魅せるためのデッキ。

勝つためのデッキは分かりやすい。内容が緻密であれ稚拙であれ、最終的に相手を倒し、勝つためのデッキだ。デッキを組むには強いカードと、強いカードを倒すカード、それを支えるカードを使う。勝つと嬉しい。だから勝つためにデッキを組む。

したい事をするデッキは、勝つ事より、自分の好きを押し出していく。個人個人にしか分からない「これが好きだから、これをしたい!」がある。何に脳汁を出すかは人それぞれだ。その結果勝てればなお良い。極まってくると、勝たなくても良い。したいことが出来れば嬉しい。だからしたい事を軸にデッキを組む。

ここで、「勝つためのデッキ」と「したい事をするデッキ」がぶつかるとどうなるか。おおよそ勝つためのデッキが勝つが、事故もある、テクニックもある、したい事をするデッキが勝つこともある。ただまぁ、勝つための考察を積み重ねたデッキと、メタ度外視のデッキでは勝ちに対する姿勢が違う。大体は、順当に、勝つためのデッキが勝つ。

私は「したい事をするデッキ」しか、基本的には持っていない。そこで気にしているのは「せっかく対戦するのに、あっさり対戦が終わってしまって良いのか?」「『対戦したけど張り合いのないデッキだったなぁ』って思ってたら申し訳ねぇな」という事。だからしたい事をする為に、強いデッキに少しでも近づいていい勝負が出来るようにデッキを強化する。この両立に、いつも頭を悩ませている。極端な話、自分のしたい事がマッチ戦の中で1度でも出来て、相手の強い動きが見えて、お互いに満足感があれば負けても一向に構わない。そんで対戦が終わったら相手のデッキめっちゃ褒める。その動き良いですねって、それ強いですねって、相手がそのデッキを組んでよかったなって思って欲しいからめっちゃ褒める。

やっと本題だけど、私は今までに「魅せるためのデッキ」を組もうとして、何度も何度も諦めてきた。それは、相手を楽しませるだけの強さを持ったデッキを組み上げられなかったから。モダン武士道だったり、アーティスト単だったり、ジェイスとヴラスカメインを据えたEDHだったり、レガシーのオーロクスデッキ(これは違うか?)だったり。カードを集めて並べて、相手を楽しませられないデッキだなって、これは私のデッキ構築能力の弱さでもあるけど、ネタとして笑ってもらえるか分からないネタデッキを、何度も何度も産まれる前に殺してきた。だって相手の貴重な対戦時間を貰うのだ、ネタでひと笑い取れたところで、相手に取っては強いデッキで蹂躙して終わりなのだ。「時間の無駄」で終わってしまうデッキにしかならないと感じたら、そっと見なかったことにして、カードの束になり切れなかったカード達をストレージに戻す。そうやって子供が寝たあとの僅かな時間が終わると、寂しい気持ちになることが良くあった。今はネットにレシピが大量に転がっている。勝つためのデッキに近づく道は多い。その道を選ぶ人の方が圧倒的に多い。それなら、思いついただけのテーマデッキは、活躍の場は無いのだ。

※これまでも相当気持ち悪いですが、ここから他人のデッキに対して想いが爆発します。言及されたデッキをお持ちの方、本当にごめんなさい。そして本当にありがとうございます。不快でしたら、そっと教えて下さい…

先日、晴れる屋のフリプのEDHにてとある5Cシッセイと対戦し、私の心の中のエモーショナルエンジンはフル稼働した。

立ち上がりはゆっくりだった。
《ウェザーライトの艦長、シッセイ》は「伝説の」パーマネントに注目したカードで、最大6マナの伝説のパーマネントをデッキから直接場に出すことができる。その能力を最も活かす構築としては、多色で軽い伝説のパーマネントを素早く場に出し、能力の起動条件を満たして無限コンボパーツを素早く場に揃えて勝利する構築が考えられる。何しろ5色の統率者だからサーチカードは豊富だし、初手で出てきた土地はデュアランだった。これは気を付けないと、と思った後に、出てきたカードは
《ヴァティ・イル=ダル》だった。

!!??
確かに伝説のクリーチャーだが、シッセイとのシナジーは薄い。何なら「もっと最適なカードは他にある」のだ。しかして、私はヴァティはストーリー上でシッセイが艦長を務めていたウェザーライト号の、言わばライバル艦にあたりプレデター号の副官である事を知っていた。たまたま先日調べていた。
これは、これは!と内心めちゃくちゃに興奮しつつ(隣で暴れようとするアニマーに対処しつつ)、次のカードは…と眺めていた。
《無明の予見者》だった。

ああああああああぁぁぁ!!!ウルザだあぁああああ!!!とここで確信した。無明の予見者とシッセイのシナジーはあるがそういう問題では無い。これは「ウェザーライトサーガデッキ」ではないか…!?
ウェザーライトサーガ
いやしかし、まだ、これから無限コンボがスタートするかもしれない…次のカードは…
《ウェザーライト(DOM)》だった。そのあと《旗艦プレデター》も出てきた。

ここで確信した。
これは、「魅せるためのデッキ」だ。
私が考えて考えて諦めたデッキだ。

それから悶絶する時間が続く。《破滅的な行為》(九つの命に合わせられなくて良かった)でアニマーが流れていき、《火炎舌のカヴー》はインベイジョンブロックで活躍したけど伝説じゃねぇ!でも覚えてるぞ!となり、《大天使レイディアント》を改めて見て「相手の飛行クリーチャーもカウントするの!?」となり…
旧枠foilの《スランの医師、ヨーグモス》が出てきてその旧枠もカバーしてるのかぁ!となり…

至福の時間だった。
エモさで本体にダメージが入るなら私は余裕で死んでいた。実際、何とかして勝ちを譲れないか考えた。それだけの価値がある体験だった。私が産めなかったデッキと今対戦しているのだ。ゲーム中に「デッキ眺めているだけで三時間は過ごせる」と言ったな、あれはマジだ。

ちなみに対戦の決着は、最終的にアニマーと私のゼドルーのタイマンになり、九つの命とIllusions of Grandeurを寄付した状態で《悲劇的な傲慢》を打って終了した。
可能であれば5Cシッセイとタイマンしたいと思い、実はなるべくそうなるように動いたが、そうは出来なかった。無念。本当にタイマンが実現していたら、ずっと眺めてしまっていたかもしれないので、あれで良かったかもしれない。

勝手ながら最高の対戦ができた、最高のデッキを魅せてもらったと感謝していたが、これを書いている現在(約27時間後)、ふっと気づいたことがある。
「魅せるためのデッキ」は、それを見て喜んでもらえた時が「勝利」なのではないか?
対戦してもらったデッキが勝利を目指して居なかったとかそういう事を言いたいわけでは断じて無い。私が魅せるためのデッキを組み上げられなかったのは当然だった、なぜなら私はデッキを組む時、「対戦相手が喜ぶ顔」を想像していなかったから、と言う事を言いたい。私のデッキの組み方の原動力は「勝ちたい」ではない。「如何に相手との対戦を楽しめるか」である。組んで、対戦して、エモさを伝えて会話をして、その時が魅せるためのデッキを組んだ私の特殊勝利である。デッキを組んで満足はしない、デッキを置物にする気は無い、そのデッキで対戦し、お互いに楽しい時間を共有できるか。魅せるためのデッキを組むには、私の勝利条件を根底から変えて組まなければいけなかったのではないか、と思っている。エモいデッキはこんなに嬉しく、こんなに楽しい。デッキを組み上げられなかった私に、あの一回の対戦がそれを信じさせてくれた。ああ!こういうデッキを組んでも良いんだと教えてくれた。

弱いカード強いカード、それは確実にある。そんなことは置いておいて、私は《カミソリひれのハンター》が初登場した時のエモさを語りたいし、《悟りの武士、勲雄》を軸にして武士道デッキを組みたい。
自由にデッキを組んで、気ままに対戦して、いいね!を送り合いたい。そういう楽しみ方をしたいと、心底思った。

私も、私が好きな物を大事にしてデッキを組みたい。

最後に、久々に顔を出したのに名前を覚えていただけてる晴れる屋TCでフリプしてくれる皆様、ありがとうございます。なかなか顔を出せない時期もあるんですが、今後ともよろしくお願い致します。

これを読んでくれた方、雑な文章をここまで読んでいただきありがとうございました。
ここに書いた言葉は私個人の考えなので、それは違うと思ったら、優しく教えて下さい。

対戦、ありがとうございました。

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