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モンテーニュ「エセー」なお年頃

最近になって、「哲学って何ですか?」ってよく聞かれる。

哲学≠宗教、哲学≠心理学。。。

哲学とは〇〇ではないとは言えるけど、こういうものだとは答えにくい。

大学の時、哲学の教授が「哲学とは何か」という問いそのものが、哲学のテーマであるとかなんとか言ってたっけ。。。

要するに答えのない不思議な学問。

それが哲学。

でも、私個人の考えでは、ズバリ、自分が死ぬ存在であることを意識することだと思っている。

「なぜ生まれてきたのか?」「死ねばどうなるのか?」

究極の問いとも思われる、この問題にひたすら向き合いながら生きること。

それが哲学することだと思う。

そんな考えを持っていた哲学者が、フランスに生きていた。それが、モンテーニュ。かれの著作「エセー」はエッセイの語源になっている。

この本は、難しい言葉が出てくるような本ではないけど、味わうには少々骨が折れるのだ。読み手の成熟度が問われるから。

今年、僕は48歳になる。そろそろ、「エセー」を座右の書にできる年齢に来たか。。。そんな風におもっているんだけど。。。

彼の名言を寝る前に味わう習慣を持ちたいと思いつつ。

各人はその考え次第で幸福にもなり、不幸にもなる。他人が見てそう思う人ではなく、自分でそう思う人が幸福なのである。
わたしは何を知っているだろうか?(Que sais-je? クセジュ)
なにごとも逃げてはいけない。敵に対しても、もしも、こちらが逃げれば、ますます激しく攻めてくるものだ。それと同じように、人生のさまざまな苦しみも、私たちが恐れおののいているのをみると、いい気になって、更にいじめてくる。
言うことと、やることは別のものである。
人生の価値は時間の長さではなく、その使い方で決まる。長生きをしてもむなしい人もいる。
臆病は残酷性の母である。
愚者が賢者から学ぶことよりも、賢者が愚者から学ぶことのほうが多い。

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