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200 Days Gone

今日はインスタのストーリーで続けていたプロジェクト「Day Breakfast」について書こうと思う。

数えること今から200日前、世界中で拡散した新型ウィルスCOVID-19の感染拡大を抑止する為に、ニュージーランドは緊急事態宣言を発令し、都市封鎖、いわゆるロックダウン状態になった。

それから200日間、私は毎日朝食の画像を撮り続けた。理由は単純、自分が生きて、健康でいたかを確認する為。特に深い理由はなかった。期待をもってここに読みにきた人は今頃がっかりしているかも知れない。ある人に、なんで続けているのかを聞かれて私はこう答えた。
「世界中の人々が感染している限り続けようと思うんだ。」

さて、ではなぜ私はたった200日で止めてしまったのだろう。世界ではまだ感染症は猛威を振るっていて、未だにかつての姿を取り戻す事なくその混乱は日増しに拡大し深度を増しているというのに。

決して諦めたり飽きたりした訳じゃない。でも自分にとっていくつかの重大な事が起きている中で、「今まで通り」を続けていてはいけない時期に来たと感じた。迫りくる試験、世界中に散らばる相手と競争する職場環境、そして知己に自分の気持ちを指摘されてからぐらつきっぱなしの心。この状況は決して自分にとってプラスにならないな。と思った。立て直さないといけない。それも出来るだけ早急に。

人は簡単には変わらないし変われない。それは自分が過ごしてきた人生の中で学んだ事の一つだ。でも、私は変われる。世界中のどこにいようと、何が起きようと適応してきた。それが私。どんな時も諦めない自分。だからもう、朝食をアップロードする必要は無くなった。どんな事が起きても最後まで生きるという覚悟が固まったからだ。

この200日間で私は今までやった事のない30の事に取り組んだ。うまくいったものもあるけれど、そうでないものの割合が圧倒的に多い。白状すると、1割しかモノにはならなかった。以前の自分が聞いたら長い溜息の後に痛烈に自分自身を批判しただろう。甘すぎる、と。だからまぁ、これからは精度を上げていかないといけない。ニュージーランドという柔らかい雰囲気に囲まれて、危うく自分がどの戦場で戦ってきたかを忘れるところだったわけだ。今再びそれが自分の下へ舞い戻ってきたという事は、今後の人生にもその感覚は必要だという事なのだろうと思う。

200日!
大した意味も目的も無く続けたそれは、いつの間にか自分の外部記憶装置として随分よく機能してくれた。いい事や悪い事でなく、何にやりがいを感じ、何が自分を伸ばす事に繋がるか。己の弱い部分は何か。理不尽に訪れる窮地や困難においても誠実な対応が出来るか。それを確認できた。それらを続けていく為に何が必要なのかも改めて実感出来た。

私は過ぎ去った過去に拘泥しない。
明日の朝に画像をまとめて載せたら、この1年半に起きた事を綺麗さっぱり忘れるだろう。でもそれは捨てたという訳じゃなく、例えるなら箱にしまうのと同じ感覚で忘れる。いい事も悪い事もあった。挑戦して、失敗したり成功したりした。そしてそこから学べる事は過去の自分が全て修めてくれている。だから、忘れても良い。

それに。
これからを作っていく人々との繋がりは今後も続くのだ。だからその人達との事を忘れたりなんかしない。また忘れた過去から来た人とも、偶然に再会して何かを形作ったり出来る。私はそこに希望を持っている。

過ぎ去った日々に想いを馳せず、今ある現状から出現する未来を紐解く。それが私がやってきた事で、これからも変わらずに取り組み続ける事。

最後に一つ。
200日の間、私の趣味を見てくれてありがとう。自分の為とはいえ、閲覧者がいなければ続けられなかっただろうから。ワンタップで流れていくストーリーを、誰かが1コマでも見てくれたのなら私は嬉しい。

それでは、また別の記事で。


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