読書録 2024年10月

筒井康隆『時をかける少女』(角川文庫)

 初期筒井康隆のSF短篇集。表題作の「時をかける少女」を読みたくて購入。
 細田守監督のアニメ映画を先に見ていたので、物足りなさを感じたというのが正直なところ。映画版では原作のオチからさらにもう一展開あったので、どうしてもそう思ってしまう。むしろこの原作からあれだけ個性的なキャラクターを立ち上げたアニメ映画は偉大なのだと思う。

泡坂妻夫『煙の殺意』(創元推理文庫)

 泡坂妻夫の短篇集。絵画の盗難事件の真相と共に、ある絵画の意図するところが明らかになる「椛山訪雪図」や、ある公園が有する不穏さを描く「紳士の園」等、泡坂の守備範囲の広さがわかる一冊。
 印象に残ったのは「歯と胴」。セクシャルな交わりの場面さえミステリの種にしてしまうところに驚かされた。「狐の面」で本筋とは直接関係のないマジックアイテムの蘊蓄が披露されていたのも楽しかった。

志村真幸『在野と独学の近代 ダーウィン、マルクスから南方熊楠、牧野富太郎まで』

 イギリスへの留学経験があり、その生涯を在野での知的探究に捧げた南方熊楠を媒介に、日英で在野の学問が置かれた状況を比較しつつ、アカデミアの体系に囚われない学問の可能性を探る本。南方を軸に議論が展開されているので、サブタイトルはミスリードだと思う。最近の中公新書はこういうことが多い。
 印象に残ったのは、在野で研究に勤しみ、読者にその不遇さをアピールしながらも、「官」としての立場を利用して情報収集を行なった牧野富太郎や柳田国男の強かさ。本書の意図とは裏腹に、近代日本の学問世界における官尊民卑の根強さが浮き彫りになっている。それでも、彼らが積極的に利用した在野のフィールドワーク集団の力が学問の進展に寄与しており、個人の能力や立場に依らない在野の力は侮れないとするのは説得力がある。
 在野と官学との関係で言えば、戦前における「主義者」たちのマルクス主義・無政府主義関係の経済・政治の研究はまさに「官」とは正反対の在野研究であるはずで、本書の関心からしてそれらはどのような位置付けになるのか、また官学における昭和のマルクス主義の流行はどのように評価されるか、気になるところ。

村上春樹『海辺のカフカ 上』

 村上春樹の長編小説。家出をして高松で生活を始める「田村カフカ」の物語と、幼少期に集団催眠に遭い、知的能力の多くを失うも猫と会話できる初老の「ナカタさん」の2人の話が交互に展開される。カフカの父の死を巡って、二つの物語が接点を持ち始めそうなところで上巻は終わっている。
 ホロコーストの大量殺戮や、学生運動下での無意味な死等、この世界に存在する理不尽な暴力が度々挿入されている。上巻を読んだ段階では、そうした理不尽な世界に一人の青年が立ち向かい、生きていく物語なんだろうなと想像している。

佐藤卓己『あいまいさに耐える ネガティブ・リテラシーのすすめ』

 メディア史の大家による、メディアリテラシーの指南書。書き下ろしではなく、民主党による政権交代直前の時期から現代までに著者が書いた論説を再編集し、本書のテーマである「遅効性」ある議論を体現しようと試みている。
 国民の政治的な性向である"ヨロン"を輿論(public opinion)と世論(popular sentiments)に区分することを繰り返し提唱し、前者を元にした民主主義の実現を希求する議論が展開されている。民主党政権前後から続く、世論調査による内閣支持率が政局を左右する状況は、有権者の消費者化(=客体化)と議会制民主主義の空洞化を招いているのであって、将来の遅延報酬を見据えた熟議による「世論の再輿論化」が必要だと説かれる。さらに、現在の「ファスト政治」や「メディア流言」の根本にあるのは、「多すぎる選択肢が選択行為そのものを困難とする」情報過剰だとして、そうした状況に対応するには、吟味思考によるポジティブなリテラシーではなく、曖昧さに耐え、時間によって解決されるのを待つネガティブなリテラシーを育むことが肝要だとしている。
 衆議院の解散総選挙を控えたタイミングでこの本を読むことができてよかった。各政党の政見放送や街頭演説に触れると、与野党問わずに政策の議論よりも「世論」に訴えかけている印象を受けるので、著者が感じている危機感をリアルに体験している。

村上春樹『海辺のカフカ 下』

 田村カフカと佐伯さんとの性的な交わりや、ナカタさんと行動を共にする青年「星野さん」の冒険が描かれる後編。2つの物語は最後まで直接交わらないままに幕を閉じる。
 印象深かったのは、ナカタさんの死に直面した星野さんが、「石」へ語りかける形でこれまでの人生を振り返る場面。これまで漫然と刹那的に生きてきた星野さんが、ナカタさんと知り合うことで自身の人生を振り返り、人生の意味と向き合うシーンは妙な説得力を持っていた。やはり村上作品は、主に男性が抱える、生の実感の乏しさに向き合うものなんだろうという気がする。
 上下巻を通して読んだ感想しては、ヴィタ・セクスアリスを描くことを通じて、自分の人生の手応えを掴みに行く青年の物語という印象。この世界には不可解で曖昧なこと、辛く耐え難いことが多々あるのだけれど、自身の人生を我が事として生きていく姿勢を肯定しようという思想が底流にある。読み易くて面白かった。欲を言えば、もう少し若い頃に読んでおけばよかった。

筒井康隆・蓮實重彦『笑犬楼vs偽伯爵』

 作家・筒井康隆と仏文学者・蓮實重彦の対談や相互書評、連載の往復書簡が一冊にまとめられた本。傍若無人なイメージの強い筒井が、蓮見に対して畏まった態度をとっているのがなんだかおかしい。蓮實の側も基本的には丁寧なのだけれど、時折鋭い批判をすることがあって緊張感がある。その鋭さには、一時筒井の『文学部唯野教授』におけるポストモダン評への不満から"筒井離れ"があったのだと終盤で明らかになるのだが、それを語ることを可能にした筒井の大らかさは偉大なんだなと感じた。
 書簡の中で、蓮實が同時代人である三島由紀夫を指して「みずからが病弱であることをまったくかくそうとしないばかりか、かえってそのことを誇っているかのごとき姿勢を心から軽蔑しました。」と書いていて驚いた。続く文章では「そんな三島に太宰治を軽蔑する資格などありはしない」とまで書いていて手厳しい。三島好きからすると蓮實の三島評には賛同できかねるけれども、同時代人からはそのように見えるのかと面白く読んだ。「具体性を無理に抽象的な語彙に置き換える」三島の態度を「運動神経の欠如」と見る視点は特に面白い。この時代の人の、文弱への軽蔑と肉体的な強さへの信仰を見て、かえって三島が何と格闘しようとしていたのか、三島に思いを馳せることになった。

夏目漱石『文鳥・夢十夜』(新潮文庫)

 漱石の小品集。「文鳥」「思い出す事など」「変な音」等、生の儚さと死が身近にあることを題材とした作品が目立つ。特に自身の闘病生活を綴った「思い出す事など」は長期の連載だったこともあり、何度も生と死の対比が繰り返され、生の尊さに感じ入っている様が印象深い。病床に伏せる間に「手間と時間と親切」をかけてくれる人々に触れて、「そうして願わくは善良な人間になりたいと考えた。」とあったり、家族や医師達の人情に触れて「本当に嬉しかった、本当に難有かった、本当に尊かったと、生涯に何度思えるか、勘定すれば幾何もない。たとい純潔でなくても、自分に活力を添えた当時のこの感情を、余はそのまま長く余の心臓の真中に保存したいと願っている。」とあるのを見ると背筋が伸びるような心持ちになる。

村上春樹『レキシントンの幽霊』(文春文庫)

 村上春樹の短編集。孤独をテーマとした作品が中心になっている。両親の死を思い出す「レキシントンの幽霊」や、恋人を得て孤独な時間を終えた男が、恋人を失い再び孤独になる「トニー滝谷」など。孤独という、言葉では表し尽くせない感覚を、なんとか掴もうとする作品群。
 印象に残ったのは、「沈黙」。ある日突然牙を剥く群集心理の恐ろしさが描かれていた。『ノルウェイの森』の学生運動家達の高慢さや、『海辺のカフカ』の学生運動家による凄惨な暴力など、村上春樹にとって徒党を組んだ人間達の醜悪さは許せないものなんだろうと感じた。

『カフカ短篇集』(池内紀編訳、岩波文庫)

 『海辺のカフカ』に出てきた「流刑地にて」が読みたくて購入したカフカの短編集。「流刑地にて」は、異国に赴いた西洋紳士が野蛮な処刑装置を目にする話。結構グロテスクで読むのをやめそうになった。『海辺のカフカ』における「ジョニー・ウォーカー」の最期もここが参照元だったのだと知れて良かった。
 次いで印象に残ったのは「中年のひとり者ブルームフェルト」。前半の摩訶不思議なボールについてはよくわからなかったけれど、後半の労働者の悲哀の描写が面白かった。いくら産業構造が変わって働き方が変化しても、人間が労働する中で抱える悩みは昔からそう変わらないのかもしれないと思った。
 その他の短篇についてはいまいちピンと来なかった。

近藤絢子『就職氷河期世代 データで読み解く所得・家族形成・格差』

 1993年〜2004年に高校や大学などを卒業して社会に出た就職氷河期世代。動もすればその悲劇性が強調されがちなこの世代を、統計的な手法を用いて評価する一冊。
 4章で「就職氷河期世代以降、所得分布の下位層の所得がさらに下がることによって、世代内の所得格差が拡大」していると結論づけられているのを見て暗い気持ちになった。終章では、生活保護受給の要件は満たさない就労中の低所得層への経済的支援の必要性が説かれているけれど、現役世代の所得が下がって税収も減少する可能性がある中、どうしたらいいんだろう...。
 面白かったのは2章。就職氷河期以降、漠然と若年層の雇用状況の悪化が少子化を招いていると考えられているが、統計的に有意なデータは無いとされていて面白かった。

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