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Plastic Loveを真面目に考えた件

先にPlastic Loveを知らない方へ…

「プラスティック・ラヴ」は当初、1984年発売の6thアルバム『VARIETY』の収録曲として発表された。
竹内が作詞・作曲を手がけ、アレンジ・プロデュースに山下達郎を迎えて制作されており、山下はギター演奏も行い、 中西康晴(エレクトリック・ピアノ)、伊藤広規(ベース)、青山純(ドラムス)らによる演奏とともに竹内の歌唱を支えている。
歌詞は「都会暮らしの若い女性による自由恋愛」という極めてフィクショナルなテーマを独自のセンスで描いている。

※引用元・Wikipedia

何故、令和に評価されたのか。

 確かに昨今、北米や韓国を中心にPlastic Loveだけに留まらず、80年代初頭に流行した、所謂"Japanese 80"s City Pop"というジャンルが再評価され大ブームとなっている。

真夜中のドア 松原みき
亜蘭知子 midnight pretenders


 
 確かに前述した"世界的なブーム"で竹内まりやが再評価されるのは、自然な流れではある。
 しかし元来シングルリリース時の一カップリング曲だった竹内まりやの"Plastic love"が時を経て令和に爆発的なヒットを起こした理由って、単に「セブンスノート・進行の80's city popというジャンルが再評価された」点や、一過性のブームという理由だけに留まらない他にこの令和の時代で流行るもっと別な理由があるんじゃないかなと私は考察している。
 下に現代にリメイクされたMV映像を添付したので、どうか視聴して頂きたい。

令和の恋愛イデオロギーとPlastic Love


 リリース当時の1984年は歌詞のような薄弱でドライな男女関係というものは、まだまだ御法度とされており共感が少なかった。
しかし現代は本来見なくても良いもの迄も嫌な程に可視化されてしまい、普遍的な純粋恋愛をする事に対しても疲弊してしまう。そこから"多様性"や"自由恋愛"とかいう耳障りと都合だけ良い言葉を用いて、不道徳な男女関係に逃避する。
そこで湧き上がる自己嫌悪を払拭し自己陶酔させてくれるこのPlastic loveの歌詞は、一種の麻薬のような効果があるのかもしれない。

この曲に対して共感を抱いてしまう"疲れた人"に溢れる現代は、それ程に貞操観念とか純愛という神話が壊れ、乱れに乱れている事を象徴しており少し寂しいと感じる。

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