親の役割
親の役割とは何か?と言えば、答えは人それぞれかもしれないが、
衣食住そして教育をきちんと受けさせることが基本だと思う。
(愛情を注ぐことは当たり前だけれども。)
しかし、教育と言っても学校の勉強のことだけではないと思う。
先日、地元のプロバスケットチームの試合に友人と出かけた。
コロナ禍もあり、久々の生の観戦でわくわくしていた。
試合は残念ながら負けに終わり、帰りは友人とプレーについてあれこれ私見を述べながら帰途についた。
地下鉄の駅まで10分弱だけれどその日は雨で、観客は傘を差しながらレミングの行列のように、駅までゾロゾロと歩いていた。
そこへ、突然無理やり人をかき分けながら割り込んでくるおっさんが出現。さらには、その後を追いかけるように小学生くらいの男の子が傘をさしたまま、私に横に突っ込んできたのだ。当然私の体にその子の傘がぶち当たった。たぶん、後ろの人にもあたっていたはずである。
しかし、その子は謝りもせずにそのまま、傘を人の体に当てたまま、無理やりさらに先へ進もうとしていた。
黙っているわけにはいかなかったので「危ないでしょう、何やってんの」と大声を張り上げた。男の子は私の方を振り返ったが、またそのまま行こうとするので、「傘をさしてんのに無理やり割り込んだらダメでしょう。親は何やってんだ―。子供より先に行ったら、子供が慌てて追いかけるでしょう。親が悪いぞー」と叫んだ。すると、その子の親と思しきおっさんは、ちらっとこちらを見た。でも、何も言わない。
男の子にも言わない。
「傘の先は危ないんだから、人の顔に当たったら、目とか失明するよ」と言った。そして「私の従兄は事故で失明してんだから」と隣の友人に話した。
流石にヤバいと思ったのか、そのおっさんは、先へ行くのをやめて子供と並んで歩き始めた。でも、周りへの謝罪はない。
友人が「最近こういう人いるんだよね。自分さえよければ良くて、自分の子のことですら、気遣えない人」と言った。おっさんに聞こえるように。
おっさんが、急いでいた理由は知らないけれど、観戦客が帰宅するために集団で駅へと向かっている、混雑した、それも雨で傘をさしている状況で、自分だけさっさと人混みをかき分けて先に進もうとする行為は、大人として、親としてどうなんだろうかと思う。
子どもは置いていかれないように、親の後を無我夢中で追いかけていたのだと思う。でも、他にも子供連れもいたし、子供の目にその子の傘の先が突っ込んだら大事になっていただろうと思う。
想像力の欠如、危機管理のお粗末さ、夜で足元も暗い雨の状況での迷惑な行動、どれをとっても、言い訳できないと思う。
親の行動を見て、やっていいことや悪いことの基準を子供は学んで大人になっていく。勉強だけが教育じゃない。日々の生活の一一つ一つの親の行動が、子供が大人になるためのお手本であり、道しるべになると私は思っている。子供は生んだだけで終わりではない。あくまでもスタートであり、その後の方が大変だと思う。
その覚悟がない人には、子供を持たないでほしいと思っている。
知人のカウンセラーも「親の検定が必要だよ」と嘆きながら言っていたが、私も賛成だったりする。
仕事柄、親のせいで病んでいる子供を多く見てきている。
その親の多くが自分自身が未熟で、自分勝手で、自分の価値観を子供に押し付けているケースがほとんどだ。子供を苦しめるために生んだわけではないだろうに。
親の役割とは何か、子供を授かったら、よく考えて欲しいと思う。
楽しい試合観戦に変なケチを付けた出来事だった。
追伸;そのあとイケアに行って、美味しい夕食を食べ、雑貨を買って気分直しをして帰ってきた。気持ちの切り替えは自分でするしかないからね。