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消えた色
消えた色
美咲は16歳。鏡の前で立ち尽くすたび、胸が締め付けられる。首から肩にかけて広がる茶色の斑点、腕に点在するこぶのような腫瘤。神経線維腫症――その名前を知った日から、美咲の心は少しずつ壊れていった。
小さい頃は「そばかすだね」と笑えた。友達も優しかった。でも、中学生になって腫瘤が目立つようになると、視線が変わった。体育の更衣室で「何それ、気持ち悪い」と囁かれた日、長袖の下に自分を隠すようになった。それでも、こぶの感触は消えない。自分の体が自分を裏切っているみたいで、夜ごとに涙が溢れた。
母さんは「美咲は美咲でいいんだよ」と繰り返す。でも、その言葉は空っぽに響く。学校の廊下で知らない子がじっと見つめてくる。電車で隣の人がそっと離れる。誰も何も言わないのに、その静けさが美咲を切り刻む。「普通じゃない」って。
美術の時間だけが救いだった。キャンバスに色を重ねる。隣の優子が「美咲の絵、すごいね」と言ってくれた日、初めて心が軽くなった。絵の中では、美咲は自由だった。現実を忘れられる、唯一の場所。
でも、ある日、学校のトイレで耳にした言葉がすべてを奪った。「あの子、気持ち悪いよね。生きてる意味あんの?」同級生たちの声だった。そこには友達だと思っていた人もいた。
笑い声が壁に反響して、美咲の耳に突き刺さる。家に帰っても、その言葉が頭から離れない。鏡の中の自分を見て、「どうして私なの?」と呟く声が震えた。神経線維腫症は治らない。未来はただ暗いだけ。
母さんが気づいた時には遅かった。美咲は部屋に閉じこもり、絵筆を握らなくなった。優子が訪ねてきてもドアを開けない。キャンバスは白いままで、色はもう生まれなかった。母さんの「大丈夫だよ」という声さえ、遠くに聞こえるだけ。
ある雨の夜、美咲は静かに家を出た。近くの川縁に立ち、冷たい風に身を任せる。腫瘤の感触も、視線の重さも、もう感じたくなかった。「私じゃなくていいよね」と呟き、水面に映る自分の影を見た。雨がその姿をかき消す前に、美咲は一歩踏み出した。
翌朝、母さんが見つけたのは、机に残された白いキャンバスだけだった。そこには、色は、なかった。
おしまい。