私のチャレンジと誰かのチャレンジ
「半年後に会社を辞めます。ワーキングホリデーで海外に行きます。」
有給休暇を利用して人生初めての海外旅行から帰ってきた私が、当時の上司に放った言葉。多分、その時だけ私は肝が据わっていた。
予想通りではあったけれど、ものの二秒で反対された。旅行で浮かれているんだろうと思うのは無理もない。旅行に行ったばかりで勢いがついていたのは本当のこと。けれど私の心は浮ついてなんかいなくて、寧ろどーんと座っていた。
上司のように反対する人は他にもたくさん。遂には社長室にまで呼び出され、人生を棒に振るなと教えを説かれた。君には女性を代表する立場としてキャリアを築いて欲しいから海外へ遊びに行くなんて勿体無い、と。でもそれは彼自信が望んでいるキャリアの中に社員Aとして登場する私のキャリアであって、私のものではないと思った。
どうもワーキングホリデーというものはホリデーだけが注目されてしまい、評判が良くなかった。一年という限られた時間の過ごし方は人それぞれだけれど、三十歳を目前に今持っているものを手放すことを心底心配された。築いてきたものが全て無くなるんだぞと、脅されるかの如く。
「安定が一番よ。」
父にも母にも祖父母にも何度もそう言われて育ってきた。地元では割と知られている会社に勤める私を見て、家族は安心していたと思う。
私はというと、「安定」にこそ不安を抱いていた。この安定の先に続く未来は果たして明るいのか?そう自問自答してみて分かったことは、このままでは光が見出せないということだった。
そんな折、ニュージーランドへ人生初めての海外旅行。海の向こう、国境を超えた土地へ。
大袈裟ではなく、心が動いただけでは済まされなかった。心は解き放たれ、細胞がるんるん踊って、魂がのびやかに歌っていた。本当に生まれてはじめての感覚だった。
ビーチを眺めながらまた海外旅行がしたいと隣で呟く友人に全く共感出来なかったのは、その時私は既に海外で暮らしたいと想像を膨らませていたからだった。
実は二十歳の頃から行ってみたいと思っていたワーキングホリデー。当時は母の反対を超越した激怒に対して何も言えず、奨学金と車のローンを抱えていたこともあり、日本で社会人として生きる道をそのまま進んできた。
そして二十七歳。ワーキングホリデーの年齢制限まであと三年。もしもこのまま行かない選択をして四十歳になったら?きっと私は、「あの時ワーキングホリデーに行っていたら違っていた。」「でも母が反対したから。」そうやって自分の人生が楽しくないことを自分以外の何かや誰かのせいにして生き続ける。そんな想像が安易に出来てしまって、それだけは絶対に嫌だと思った。
何事にもタイミングがあるとすれば、それはきっと今だ。根拠も証拠もないけれど、自分の心と細胞と魂が、そう叫んでいる気がした。
行こう。行きたい場所に行って、やりたかったことをしよう。生きたいように生きてみよう。私はそう決めた。
決断したら、まずは母に思いを伝えた。母にこそ応援してもらいたかったから。二十歳の頃とは打って変わって私の意志が固かったからなのか、母はすんなりと了承してくれた。だってもう決めてるんでしょ、何言っても行くんでしょ、と。二十歳の頃の私は迷いだらけで、母はそれをお見通しで引きとめていたのかもしれないと思うと、感謝の気持ちが溢れた。
冒頭に書いたように、反対する人もいた。ただ羨む人もいた。そして応援してくれる人もいることは素直に嬉しかったけれど、応援以上に嬉しい反応がいくつかあった。
それは、私のチャレンジに影響されたと言って、行動を起こす人たちがいたことだった。
ずっとしてみたかったソロキャンプに挑戦してみる、一人暮らしを始めてみる、47都道府県制覇の旅を計画してみる、、、そんな連絡が、私の元へ届くようになった。あなたの決断と行動力に感化された、ありがとう、と伝えられた時に感じた嬉しさは、それまでの人生で初めて感じるものだった。
自分が自分のためにした決断が、誰かの背中を押している?自分の行動が、周りにポジティブな影響を与えている?ましてや勇気を貰ったと感謝までされている?それがもし本当ならば、こんなにも嬉しいことはないと思った。
相手がどう思うかばかりを気にして、自己犠牲をしては被害者意識が増していく日々だった。いつも誰かが羨ましくて、私じゃない誰かになりたくて、そんな自分は可哀想だとさえ思っていた。でも誰にも嫌われたくなくて、争いたくもなくて、一歩踏み出すことを躊躇ってばかりだった。
そんな私だったはずの私が、これまでの人生で最も思いきり自分のことだけを考えて決断したことで、周りの人に良い影響を与えられた。私はこの時、おそらく初めて、ちょっぴり自分を誇らしいと思えた。なんか今の私好きかもと、ようやく思えた。
自分で決断すること、自分でチャレンジすることって、こんなにも嬉しくて、気持ちの良いことなんだ。私の心は、初めての海外旅行先ニュージーランドで見た青い青い空のように、澄み渡った。
私が会社を辞めることを引きとめようとした当時の社長のことを両親に話した時、すごく良く考えてくれてるじゃないと、ふたりは感動すらしていた。確かに、私のこれからに期待をしてくれていたことは素直に嬉しいと思えることだった。
それでも私は頑なだった。私は誰かの期待のために生きてはいけない。私の生き方を誰かに決めてもらってはいけない。一度だってそのことに気付いたら、もう揺ぐことさえ出来なかった。
自分で考えて自分で決めたことを、自分で行動に移したこと。そしてそこには、周りの人の支えがいつも在ったこと。それらが、私が最も誇るもの。
何かにチャレンジしてみた時、いつもの場所から一歩外に出てみた時、自分のことを知れるのはもちろん、自分が身を置いている環境についても知ることが出来る。自分は可哀想な人間だろうと俯いていたはずの私は、自分がどれほど幸せで自分が置かれている環境がどれほど有難いだろうと思う人間に変わった。
ワーキングホリデーなんて行ったら全てを失うぞと散々言われたけれど、あいにく私はたくさんのものを得た。それは経験であり、友人であり、思い出であり、新たな興味であり、たくさんの話のネタである。全ての人にとってこのプログラムが良い方向に作用するかは分からないけれど、少なくとも私は、本当にチャレンジして良かったと心から思っている。
そして自分のチャレンジが他の誰かのチャレンジに繋がる可能性があると知れたことは、素晴らしい経験だった。実際ソロキャンプに挑戦した人からは山の写真が届いたし、あの時一人暮らしを始めた友人は今も彼女自身の生活を楽しんでいる。47都道府県制覇の旅は、いま何処まで進んでいるだろう。
私にも出来たからあなたにも出来るよなんて無責任なことは言えないし、何かにチャレンジすることを強要するつもりもないけれど。私はチャレンジしたよ、ということだけは、ここに書いておこう。きっと何処かの誰かへと繋がるかもしれないから。