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たったひとりの人しか愛せない私と、ノマドランド。



私は、生涯でたったひとりの人しか愛せないのではないかと思うんです。


最近、恋愛とは無縁な生活を送っています。以前も書いたように、恋愛を探し求めない生活はとても楽です。それでもやはり恋愛に対して憧れのような気持ちもあって。愛し愛されることは、素晴らしいものだろうなと思います。

恋愛=お付き合いとするならば、私は恋のその先へ進んだことがありません。それは、好意を寄せてもらうことに耐えられなくなってしまう蛙化現象だったり、私自身がデミセクシュアルというセクシュアリティだからだと思っていました。

けれど、最近気付いたんです。

私は生涯でたったひとりの人しか愛せないと思うから、恋愛に対して異様に慎重なのかもしれないということに。


飼っていた愛犬が天国へ旅立った時、私はこの先一生ペットを飼わないだろうと思いました。飼わないのか飼えないのか、おそらくどちらもだと思います。

同じように凄く悲しんでいた妹は、その子とのお別れから3年が経つ頃にわんこを飼い始めました。妹のわんこに対する愛情は深いです。彼女は先代の愛犬のことを本当に可愛がっていましたし、飼い始めた愛犬のことも本当に可愛がっています。

頻繁に会うので、やはりいいなぁと思います。それでも私はきっとこの先も、ペットを飼わないんだろうなと思います。

私にとって愛するわんこは、あの子だけで充分だという気持ち。だから飼わない。
そしてお別れの悲しみを味わうのは、もうあの一度だけで充分。だから飼えない。




愛は溢れてくるものだから、きっと何度だって、人は誰かや何かを愛せるんだと思います。

それでも私は、終わりを怖れて深く愛することを躊躇うのかもしれません。臆病だとか間違っているとか悲観的だとか、そんな風に思われても仕方がない気もします。その通り、臆病なんだと思います。傷つきたくないだけなんでしょう。

恋人のいたことのない私に「もったいない」という言葉をかける人たちがいます。その言葉通り、経験した方が良い何かが恋愛にはあるんだろうとも思っています。それでも、誰かを愛することは、とても勇気のいることです。


映画「ノマドランド」を観た時、主人公が“それでも旅を続ける理由”を感じました。

先日アカデミー賞を受賞した作品。家を持たないで旅をするノマドの生き方にフォーカスされた映画です。

旅をしながら生きる。家を持たず車で寝泊まりをする。仕事とお金の厳しい現実。行き着く先々にある出逢い。

そんな生き方が注目を浴びていますが、私は主人公のファーンが、自由を愛して心の向くままに旅を続けているとは思えませんでした。

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ファーンの愛する夫は病気で亡くなりました。その後もその町にひとりで住み続けた彼女でしたが、不景気が影響しその町が閉鎖された時、ファーンは車で旅を始めるのです。思い出と共に。

旅の道中、そこには沢山の出逢いがあります。友人というよりは、仲間でしょうか。其々のストーリーに胸を打たれもしました。そんな中、ファーンに好意を寄せる男性も現れます。

彼は孫が産まれることをきっかけにノマド生活を終える機会が訪れるのですが、背中を押したのはファーン。後日その家に招待されると、そこにはすっかりおじいちゃんとお父さんの役割を担うノマド仲間だった彼がいました。

彼はファーンに問います、「ここで一緒に暮らさないか?」と。彼女は、頷きませんでした。


ファーンが彼のお孫さんを抱っこするシーン。私には彼女が、愛情を注ぐことにブレーキをかけているように感じました。きっと彼女は一度愛してしまえばとことん愛してしまう。だからこそ、人から、愛から、一定の距離を保っている。

それでも彼女が行く先々で愛されるのは、彼女の根っこの部分に愛があるからなのではないかと思えます。彼女は確かに夫を愛していました。

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愛する夫を亡くして旅をするファーンは、左手の薬指に指輪をはめたままです。旅先で出逢った人が彼女に言います。

「指輪はサークル(円)でしょう。つまり愛と同じで、終わりがないの。」


ノマド生活で出逢った彼のことを愛して、彼の家族と暮らすこともファーンには出来たのではないかと思います。それでもそれを選ばなかったのは、まだまだ新しい景色を見たい。車の中で眠る方が落ち着く。という理由ではない気がしました。

「思い出は生き続ける。私はそれを引きずり過ぎたかもしれない。」


終盤でそう言葉にしていたように、彼女は新しい誰かや何かを愛することで、夫や夫との思い出を愛することを終わらせたくなかったのではないか。指輪を外したくなかったのではないか。


そして、大切な人や大切なもの、離れがたい場所を手にすることが怖かったのではないかと感じました。愛しいそれらに、さよならを告げなくてはならない経験をした彼女だから。

「See you down the road.」

いつかどこかでまた会おう。


ファーンの仲間が別れの際に決まって口にする言葉です。ノマド生活には、「さよなら」がありません。それこそが彼女の求めているものなのではないかと思いました。彼女がノマド生活を続ける理由は、そこにある自由さでも新しさでも刺激でもなく、さよならがないから。

私は、そんな風に感じました。

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この先もしも私が誰かとお付き合いをするのなら、そこに永遠や一途で在ることを求めてしまうと思います。結婚というカタチにこだわりはないけれど、結婚が永遠を意味するのならば、私は付き合う=結婚だと思います。

そして、愛する人は一生に一人なんだ、と思ってしまいます。深く考えないで付き合ってみたら?という言葉が腑に落ちない理由は、これだと思うんです。

愛は付き合っていく過程で深まるものであるとは思いますが、それでも深く考えないで恋愛は始められないんです。誰かひとりを愛することって、まさに人生の一大事なんです。

恋愛でしか出来ない体験や感じることのできない気持ちを経験している人のことを、羨ましく思うこともあります。けれど、羨ましいという気持ちは、怖いという気持ちを超えられません。

ファーンが多くの人に心配されようと引き止められようと旅を続けるように、いくら時代遅れだ夢物語だと言われても、私はたったひとりの愛する人に出逢うまで、ひとりで生きると思います。


誰もが旅をしている。その道の上できっと沢山の出逢いがある。すれ違うだけの人、笑顔で挨拶をし合う人、転んだところに手を差し伸べてくれる人、同じタイミングで星空を見上げる人。

たったひとりの人に、明日出逢えるかもしれないし、それは5年後かもしれないし、10年後かもしれない。もっと先かもしれない。それは誰にも分からないけれど、いつか必ず。そう信じていたい。

だから、今日を生きるんだと思います。

新しい景色や素敵な体験、仲間との出逢いがあるかもしれない。たったひとりの人を愛するかもしれない。

今日という日のその先を夢みて、旅は続きます。

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※劇中の台詞を丸暗記できた訳ではないので、記述した台詞は一言一句合っているわけではありません。ご了承ください。


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風音 ぽっぽ
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