メタバーストWeb3(國光宏尚) 2
NFTブームにより、ピュアなデジタルデータにもコレクション価値があるということについて「おそらくイエス」ではないかという感じになってきた。
リアルな世界でも見た目ほぼ一緒のブランドバックでも偽物だとわかるとダサいと感じて、無価値になる。デジタルでも同じような意識が生まれてきた。さらにNFTなら証明書がついているので目利きが不要で、誰でも真贋を確かめられる。
NFTとは、①デジタル証明書がついてる(メタデータ)、②スマートコントラクトでクリエイターに半永久的にマージンが入る、③供給量を制限できる。
プライマリーだけではなく、セカンダリーでもクリエイターに収入が入る構造になっている。コスト要らずで無限にコピーできるデータだと価値がなかった、ただ現実的にコピー不可能なデータには価値がある。
ブロックチェーンゲームを展開するにはNFTだけでは足りない、そこに独自のトークンが必要になる。
NFTは売却可能な入場券であり、トークンがインセンティブになる。
DAOの最小構成はビジョン、それに賛同した人たちが形成するコミュニティ、そして独自トークン。
DAOは「意思決定の民主化」ではなく「インセンティブ革命」である。そのプロジェクトの成功のために動くことがコンセプトで肝になる。ここがWeb2.0との違いにもなる。中央集権型だと成功しても、インセンティブを得るのは創業者と一部のVCだけ。応援者・参加者にメリットのある仕組みになっていく。
メタバースは価値の拡張
メタバースにより(既にVRでも)さまざまな場所に行けるが、重要なのは体験と認知の違い。ディズニーランドのメタバースができたとして、それで満足するかというと、逆にリアルで行ってみたいとなるはず。リアルが淘汰されるということではなく、価値の拡張は進んでいく。
メタバースにおいてインパクトがあった事象は人類史上初めて人生が見た目によって左右されなくなったということかもしれない
私たちは外見を軸に社会の中で性格を定義づけられています、例えば男性なら男らしくというように。それがアバターによって見た目と性格が分離されて、本当の自分が出てくるかもしれない。私もそうだが、コミュニティごとに少なからずキャラクターが違うと思う。リアルで満足している人はそれでいいし、そうじゃない人には救いの場所なのかもしれない。救いの場所と書いた時点で、私はまだまだネット世界をみくびっているのかもしれないと気づいた。
ハードフォークによりPDCAが回せる複数の社会体制の構築
バーチャルの世界でさまざまな実証実験ができる。確かにベーシックインカムは議論してるだけで、現実になる気がしないし、バーチャルで試すはありだと思う。