初歩中の初歩の技術が、もっとも難しいのかもしれない
条件の演劇祭Bチームの休演日。昨夜は遅くまで起きてしまっていたので、11時半に頃に起きる。
終演後すぐにツイッター・スペースという過酷な日程をなんとかクリアーして最終電車の1本前に乗りこむ。こんなに遅い時間に帰っては家人に申し訳ないので、作業場として借りているシェアハウスに帰った。
シャワーを浴びてから、空腹を満たそうと共用スペースに下りるとシェアハウスの住人につかまって45分くらい喋った。喋るとはいっても、僕は相手が喋っているのをずっと聞いているだけで、相手が話しやすいように適当なタイミングで相槌を打つなどしていた。そろそろひとりになりたい気持ちがいっぱいになってきたため、時計の針が深夜2時をまわったタイミングで、
「すみません……」
と自室に引き下がった。ツナをあてにしてクロンバッハのヴァイツェンを飲んだ。330mL。そして焼酎ハイボールを500mL。
本番期間中のため忙しくて酒の量が減っている。そのおかげか肝機能が随分と回復しているみたいで、ほとんど酔いがまわらなかった。ネットフリックスで『全裸監督』を観る。
『サンクチュアリ 聖域』を観たくてネットフリックスを契約した。というか、もっと正確に言えば『サンクチュアリ』以前から僕はネットフリックスのことが気になっていた。
「ルール」と「自由」の関係を探りたさにこの本を注文した。注文したのはいいが、ずっと本棚にしまわれたままになっていた。ネットフリックスを契約するかどうかを迷っていた際に、「これを読んでみて、契約するかどうかを決めよう」と思った。
今ちょうど半分くらいまで読み終えたところなんだけれど、率直に言って、この本を手にしてほんとうによかったと思っている。もしも僕が「ルール」と「自由」の関係性を探りたさにフーコーなんて読んでいたら、僕の思考はより独特なものになって、ますます他人との調和をとりづらくなっていたと思う。
哲学は、ときには机上の空論になってしまう。いわゆる哲学書で語られている理論を実践するのは難しい。そのために、ノンフィクションやビジネス書というジャンルがあるのだと思う。これらの類の本は「実践」のために語られている。
しかし、僕は哲学書を批判的に捉えたいわけではない。深遠な思考を醸成していくためには孤独になり、自身の想念を抽象言語で捕らえていくプロセスが必要なのだ。
僕が抽象言語で書き綴ったり、口頭で説明してきたことも、ぺぺぺの会の俳優たちが「実践」してくださったのを通して、やっと具象の言葉で喋れるようになってきた。今作『太陽と鉄と毛抜』の稽古場では、とくに。俳優に対して具体的なオーダーができるようになってきたという手応えがあり、これは少しばかり成長することができたかな、と自分をいくらか褒めてあげる。
けど、俳優を惑わせないように具体的なオーダーをして、作品をより良いものにしていくというのは演出家の、初歩中の初歩の技術だから、僕はやっとスタートラインに立ったのだ、ということになる。しかし、その初歩中の初歩の技術がもっとも難しいのかもしれない、とも思う。
とはいえ、僕が今回具体性のあるオーダー(率直なフィードバック)をしやすかったのは、ぺぺぺの会の俳優たちのおかげでもある。
演劇ジャーナリストの徳永京子さんとのツイッター・スペースでも話題に上がったが、今回出演してくれている俳優たち(いずれもぺぺぺの会会員)はテクニックもあるし、パッションもあるし、イズムもあるし……ほんとうにすばらしい人たちだと思う。僕は心から尊敬しているのだけど。もしかしたら、僕が率直なフィードバックをすることができたのは相手がかれら3人だったからかもしれないな、とも思うのだ。3人とは長い時間をともに過ごしてきたし、お互いがなにを求めていて、なにを求めていないのかを共通言語で——あるいは口にしなくとも——すぐに把握できてしまう。そんな間柄だと思う。僕はこの演劇祭(条件の演劇祭)に集ったカンパニーと自分が所属するカンパニーを観察していて、「劇団って、やっぱり家族みたいなものなんだ」と思った。というか、「やっぱり家族みたいになってしまうんだね」と。