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ぽっぺのひとりごと(78)歌を忘れたカナリア
パンデミックが私の長年の趣味を休止させた。
それは歌うこと。
私は幼い頃から、誰もいない場所で歌を歌ったり、物語の人物になりきってセリフを言ったりしていた。
中学校、高校では合唱部。
大人になってからも、こっそり一人で歌っていた。
友人から誘われて女声合唱団に入った。友人が止めても私は残り、10年続けた。市のコーラス・フェスティバルに毎年参加し、水を得た魚のようだった。
指揮者の先生のご都合で合唱団は解散したが、私は先生のお宅に通い、本格的に声楽を学ぶことになった。
コロナが怖くて休止するまで、ちょうど10年続けた。
先生は地元では有名なソプラノ歌手で、オペラに出演されたり、リサイタルを開かれたりと活躍されている。熱心な方で、イタリアに留学したり、世界のプロによるマイスター・クラスを受講したりなさっている。
そんな先生だから、芸術の道には非常に厳しい。ベルカント(美しい歌唱)を目指し、マイクは無し、楽譜も無し(暗譜)。
先生は地声を嫌う。美しく、響きのある声でなければならない。
「今、地声が出たっ!」
「空気が整っていない!」
「もっと横隔膜を使って!」
「裏声はダメーっ!」
と、先生の声がビシビシ飛んでくる。
厳しい先生に耕されたお陰で声が整い、ソプラノの音域が拡がった。
上の「ソ」まできれいに出るようになった。
生徒は20人くらい。年に一度の発表会は2部構成で、音大卒業生と音大受験生は2部に、アマチュアは1部に出演と決められている。2部ではオペラ・アリア(主にイタリア語)を歌う人が多かった。私はヴェルディを歌う声は持っていないので、ドイツ歌曲を中心に、イタリア歌曲、アイルランド民謡などを独・伊・英語で歌っていた。ミュージカルの曲もよく歌った。
先生からお借りしたドレスを着て、コンサートホールの舞台で、ライトを浴びて・・・。
シューベルト作曲の『糸を紡ぐグレートヒェン』を歌えたことは大きな喜びだった。
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舞台の袖で出番を待っている時の怖さといったら! 頭の中は真っ白で、歌詞さえ消し飛んでしまう。でも、ステージに登場すると、そこには違う私がいて、震えている私を落ち着かせ、しっかりしろと励ましてくれる。
私は音楽の神様に祈り、作曲家に対して、「つたない演奏ですがベストを尽くします。」と誓う。
日常生活では味わえないあの感覚。
2019年7月15日、私はピンクのドレス姿で、ドイツのオペレッタ映画『会議は踊る』(1931年)の主題歌『Das gibt's nur einmal (唯一度だけ)』を歌った。それが私の最後のステージとなった。
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教室に行かなくなって4年と10か月たった。
コロナの感染者が減ってきても家から出たくなかった。
バスに乗り、電車に乗り換え、隣の市まで行くのがおっくうで、団地の急坂を登って行くのがキツイから。
コロナやインフルエンザが大流行していて危険だから。
歌いたい曲 " A Time For Mercy "の楽譜が出版されていないから。
自分にあれこれ言い訳をしながら、グズグズしている今の状況。
再び歌いたくなる日はくるのだろうか・・・。
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