我が青春のドイッチュラント エピソード(1)霧の中を歩いた
旅の途中、ドイツの地図を見ていたら、中部に「ミュメンゼー」という名前を見つけた。テオドール・シュトルムの『みずうみ(イムメンゼー)』に似ているという、それだけの理由で訪れてみた。
小さな村の小さな無人駅。ぶらぶら歩いて行くと、ガストホフ(料理店を兼ねた小さな宿屋)があった。空室があったので助かった。40代の夫婦だけでやっていて、子供達が手伝っている、家庭的な雰囲気の宿だった。
夕食を頼んで、真ん中の壁際の席に座った。奥さんがあちこちに電話をかけていて、「ヤーパン」という言葉が耳に入ってきた。
ヴルスト(ソーセージ)やザウアークラウト(醗酵キャベツ)に舌鼓を打っていると、村人達が次々に入ってきた。私に向かって会釈したり、じっと見つめたり、目を逸らしたり。
どうやって食べるんだろうか、ナイフ・フォークは使えるんだろうか・・・心配そうに見ているが、視線が合うとサッと逸らす。
そうか、日本人(たぶん東洋人全般)を見たことがないんだ。いやあ、こんなんですけど、よろしく。鼻は低いが、ナイフ・フォークは使えるよ。
翌朝、下手なドイツ語で尋ねた。「湖を見に行きたいのですが。」と。ご主人は「山の上なのでバスで行くといい。」と言って、バス停までの簡単な地図を書いてくれた。
バス停に向かっていると、大型のツアーバスがやってきた。私を見つけた人が手を振ったので、私も振り返した。すると、「日本人だぞー!」 「まあ、日本人!」とか騒ぎ出して、全員が手を振ってくれた。後から来たバスも同様で、窓に鈴生りになって手を振ってくれた。昨日といい、今日といい、珍獣を見つけたような騒ぎで、面白かった。
バスが来た。乗客は私一人。10月下旬、左右に針葉樹の森を眺めながら、くねくねと山道を登っていった。時折、銀杏の黄色が黒っぽい樹々に映えて、ハッとするほど美しかった。
中年の運転士さんは「英語が話せればなあ。」、私は「ドイツ語が話せればいいのに。」と、互いに思いながら(?)、1時間もの長い間、車内はシーン。
湖のすぐ傍が終点。山小屋風のホテルとお土産屋さんがあった。運転士さんはバスを降り、私に手招きをし、バス停の時刻表を黙って指差した。そうか、帰りの時間を教えてくれているんだ。この1本を逃すと、村へは戻れなくなってしまう。無言の優しさにジーンときた。嬉しかった。
湖はかなり大きくて、美しかった。1周しようと歩き出したとたん、さあーっと霧が出てきた。次第に濃くなり、2メートル先も見えなくなった。湖に落っこちないよう注意しながら、霧の中を歩いた。
現実とは思えない、夢の中にいるような気持ち。ときたま、誰かの声が聞こえる。時が止まってしまったかのような、神秘的な世界。ヘッセの詩『霧の中』をつぶやきながら、ゆっくり進んでいった。自分が詩人になったような気分で。
とても不思議な体験だった。
1周し終えてもまだ1時間以上時間があったので、寒くもあったし、お土産屋さんに入って時間を潰した。売られていたのはほとんど鳩時計。
時間通りにバスは来た。同じ運転士さんだった。また黙りこくって山を下る。
降車場で、私は「ダンケ!」と言って、彼に手を振った。彼は一瞬、笑みを浮かべたように見えた。