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ヴァイオレット・レター 【秋ピリカグランプリ2024】

「ヴァイオレットちゃん」。私のことをそう呼ぶのはあの人だけだった。
なぜそう呼ぶようになったのか、覚えていない。

上質の紙に紫のインクで書かれたあの人からの手紙。
彼は言っていた。「ヴァイオレットちゃんにピッタリの色にしようと、赤インクと青インクを調合しているんだ。」

あの人と知り合ったのは映画館のロビーだった。
J・レノンの『ビートルズ革命』を小脇に抱えた人。男性に声をかけるなんて一度もしたことがない私だったが、その人にはなぜかできてしまった。
「あの・・・、その本、どこで買われましたか。私、ずっと探しているんですけど、見つけられなくて。」
彼は、「僕はもう読んでしまったので、お貸ししましょう。」と言った。

1か月後、ここで返してくれればいいからって、私が返しに来なかったらどうする気だったのだろう。

約束通り、『短くも美しく燃え』の初日に映画館へ行った。
彼は来ていた。自然な流れで、一緒に映画を観た。生まれて初めて男性と映画を。これってデートなんだろうかとドキドキした。
若き伯爵と綱渡り芸人の娘の許されぬ恋。モーツァルトの美しい調べ。
実際に起きた心中事件を描いたスウェーデン映画。
今も深く心に刻まれている。

私達のデートは映画を観て、その感想を語り合いながら、公園で持参のお弁当を食べ、夕風に吹かれながら2時間か、それ以上歩いて私の家までと決まっていた。私達にはお金がなかったのだ。彼は大学生で、私は小さな雑貨店の店員だった。

夜道にぽっかりと、白いむくげの花が浮かび上がっていたのを覚えている。

誰もいない10月の海岸で、私達は空と海と砂浜を占領した気分だった。
私が「オール・マイ・ラヴィング」を歌っていたら、あの人がすっと私にキスをした。初めてのキッス。

仕事が休みの日には一緒に大学に行ったっけ。
私は一生懸命ノートをとり、彼に渡した。
「書いてくれてたとこ、試験に出たよ。ヴァイオレットちゃん、凄い!」
ニセ学生だったのに、誰よりも勉強していた気がする。

今日、片付けをしていたら、久し振りに見つけた。ブルーのギンガムチェックの包装紙を段ボールに貼って作った手紙箱。
6回も引っ越しをして、その度に多くの物を処分してきたが、この手紙箱だけは捨てられなかった。

彼からの手紙は5年間に300通を超えている。
彼が亡くなって43年の月日が流れた。
手紙を読み返すこともなくなってきていた。

一緒に暮らすようになって5年目に、31歳の若さで死んでしまったあの人。交通事故で、あっけなく。
私はパートナーと恋人と親友と双子の片割れを一度に失くした。

紫色のインクで書かれた手紙。
「ヴァイオレットちゃんへ」で始まる丸っこい文字。
白い上質の紙。
手触りまで覚えていた。
あの人が存在した証。
あの人に愛された証。

「君は太陽、僕は月。
君が輝けば、僕も輝ける」

文字が滲んだ。


(1170文字)


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