見出し画像

ザ•アリーナで大切なことを思い出した話

はじめに

 現在、様々なドラマを生みつつもSexy Zoneのアリーナツアー「ザ•アリーナ」が進行中である。今年は幸運なことに8月10日と11日の夜公演に入ることができた。10日は地元の友人A、11日は同担(菊池)のフォロワーと参戦した。わたしにとって今回のコンサートが横アリデビューであった。
 本記事は、いつも円盤で観ていたあの横アリで、約1年ぶりに動くSexy Zoneを観て感じたことを、掻き立てられた激情のままに理性を失い綴った独白である。誰のためでもない、自己満足の、わたしがわたしの思いを記録したいがために書いたもので、ツアーレポとは全く異なるものであることをご承知いただきたい。故にツアーについてご存知でない方にとってはかなり不親切な内容であるとともに、シンプルに気持ちが悪いオタクだと自覚している。ただ、このツアーに参戦したことで、我が人生はさらに輝きを増した。生のSexy Zoneに触れると、いつも結果として自分との向き合いを強いられる。そんなオタクの呻き声に耳を傾けてやってもいいよというお方は、どうぞ聞いてやってください。

やっぱりさすがの企画力

 「ザ・ハイライト」が夏の檄オシャベストアルバムであったため、コンサートもシュッとしたものになるのでは?と想像していた。だからそれなりに見せ方に工夫をしたとは聞いていたが、まさかここまでオタク脳をズブズブに刺激され、ドーパミン大放出の結果になるとは思わなかった。顔よし歌よし踊りよしのSexy Zone、シンプルなパフォーマンスでも見せ物として十分成り立つのだが、エンターテイメントとしてもおもしろすぎた。ここからは、特にこれはたまらん、と思ったものを挙げていく。

既存曲のアレンジ

 コンサートでは定番のメドレーコーナー。Sexy Zoneの場合はデビューして10年が経つため、声変わり前のいたいけSexy Zoneが歌っていたあの曲たちを、美しい青年に成長した姿で歌ってくれるだけで大満足だ。だけどそれだけでは済まないのが今回のザ•アリーナだった。なんと、デビュー曲Sexy Zoneをはじめとした3曲が、80年代風アレンジで披露されたのだ。これがたまりませんでした。とんちき衣装で足出してローラースケートなんかしてちょけてるのだが、普通に曲のアレンジがいい。タイムトラベルとかHeatとかオシャレポップも大好きなんだが、もっともっとズンドコした4ビートの麒麟の子とか最高でした。思わず頭打ちに合わせて首を赤べこのごとくクネクネしながら聴いてしまった。相当好きなアレンジなので円盤化の際はぜひ特典CDをつけていただきたいです。
 コンサートの序盤ではあったが、この時点でザ•アリーナがエンターテイメントとしてとてもおもしろいコンサートだと確信し、また人に胸を張って紹介できるコンサートが増えちゃったなあとひとり悦にいるオタクであった。

ぼくたちおんなのこ

 わたしは女だ。Sexy Zoneたちは生物学上は男だ。でも、Sexy Zoneは女の子だった。完全敗退だ。SZ10THで初めて生で菊池風磨をみて、爆イケかと思いきや白いしなんかかわいくてびっくりして悔しくて、きくちよりかわいくなれるようにがんばるとかほざいてたわたし、はい残念でした。もうわからなかった。もしかしたらSexy Zoneが好きだから、贔屓目でこのように思っているだけかもしれない。世の中にはSexy Zoneと相思相愛の人間と、まだその愛に気づくことができていない人間の2種類が存在するが、ぜひ後者側にセクシーガール寝起きドッキリからのあの2曲を見せて問いたい。「どう思う?」と。世界一かわいい女の子じゃない?普通に恋しない?少なくともわたしは恋した。でもセクシーガールたちは本当にかわいいため、本人の意思に関係なくスクールカースト上位は免れない。さらに当時は学校崩壊が叫ばれていた時代、ヤンキーの彼氏がいるかは知らないが、そうでなくとも高嶺の花すぎて万が一同じ学校にいたとしてもぼくなんかがお近づきになれるわけはやっぱり、ない。あーあ。
 そう、当時。単なる女装ステージではなく、ちゃあんと昭和の女性アイドル風なのである。かなり完成度が高く、ネタをネタで終わらせないところに感服した。夢は夢で終わらなかった。歌い方まで女の子だった。かわいい歌をかわいく歌うセクシーガールズ、拷問のようだった。脳が溶けるとはこのことだと思った。永遠にI母音の伸ばしを聴いていたい。風子がさくらんぼを取り出した時、もう十分かわいさの暴力で息絶えそうなのに、この期に及んで何をするつもりなんだとほんとうに怖かった。バーカウンターで頬杖ついてグラスに入ったチェリーを囲むかわいいお顔がよっつ、、、うわああ、、、、「おいオタク、この画を脳に焼き付けろ、好きだろ?」という圧すら感じた。Sexy Zoneはいったいこちらをどうしたいんですか?かわいすぎて鳥肌がたったのは生まれてはじめてだよ。円盤化の際はもちろん日替わり映像が収録されると信じて疑っていません。
 コンサート後、友人Aはずっと「エミリーが、エミリーが」と鳴いていた。なので私たちはエミリーのことを「千鳥格子の悪魔」と呼んだ。翌日のコンサートはもう何が起こるか分かっていたため、「エミリーよ、僕はもうその瞳に惑わされませんよ。」という強い気持ちで臨んだ。エミリーは全然千鳥格子じゃなかった。僕は一体何を見ていたんだ。エミリーはやっぱり人を狂わす。世が世なら魔女裁判沙汰である。今が令和でよかった。
 でも、できることなら風子の舎弟になりたい人生だった。

混乱のRTT

 このご時世、ライブでの発声はご法度である。Sexy Zoneたちが我々と一体となって音楽を楽しむため、考案してくれたのが、上下に分かれてのハンドクラップである。まず、クラップ音が流れ、問いが投げられる。「この曲が何かわかるかな??」わかるわけなかろう。ツッコミも虚しくこちらにきくちと聡ちゃんが歩いてきたため、そこからの記憶はほぼ無い。まあまあ難しいリズムをにこにこと教えてくれたが、去年よりさらに綺麗になったきくちを見つめるのに必死で、どうやら我々は「Zチーム」であることにも、サビになったらクラップしてねとお願いされていたことにも気づかなかった。きくちって、こんなににこにこする人でした??わたしにだけやさしい大学の先輩じゃなかったの??何があった??売れたから??きくちは変わったの??昔からこうだった??だとしたらわたしは何をみていたの??きくちは去年よりずっと美しくなったし、多分媒体で見るより実物の方が圧倒的に、その、、、ね、、、いいし、聡ちゃんは天使でしかなかった。はやく空気清浄機のCMに出てほしい。
 企画の話がしたかったのにいつのまにか好きな男の話になっていた。翌日はふっつうにクラップ楽しめたから、ライブ感あってまじでよかったよ。

 その他、おもしろMCや夢にまで観たセーラームーンVTR、誰が考えたと聞きたくなるキンキラジャラジャラ破廉恥衣装、これで濡らされるなら本望の水演出、思わずベールを掻き分けて見いつけたしたくなっちゃう演出など、油断の隙もないコンサートであった。そして、あまりに自然すぎて気づかなかったが、Sexy Zoneって本当に歌がうまい。ライネクできくちの声が聞こえなくなった時、勝利くんが咄嗟にカバーしてくれたことで生歌であることをはじめて実感した。勝利くんは本当に仕事ができる男だね。コンサートについては止まらなくなるため、詳しい内容は省略させていただく。気になる方はぜひレポをご覧ください(他力本願)。

Sexy Zoneのことばの力

 各所で散々叫んできたし、同じ思いをお持ちの方はたくさんいるとお見受けするが、Sexy Zoneのことばの力ってほんとうにすごい。最後のあいさつでは素直に「こころ」を見せてくれていると感じる。そして彼らのこころは限りなく純粋で透明で気高い。
 最後のあいさつでは、一貫したメッセージが個々にありながらも、その日その時の生の感情を丁寧に適切に言葉にしてくれる。佐藤勝利くんの「昔はセンターだからと気を張っていたけれど、いまはステージに立っていることが本当に楽しくて。」ということばが本心からのものであることが痛いほど伝わってくる。彼のパフォーマンスが何よりの証拠だ。誠実に歩み続けてきた勝利くんが今アイドルとして本当に楽しいと言ってくれる幸福感よ。聡ちゃんの「24歳なんですけど、これまでの人生で楽しいことしかなかったです。」。絶対につらくて苦しくて不安で大変なことが数え切れないほどあったはずだ。それら全てを振り返って楽しかったと表現できるさわやかな強さ。「僕の人生の一部になってくれてありがとう。」それはこっちの台詞なんです。こんなにも強くてきれいな心を持っている人たちに大切にされてしまったら、こちらもそれなりに生きなければならない。連勤がなんだ、人事異動の不条理がなんだ、そんなことで萎れていた自分を恥じる。自分の精神の矮小さと浅はかさを思い知る。わたしもせめてこの人たちを好きだと胸を張って言えるように、環境に言い訳せずに誠意を持って生きたいよ。「普通の日常があることは幸せなこと。いつもの日常があるから今こうして夢のような時間を過ごせている。」きくちよ、あんたって本当にいつ親に紹介しても恥ずかしくない男だよ。今わたしは移動時間の調整がてら桜木町のスタバで思い出し涙ぐみながらこれを書いているんだが、これから一緒に帰省しようか。
 そして、会場がオレンジの光に包まれ、最後の曲「Dream」が始まる、、、こちらの激情を掻き立てたまま、ステージは儚く幻想的に幕を閉じる。夢みたいに綺麗に消えてじゃないんだよ。ああ悔しい、Sexy Zoneは生の勇気と活力を残して、綺麗に夢の世界に帰っていった。

全部エミリーのせいだ

 前項においてなぜ中島健人に関する記述がないのか。私ごとながら今回のザ・アリーナの数日前、年間を通していちばん負担の大きい仕事を終えたばかりであった。直近2ヶ月間くらい私生活の記憶がない。Sexy Zoneに関する情報もなんとか薄目で追っていた程度で、新しい服を買ったりまつげパーマに行ったりなど身だしなみを整えることもできず、着の身着のままの参戦であった。そんなカピカピの状態で生のSexy Zoneをぶつけられ、正直限界だった。後述するがライブ後、数々の脳死案件を起こしている。だから(?)中島健人が何を語ったのかしっかりとした記憶がなく、責任を持って記述することができなかった。きっと全部エミリーのせいだ。そうだ、悪いのはエミリーなんだ。エミリーの瞳がわたしを狂わせる。このようにこちらがエミリーに化かされている間、エミリー(中島健人)は佐藤勝利のうちわを食べようとしていた。なんなん?

人生をともに歩んでくれるSexy Zone

 理解していたはずだった。だが忘れていた。本当は少し怖かったのだ。以前は毎日のようにSexy Zoneを想っていたのに、ここ数ヶ月はそんなことはなく、心も感じなくなっていた。コンサートをみても以前ほど心が動かなかったらどうしよう。そんな不安を感じていたが杞憂に終わった。これまで以上に強く、深く、Sexy Zoneはわたしたちとともに人生を戦ってくれる存在なのだと実感した。顔がいい、踊りがいい、歌がいい、それだけで十分なはずだし、確かにそんな彼らが大好きだ。しかしSexy Zoneを Sexy Zoneたらしめているのは、やはりその芯の通った生き様と優しいこころにあると感じる。Sexy Zoneのツアー参戦は、もはやアイドルのパフォーマンスを観るという消費活動ではない。嫌が応にも自分自身の人生を見つめ直し、背筋を正し、前向きに生きていくことを胸に誓わされてしまう、とても幸福な生産活動なのだ。Sexy Zoneが大事にしてくれるわたしを、わたし自身が大事にしなくてどうする。無駄なお金もかけず、時間もかけず、わたしを高めてくれるSexy Zone、これ以上の存在があるか?もう充分じゃない。かつて友人は言った。「男にうつつを抜かすことなくブレなかったあなたが、まるでただのメスのようになっている。ショックだ。」と。なんとでも言ってくれ。わたしはSexy Zoneに出会う前の自分より、今の自分の方が好きだ。残りの人生消化試合とか言ってたのにだ。わたしがわたしじゃないみたいだ。よくわかったよ。こういうことなんだね、ほくと。

同担との参戦

 今回訳あって、チケットが余ってしまったため、2日目はTwitterで仲良くしてくれているフォロワーさんとの参戦であった。実はこれまでの人生で、Twitterで知り合った方と現実世界で交流することはなく、結構緊張していた。そして今まで同行してくれていた友人たちも、Sexy Zoneに理解はありつつも他グループ担という状況だったため、はじめてのセクラバ、そして同担(きくち)との参戦であった。一言でいうと、「えっ、こんなに楽しい??」というくらい楽しかった。冷静且つ的確且つおもしろな観点をもつ友人らとの観賞も楽しいが、きくちの、、、た、たんとう(普通に言え)としてお互いにばかになれるコンサート、最高だった。
 まず、待ち合わせの段階で「真っ黒いワンピースです」と聞いた時のこれだよ感、お分かりいただけるだろうか。ふまじゅりドリボの時も会場に異常に黒衣の女性が多く、ふまじゅりといったら黒衣でしょ、といった空気を味わった。別に定められているわけでもないが、黒衣と聞くときくち担の血は騒ぐのだ。白っぽい軟弱なワンピースを着てきてしまった己はまだまだであった。
 そしてコンサート中の感情共有の喜び。きくちが何かをするたび空気を震わせせ、きくちがすってんころりんしてはかおをみあわせ、きくちがこちらを向けば一緒にペンライトを振り、きくちがほかのお嬢さんにファンサをするたびに唇を噛み締め、首をかしげる。ちなみにコンサート中一度もファンサをもらうことはなかった。銀テープも来なかった。このソラニカザシタテノヒラ、真顔でおろすしかなかった。しかしコンサートの喜怒哀楽を共に分かち合えるのってこんなに楽しいんだ!いつもはなかなか堂々ときくちを好、、、だと言えないが、そんな言葉にし難い拗らせ感情すら共有できておもしろい時間だった。楽しすぎて気づけば初対面ということを忘れ、素でお話ししていたため、キモがられたかなと不安になったほどだ。だが彼女は別れ際にいった。「わたしはまだ諦めていません。道で風磨に出会い、偶然を装ってハンカチを落とすその機会を。」最高のおともだちができた瞬間であった。

良薬口苦思考停止案件
 
 

 百利あって一害なしで有名なSexy Zoneのコンサートだが、実はそんなことはないので注意が必要だ。生きる活力を与えてくれた反面で、壮絶な余韻から冷静な判断能力を奪われ、自分でも驚くほど奇行に走ってしまった。これからSexy Zoneのコンサートに参戦するみなさんへの注意喚起として記しておく。
①間違えて埼玉に帰ろうとする
 桜木町に帰りたかったのに大宮行きの電車に乗っていた。危うくたまアリでSexy Zoneの霞を食う架空魂を開催してしまうところだった。
②肉の匂いだけで白米5杯とはこのこと
 みなさんはコンサート後の胸の高まりをどうやって消化しますか?私たちは心を落ち着けるべく、日付も超えた頃、あてどもなく街を彷徨った。そしてMCの内容をなぞり、永遠に「ふまけんの合コンと女の趣味」について語り合った。あーでもない、こーでもない、挙げ句の果てにアリアナグランデの逆と言えば自分なのでは(天才)という結論に達した時、私たちが永遠に話していた内容は全て「架空の話」であることに気づいて恐怖した。この日眠りについたのは午前3時半。ほぼ24時間起きていた。オールがきついお年頃のはずなのにまだ元気だった。おいきくち、代わりに24時間テレビ予習しといたよ。

みなとみらいできくちと観るはずだった夜景
節電のため観覧車はすでに明かりが消えていた
友人Aが燻らせていた煙の甘い香りをわたしは忘れない

③背骨2本失念
 3人でのコンサート出演初日となった11日の夜、元気よくRUNしたきくちは滑ってこけた。ちょっと結構心配したが、最終的には最後の曲でマリウス、勝利くん、逝ってしまったきくちの背骨2本に想いを馳せることとなった。痛いかもしれないけど一応大丈夫そうだなと安心したのだが、帰ってTwitterをチェックして、とあるツッコミツイートを見て初めて気がついた。たしかに、背骨って1本しかないな?そんなことも判断できなくなっていた己に驚いたが、まあ、Sexy Zoneを前にすると性別の区別もなくなるのだ。Sexy Zone的には背骨の数だって自由自在なのかもしれない。

おわりに
 

 ここまで、ザ・アリーナに参加して感じたこと、影響されたことをひたすら独白した。久々にこんなに文字を書いて疲れたが、Sexy Zoneと、己とじっくり向き合う良い時間であった。そしてやはり思うのは、Sexy Zoneのおかげで確実にわたしの人生は豊かになっているということ。そしてSexy Zoneがもたらしてくれるものは依存ではなく、自立して生きていくための活力だということだ。前置きや説明不足で話を進めてしまい、何を言ってるんだ?なんのことだ?と思われた方もいるだろう。ここまで読んでくださってそんな事はないだろうが、もしあなたがまだSexy Zoneに出会っていないのであれば、なんでもいい、ぜひどれかコンサートを観てみてください。きっと感じるものがあるはず。
 個々の活躍がますます顕著になってきたSexy Zone、彼らのこれからの飛躍が、わたしの心をどのように揺さぶってくれるのか。楽しみでならない。わたしの人生に現れてくれてほんとうにありがとう。
 そしてここまで読んでくださったあなたへの最大限の感謝とともに、この独白を終える。



 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?