頑張れないというコンプレックス
こんにちは、アラサーOLきよこです。
昨日は「平均点でしか生きられない」という記事を書いたのですが、今日はその続編に近いです。
タイトルは「頑張れないというコンプレックス」。
平凡な自分には得意分野が何もないというお話をしました。
では得意なことを作れば良いのでは?と思われるかもしれません。簡単なことです。努力すればいい。
言うは易し行うは難し。「努力」という言葉の重みたるや。
誰が言い始めたか定かではありませんが、「努力出来ることこそが才能」と言ったりします。
適性、努力、継続、それらが組み合わさってプロの方たちの「得意」は出来ているのだと思います。
私は物事をオールマイティにこなせる代わりに、一つのことを突き詰めて頑張ることが出来ません。
及第点まで出来たからもういいかな、とモチベーションを失ってしまったり、キャパシティオーバーで燃え尽きてしまったりします。体力も忍耐力もバイタリティもありません。
楽器も受験勉強も挫折しましたし、ある程度のレベルの資格までとったからこれ以上受けなくていいかな、受けたくないな、と挑戦していない現状もあります。
いつも、もっと頑張りたいな、と思っています。もっと仕事が出来るようになりたいし、もっとおしゃれにもなりたいです。筋トレしてモデルさんみたいな体型になりたいし、魚を捌いて料理出来るようにもなりたいです。
でも、出来ない。そんなことが昔からコンプレックスです。
やる気がないだけでは?気合が足りないんじゃない?人間本当に追い詰められたら出来るよ、と思う人もいるかもしれません。
でも私は凄く頑張っているとキャパシティオーバーで涙が出てきたりします。私の頑張りは、努力出来る人からしたらきっと頑張っているうちに入らないと思います。それでも泣きながら仕事から帰ったことも何度もあります。
それってきっと心とか体が限界だよって訴えているのだと思うのです。
いつの頃からか努力すべき、勉強すべき、人間は成長しなければならない、そんな強迫観念を、無意識に植え付けられてしまった気がします。
誰に言われたかも分からない、幻の「世間の風潮」とやらで、自分の首を締めてしまう。
最近はそんな頑張れない自分も許してあげたいと思うようになりました。私は、私の中ではよく頑張っているよ、と。
去年の自分より、昨日の自分より、ちょっとでも学んだことがあれば、ちょっとでも新しいことを始めたら、例えばnoteを書き始めてみた、とか、それだけで成長したよね、と言えるようになりたいです。