ニュースを見るのが苦手な話
こんにちは、アラサーOLきよこです。
「賢く生きられないというコンプレックス」の記事でニュースが苦手と書きましたが、何故ニュースが苦手なのかお話したいと思います。
「ニュースを見ろ、新聞を読め。」
小学生の頃から言われ続けてきました。
結局全く習慣づかなかったわけですが。
私はニュースが特別苦手というより、ニュースでもワイドショーでも世の中の暗いこと、悲しいこと、腹立たしいこと、汚いことを見るのがしんどいです。
例えば、政治のこと、分かっていたほうがいいですよね。でも国会議員が野次を飛ばしているのは見たくありません。
この傾向は年々強くなっていて、今はテレビも持っていません。
ニュースはネットで必要そうなものだけピックアップしています。
日々の生活に心が疲れているからなのでしょうか。
私は内省的な人間で他人にはあまり興味がありません。でも、他人の喜怒哀楽の感情には敏感です。共感能力が高いとも言えます。
見ず知らずの人に興味はなくとも、テレビの中でしんどい思いをしている人たちに共感して自分も辛くなったり、自分の力ではどうしようもない社会のシステムに憤りを感じたりします。
たった一日で人の人生を台無しにするような情報なんて、見たくないのです。
最近はHSPなんて言葉が聞かれるようになりました。Highly Sensitive Person。感受性が高く敏感な気質を持った人のことだそうです。
中田敦彦さんのYouTube大学の動画が分かりやすかったので、参考に貼らせていただきます。
HSPについては以前から多少知っていました。ただし自分はそんなに繊細でもないので該当しないな、と思っていました。
まず私は「NO」と言えますし、LINEの連絡もスルーするし、先輩に頼ることも得意です。
でも今回動画を見てみて、もしかしたらHSPよりな人間ではあるかも、とも思いました。
上記に書いた「当てはまらない」と思ったこと、よく考えたら社会に出て強くなっただけかもしれない、と。
今でも断り文句は滅茶苦茶悩むし、毎日自分の発言を振り返って反省します。考えてみれば大きな音と迫力がある映画館が苦手です。ホラー映画なんて以ての外です。
タイトルの話に戻ると、世の中の嫌な側面を見るたびに、人間の業は深い、と憂鬱になります。
最近は大分割り切っています。自分の力で変えられないことに思いを馳せることは、あまり意味がありません。苦手なものからは距離を取るしかないのです。
自分だって人のことを言えるほど、大層な人間ではありません。
それでも、なるべく清く生きたいと願います。
コンプレックスがたくさんあっても、自己肯定感が低くても、自分に恥じない自分でありたいと思うのです。