「人と違う」は武器だと思う話
こんにちは、アラサーOLきよこです。
クリエイターという職業の方々を見ていると、「変わっている」「ぶっ飛んだ人生を歩んでいる」人たちが多いな、と思います。
例えばインフルエンサー、ライター、アニメーター、エンジニアのような方々です。
今日は、変わっていることは武器なのだと思うお話をしたいと思います。
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「同調圧力」という言葉があります。
日本はこの「同調圧力」がかなり強い国であると思います。
元々は村社会ですから、お互い助け合って生きてゆくときに「輪を乱す存在」が受け入れ難いという慣習に起因するのでしょうか。
この「違う」存在というのは、子供たちの間であればいじめ、大人であれば差別という形で対象になりやすいものです。
最近は「多様性」の価値観がかなり広がっていますから、自分とは全く違う体質、考え、嗜好を抵抗なく受け入れる人も多くなっていると思います。
しかしながら、まだまだ苦しい思いをしている方々も多くいるだろうと思います。
いつの時代もそんなに生きやすくはありません。
子供の社会であれば特に自力で環境を変えることが出来ず、言うなれば旧村社会と同様ですから、とても辛いだろうと思います。
私もごく一般的な病気持ちで、子供の頃にそれが原因で軽いいじめを受けた時は本当に地獄でしたし、一生許さないと思います。
とはいえ、その後は平々凡々を地で行く人生で、人と比べて特筆すべき点は何もありません。
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大人になってみると「人と違う」「変わっている」ということは、凄く強い武器なのだと思うようになりました。
人は、自分が持っていないもの、何か明確には分からない不思議なもの、に魅力を感じると思います。
先の展開が全て読める映画など誰も見ないでしょう。
自分の想像を超えてくるものこそ面白いのです。
「違う」人たちは、文字通り多くの人たちとは違う感性を持っていたり、または類稀なる経験をしてきていますから、どんな媒体であろうとそれを表現に変える力があれば、多くの人々を魅了するだろうと思うのです。
人は、人と違うのは怖い、という思いと共に、でも人と一緒は嫌だ、と心のどこかで思っていたりします。
平凡が幸せと自分に言い聞かせつつ、突出した何かに憧れる。
例えば文章を書こうとした時に、あまりにも平凡な人生をコンプレックスに感じるほどに。
違う人たちは、望んでか望まずか、人と違うことの恐怖を乗り越え、自分のアイデンティティを確立することに成功したのでしょう。
ごくごく一般的な感性を持つ私は自分のつまらない人生を残念に思いつつ、それでも「共感」を届けられる文章を書いていければいいなと思っています。