賢く生きられないというコンプレックス
はじめまして。
アラサーのOLです。
近頃年齢ゆえか色々考えることも多くなり、また自分が非常に内省的な人間ということもあるので、思考を整理するためにも記事を書いてみようかと思い立ちました。
基本自分のコンプレックスを書き綴っていくだけのものになるかと思われます。
最初のタイトルは「賢く生きられないコンプレックス」。
最近の子供は無駄を嫌うというお話を聞いたことがあります。自分が求めるゴールに最短距離で辿り着きたい、失敗や無駄な努力をしたくない、というものですね。
なんとも夢のない話ですが、気持ちはとてもよく分かります。時代の変化のスピードが非常に速いので、無駄なことに時間を使ってしまったらあっという間に取り残されてしまうのではないか、という恐怖を常に感じている気がします。
とはいえ私はアラサーなので、世の中効率が全てではないということもある程度理解しているつもりです。
そんな今でも他人から色々な話を聞くたびに、あれ、自分て賢く生きられていないのではないか?損してるのかな?と焦燥感に駆られることが度々あるのです。
例えば、友人がとても家賃の安い場所に住んでいた時、同期が転職した時、知り合いに株やってないの?と聞かれた時。
そんな些細なことで?と思われるかもしれません。他人と比較することに意味はないよ、とも言われると思います。私もこれが友人の話であれば、自分が幸せなら人の真似しなくてよくない?と言ってしまうと思います。
今の私の状態は私自身が選択してきたことで、特に後悔をしているわけではありません。家賃は少し高いけどお気に入りの部屋に住んでいるし、お給料が低くても女性が働きやすい会社を選んで就職したし、ニュースを見るのが苦手で株に向いてるとは思いません。(なぜニュースが苦手なのか書きました)
それでも、ぶっちゃけて言うと、世の中のことをきちんと理解して、より簡単に賢くお金を稼いでいたり、楽しく暮らしていそうな人を見ると、ふと自分の選択って本当に最善なのかな?と不安になってしまうのです。
そしておそらくきっと最善ではないです。私は頭も良くないし、時流に乗るのも苦手なので、若干諦念を含んで自分は平凡に地道にサラリーマンとして搾取されながら生きるしかないなと思っています。
なんとなくこの感覚は東京に住んでいるとより強く感じてしまうのかなと思います。賢い人たちが一番多く集まっていて、選択肢も比較対象も多く、情報が錯綜していますので。
一方で、何故賢く生きたいのか?という問題もあります。
賢く生きてまず得たいのは安定した暮らしです。暮らしが安定して得られることは、安心と幸福だと思っています。つまり簡単に言うと幸せになりたい。逆に言うと全ては幸せを得るための手段に過ぎないわけですね。
私が、友人にこの悩みを相談されてアドバイスするなら何ていうか考えたとき、「自分が幸せなら人の真似しなくてよくない?」と書きました。何故かなかなかその考えを自分には適用出来なくて自信をなくすことが多いです。
結局自分が幸せなら何でもいいんですよね。何に幸せを感じるかは人によって違うと思いますが、効率を追い求めて逆に不幸になることもあるかもしれない。
なんとなく損しているかもという気持ちになった時、でもそれって本当に私の幸せを損ねているのかな?と意識してみたいと思います。
そして他人が出来ている「賢いこと」を出来なくても、自分を責める必要はないと、忘れないように自分に言い聞かせていきたいです。