素直に「さみしい」と言いたい
こんにちは、アラサーOLきよこです。
今日は「さみしい」と言わせてほしいな、というお話をしたいと思います。
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SNSで女性が「さみしい」って言うとメンヘラに思われてちょっと敬遠されがちな気がします。独身アラサーなんて特に、いい年して拗らせているのかな、なんて。
でも私はSNSくらい、自分の中にどうにも持て余した気持ちをちょっとだけ吐き出させてほしいなと思うのです。
つぶやくことによって誰かに構ってもらおうとか、そういうことではないのです。
「さみしい」という感情は、特定の誰かにぶつけるにはちょっと躊躇う、でも自分一人では消化しきれないものだなと思います。
だからこそSNSで、自分のこの重苦しい感情が特定の誰かに向かないような形で発散したいな、と思う時があるのです。
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私は一人でいることも好きなので、ずっと自分は「さみしさ」に強いタイプの人間だと思っていました。それは間違いではないと思います。
実際、一人の時間は絶対に必要なタイプで、できるだけ人と一緒にいたい、という感じでもありません。
自分の負の感情もある程度コントロールできて、人にぶつけるようなことは決してしません。
でもこの先ずっと一人で生きていけるほど強くないな、とも思っていて、それを今切々と感じています。
「さみしい」は言いづらい、そうでなくても、そもそも友人に心配をかけるようなことはなかなかSNSでは呟けない。
そうなると自分の中で渦巻く感情を持て余したまま、寝れば忘れられる、と時間が解決してくれるのを待つしかありません。
そうやって蓋をして、見てみぬふりをしているうちに、気付いたら自分でも「さみしい」という感情を忘れかけていたし、「さみしい」=「弱い」=「恥ずかしい」と心のどこかで思っている自分すらいました。
でも、感情って言葉にしてきちんと自分で理解してあげないと、余計拗らせてしまうのかなって思うようになりました。
今年は私にとっては色々なことが変わった一年で自分が思うより疲れていたみたいです。疲労と感情は結びついているとも思うのですが、酷く「さみしい」と思うようになりました。
今まで我慢していたものが、この年になって一気に溢れてきたような気さえします。ようやく、さみしくて弱い自分ときちんと向き合わなければ、と思うようになりました。
人間は皆どこかでさみしさを抱えている生き物なのかなと思います。それを恥ずかしいと思う必要はない。
感情をコントロール出来るというのは、自分の感情への対処法を知っているということであって、その感情が生まれないように出来るということではないのです。
そして、一人では抱えきれないなら、少し人の力を借りても良いと思うのです。きっとお互い様ですから。
だからまずは「さみしい」と素直に言えるようになりたい。
そしてそんな自分を認めてあげたいのです。