誰もロックなんか聴かないと思いながら
先日、ロックに出会いまして。
ニコニコ動画がサーバーダウンしているのもあり、普段は開かないYouTubeで何の気なしにディグっていたところ、とある曲がふと目に入ったのです。タイトルは『黙ってロックをやれって言ってんの!-初音ミク』
「何やら面白そうなボカロ曲が投稿されているな、しかも2週間前」と第一印象はその程度のもので、別段と気に留めることはなく、そのまま他のおすすめを見ようとサッとスクロールしました。
画面の上の方では『天ノ弱』の歌ってみたが流れていたため、それが終わるまでの単なる暇つぶしに過ぎない、惰性のスクロールです。
※ 初音ミクNTなので厳密にはボカロではありませんが、本記事では広義にボカロと称させていただくこととします。
さて、曲が終わった。次は何を聴こうかと考えたとき、先ほどの奇っ怪なタイトルが頭にこべり付いていることに気がつきます。
なら、これを聴こう。どんなにくだらなくとも、せいぜい4分程度のロス。正直なところ、サムネイルの手書き感といい、タイトルの直球具合といい、私には完全にネタ曲として聴く色眼鏡がかかっていました。
そうして、誰にも求められていない批評家心をたずさえて、ふんぞり返るような心持ちで、作業の片手間にそのサムネイルをクリックすることに。
鑑賞中
ひとまずは初見時の回想でも書いていくことにします。
未視聴の方は私のダラダラとした感想を読むよりも先に、まずはご自身の耳で『黙ってロックをやれって言ってんの!-初音ミク』(以下、本曲)をお聴きになってください。
逆に、視聴済みの方はザザッと流し見程度にスルーしていただければ。
なんせ、信憑性がありません。
以下に記す感想のほとんどは、曲のラストパートで一気に覆ることになりますので。
前奏
おもむろにクリックすると、いきなり、
未成年の主張ばりの勢いで、タイトルの文句を叫ぶ初音ミク(制服)の姿が。重たいギターを引っさげて、細い声を何とか絞り出すような、健気な印象を受けました。
と思っていたら、次のカットで映し出されるミュージシャンのお二方。
どうも目元が隠れているせいか、どなたか分かりませんけれども。
それはともかくとして「オメーらの音楽はロックなんかじゃねーよ!」と言わんばかりの声明です。恐れ知らずとはまさにこのこと。
唯一分かることはといえば、この曲は最高にロックだということです。
著作権法に唾を吐きかけるような出だしに、某ミュージシャンのお二方も思わず困惑の様子。さらに、その直後に「俺らがやってやったんだぜ」と見せつけるかのようにデカデカと表示される作詞作曲者名と映像担当者名ときました。これはもう犯行声明ですよ。
その後、先ほどのミュージシャン二人のうちのひとりが所属するロックバンドに、不思議な連帯感と結束感をまとわせながら紛れる初音ミクがいるではありませんか。彼女の悠然とした立ち振る舞いからは、どこにも逃げやしないという強い意志すらも感じられます。
一番
やはりそうか、とここで思い至るわけです。
本曲は、ロック好きによる、近頃のロック曲(笑)への痛烈な皮肉と憂いが込められた批判曲なのだと。
続く歌詞も同じようなもので、いわゆる逆張りの姿勢が見られます。
いくらか共感できる箇所もあって、かつ歌詞のワードチョイスがところどころ毒づいていて、少し笑ってしまう場面も。
そうしてサビへ。
曲なのかわからないだったり、戯言だったり、なかなか思い切った歌詞もちらほら。
ただ、歌詞にある通り、この作者は既に「耳にタコが出来るほどに聞い」ているんですよね。このことからも、ロック好きであろうことは容易に想像がつきます。
連呼されるタイトルと、
という言葉で一番のサビは締められます。
「これこそがロックなんだ!」と迫ってくるような勢い。
ですが、こうも思うわけです。でもボカロじゃないか、と。
自分の喉を震わせることなく、そんな偉そうに「鼓膜を震わす」などとうそぶいてしまっていいのだろうか、というような。
誤解なきよう訂正しておきますが、私はボカロ曲に対し多大な敬意と好意をもっております。決して「所詮ボカロでしょ」「ボカロ風情が」といった、クリエイターの方々もろとも下に見るような姿勢ではございませんので、そちらはどうかご安心ください。それに、本曲に対しても(後ほど判明しますが)本曲の終了を以て、このような斜に構えた感想の数々は大きく覆ることとなります。
ただ、初視聴時の率直な心中として、自分のロックを謳う割に自分でロックを歌わないのか、と幾らかザラついた感触はありました。そんな乾きを抱きながら、曲は二番へと走っていきます。
二番
開幕からこの始末ですよ。
もはや批判曲どころかヘイトスピーチと言っても過言ではありません。
某ロックバンド……仮にバンドBとでもしましょうか。かつての思い出が遠くにいってしまわれたことを寂しく思う作者の心情が、バンドBの面々が堂々と映し出されることにより、色濃く表現されています。きっと、そのような文脈で用いられたのでしょう。
というのも束の間、これまた特徴的な某ロックバンドが登場します。
某ロックバンド……仮にバンドRとでもしましょうか。
バンドRから漂うは、バンドBと同じ「弱者」の匂い。
特に理由はありませんが、どことなくそんな気がいたしました。
そして、これでもかというほどに怒涛のヘイトスピーチを浴びせられます。
不思議な共感が胸の裡に浮かびますが、おそらくはきっと気のせいでしょう。
「いい曲ではあるんだけどな……」としているところから、某バンドらのスタンスに一言はあれど、彼らの曲自体は相も変わらず聴いてしまうようです。私にもわかります。
そんなボロクソパートを抜けて、曲は二番Bメロへと。
これまでの「これがロックだぜ」と(大変言い方が悪くなりますが)押しつけるような威勢とは少し違った、作者自身からの「何処かの誰か」へ向けたメッセージ性が読み取れます。
またしても曲に対する見方が変わります。
タイトルの「黙ってロックをやれって言ってんの!」も少しずつ色づいていきます。「ロックじゃねー」という否定ではなく、純に「ロックをやれ!」という心からのメッセージなのだと。
それに呼応するかのように、再びサビの「黙ってロックをやれって言ってんの!」が繰り返されます。
そう。とにもかくにも「黙ってロックをやれって言って」いるんですよね。
エモい歌詞で取り繕おうともせずに、ただひたすらに、まっすぐに訴えかけてくる眼差しは、やはりロックというべきなのでしょう。
ギターのひとりに「ギター!」とコールすることで始まる20秒前後のギターソロ。私はギターソロが好きな人間ですので、掛け値なしに聴き入っておりました。いよいよ間奏も終わろうか、そんな最中……
三番
曲はCメロへ入場。
すると、
本曲初登場のお二方。
学生さんでしょうか。かわいらしいですね。ヘイローが見えないのは画角の問題でしょうか。それに左の娘は汗ひとつかいていませんね。売られたケンカは全力で買い、何なら中指すらも平気で立てかねない、荒ぶる狂犬のような面持ちです。
彼女らに遅れて再入場するミュージシャンのお二人。
四人に対峙して「黙ってロックをやれって言ってんの!」と何度も叫ぶ初音ミク。
そんな白い目線……いや、黒塗りなんですけれども……を尻目に、というわけでもないようでして、本曲の主張を嗤うコメントもきちんと取り上げられます。
ただ、スルーをしないだけで、
と真っ向から一蹴。これぞロックですね。
あれやこれやと理屈をこねずとも、その歌を以てして黙らせる。
一周まわった誠実さがそこにはあります。そして、
つい先ほどまで胡座をかいていた私の鼓膜を震わせる、存在証明のダイナミクスを号砲に、曲は三番サビへと走り出していきます。
なんでもいいから、とにかく「気にすんな」と。
本曲は強く肯定するわけです。震わせるのも「鼓膜」から「心」へ。やはり「画面越しのお前」へ向けたアツいメッセージなのだと思えます。
この歌詞を目にした私に飛来したのは、憧れと励ましのどちらともとれない、淡く、しかして確かな安心感でありました。
述べたい言葉は積もるほどあるのですが、ひとまずは鑑賞中の感想をば書き上げてしまいましょうか。ぶっちゃけた話、初視聴時はそんな色々なことは頭になく、ただ茫然と音楽が右から左へ流れていただけですから。
終奏
息つく暇もなく流れてゆく終奏。
後述の「鑑賞後」の項にて書きたいことが多くあるため、こちらの項では引用も程々に、端的なファーストインプレッションをしたためることとしましょう。
作者からの芯の通ったメッセージがぶつけられます。
その後も「画面越しのお前」へ向けたエールが続き、どこかで聴いたことのあるような「ありふれた」歌詞も飛び込んできます。ですが、ただありふれているわけではなく、地に足つけた、汗水の意味が滲んでくるのは断じて錯覚などではありません。
このリフレインにはシビれました。
「根拠はない」と突き放されたのにもかかわらず、なぜか不思議と、やはり安心感を覚えてしまうのです。
本曲は、この終奏を仕上げに、ロックとして一つの完成をみます。
件の終奏に関しては、言いたいことが多すぎるあまり、却って字数が減ってしまいましたが、次項でしっかりと書いていきたい所存でございます。
鑑賞後
私に言えることは一つ。
この曲は、最高にロックだということです。
本項では、初視聴時の擬似実況などではなく、本曲の好きなところを挙げていくこととします。
とはいえ、「鑑賞中」の項で述べたことと被る箇所も多く、より一層ひとりよがりな感想の羅列となるでしょうが、そのあたりは温かい目で見守っていただけると。
ありふれた歌詞
一番冒頭、二番サビで二度も言及される「歌詞のマンネリ化」ではありますが、あとから振り返ると、本曲は意外にも「使い回された」歌詞を多く含んでいることに気づきます。
だからダメだというわけではありません。だからこそ良いのです。
どんなに曲がりくねっても、行き着く先はみんな一緒。
ロックなんて、そんなものだよと。
そんな詞で取り繕おうとせずとも、黙ってロックをやればいい、というかやれ! というのが、本曲の頑ななメッセージだと私は思います。
続く歌詞も、やはり「黙ってロックをやれって言ってんの!」というもの。本曲はとにかくコレなのです。
そのひたむきな姿はロック以外の何者でもありません。
元来、ロック・ミュージックというのは抽象的で、それ故に幅のあるジャンルでありました。多くの歌手により、多くの楽曲が生み出されてきました。
同時に、溢れ返るほどの興隆と変遷を経て、その在り方が固定化されていくのも必定であります。その反動が、また種火となることもあるわけですが、おそらく現代においては下火になっているというのには、ある程度の同意が得られるかと思います。
要は、音楽なんてマンネリ化して然るべきなのではないか、ということです。
もはや若者文化としての奇抜さを、その在り方に求める時代は終わりを迎え、とうに確立されてしまった巨塔へ向かって去声を投げるのではなく、その塔を登ってはじめて見える景色から激声を放る……裏を返すと、誰だって一段上がって叫べば、それはもはやロックと言えるのだと、私は気弱に頷くのです。
私は音楽に関してズブの素人ですので、こんなにもダラダラと書き連ねている高説まがいの落書きにも、結局は信憑性などございません。
ですが、本曲を聴いた私が「誰が何をどんな風に歌おうが、お前のその叫びはロックなんだ」というメッセージを受け取った(ような気がした)のは絶対の真実です。
本曲は「画面越しのお前は、ロック・スターにだってなれるんだぜ」と信じ、だから「うだうだ言ってないで黙ってロックをやれ」と語りかけてくれます。
そう。そんな未来が、きっとあると信じて。
ロックの語り手
さて、コメント欄にて「著作権チキンレース」とも称されていたゲストのお歴々でありますが、その喧嘩上等スタイル以外にも、私がこの要素を好きな理由があります。
それは彼女らが「ロックの代弁者」であるということです。
大げさな表現に聞こえますか? 確かに作者の方はそこまで考えておられないかもしれません。ですが、誓って、私は過言ではないと信じます。
彼女らは作中でロックバンドに所属し、そして視聴者(or プレイヤー)へ向けて演奏を届けました。その眩しさに多くの方々があてられたことでしょう。中には感化され、ギターやベース、キーボードやドラムなどを始めたという方もいらっしゃるでしょう。
では、なぜそうなったのか?
答えは多種多様であるでしょうが、私の察するに「自分もやってみたくなったから」という返事が多くあるのではないでしょうか。本記事をご覧のあなたにも、もしかしたら身に覚えがおありかもしれません。
では、それは一体なぜですか?
なぜ、彼女らがしていたから、自分もしてみたくなったのですか?
これも多くの答えが返ってくることでしょう。青春の回顧、未知への挑戦、一時の昂揚などなど……。様々なこと請け合いかと存じます。
動機に貴賎はありません。どんな些細なものであれ、他人からの見てくれに関わらず、それは等しく尊いものでございます。そこに何ら疑念を抱く必要はございません。そう論じた上で、敢えて訊きましょう。
では、どうしてそう想ったのですか?
つね感情の根には体験があります。体験の前には行動があり、行動の裏にはまた感情があるものです。
あなた(もしくは誰か)が「バンド活動をする女の子にあてられた」のは「青春を取り戻したくなった」からであったり「何だか楽しそうな世界へ飛び込んでみたくなった」からであったりしたとするならば、そう想った原因となる一次体験がきっとあるに違いありません。
それはきっと、ありふれたもので。
だとしても、あなただけのもので。
差し出がましい真似ではありますが、私には一つ、思い当たる仮説があります。
語り得ぬロック
それは彼女らが、ロックをやっていたから。
もっと言うなら、代わりにロックをやってくれたから。
異論はもちろん出ることでしょう。あくまで私の仮説であり、有り体に言ってしまえば思いつき、思い込みに過ぎませんので、どうかご寛恕のほどを。
ですが、心当たりがおありの方も、もしかしたらいらっしゃるのではないでしょうか。腹の奥底から沸々とした塊が起こる方も、もしかしたら。
アニメやゲームの物語に乗せて描かれたロックバンド。
それらは何も「ロックとはかくあるべきで〜だからあなたもやるべきで〜」とクドクド説くような内容ではなかったはずです。
ただ「ロックをやっていた」その姿を、画面越しに「みてしまった」だけ。
ある意味では私も同じかもしれません。たまたまYouTubeのおすすめから見つけて、そして再生した本曲が、こうも深く刺さって抜けないでいるのですから。
先ほどから偉そうに「ロックを語る」だの「ロックを代弁」だのと散々述べているわけですが、そもそれは語るものなのか、という疑念は拭えません。
結論から申し上げると、ロックは語り得ないと私は思います。
語り得ないものについては何とやらです。論理だけでは埋まらないからロックなのです。おそらく音楽全般にだって言えることですよね。
したがって、語っているのではありません。
それはきっと歌であり、叫びなのでしょう。
だから、極論を言ってしまうと、別に語らなくたっていいのです。だって語り得ないんですもの。だというのに、どうしても語りたくなってしまう。それ以前に、叫んで、吐き出したくなってしまう。
つまるところ、語らずともロックはやれる。そんなメッセージを本曲は語ってくれました。語り手はもちろん作者と、そしてボーカルの初音ミクです。そして、聴き手はそれを、語らずとも胸に響かせることができ、やがてはロックをやるに繋げていくのではないでしょうか。
やはり、聴いた者は「黙ってロックをやる」べきなのです。
託されたロック
最後に、私が本曲の最大の魅力と感じたことを紹介いたします。それは動画タイトルからも既に分かりきっていたことです。
初音ミクが歌っているということ。
これこそが、私の中で決定打となりました。ボカロ厨乙というわけではございません。初音ミクの楽曲には好きなものも多い私ですが、本曲においては楽曲そのものとして以外にも、その価値が発揮されていると感じております。
先ほどまで散々と「ロックの語り手と聴き手」の話をしてまいりました。では、そんな本曲において、初音ミクとは一体どういう存在か。
ソレは、
歌い手であり、語り手であり、読み手でもあるというもの。
矛盾しているようにしか聞こえませんが、そのアンバランスさもまた、初音ミクという「誰もが自由にプロデュースできる」シンガー性のなし得る業であるのでしょう。
再三申し上げております通り、ボカロや音声合成ソフトに対する軽視の眼差しは絶対にありません。
現実には調教やらmixやら、想像を絶するほどの手間暇がこさえられているため、赤の他人が再現するというのは到底厳しいものです。なので、そういった事情で再現性の有無を問われると、些か首を傾げてしまうところもあるのですが、ここでは極論として、ボカロ曲を「再現可能なもの」として取り扱うこととし、初音ミクを敢えて非属人的な器とみなします。
ならばどうしたというのか。
本曲は「画面越しのお前」に「ロックをやれ」と贈られるエールです。
そして、誰にだってロックはやれるのだ、と肯定するメッセージでもあります。その意味で、かかる非属人性は、真に「誰にだってロックはできる」という事実を補強、ひいては実証する体現に他ならないのです。
そうすると、本曲における初音ミクとは、作者の語るロックを託された、ロックの読み手ともとれます。これはつまり、われわれ聴き手の側と同じ次元に相違ありません。媒介的な用きを担いつつも、一段降りればたちまち「こちら側」という構造であるわけです。
初音ミクという器があるのだから、何も考えずに飛び込んでみろとでも言えそうなものですね。そこに飛び込むのは誰であっても構いません。夢見がちな少女がウサギを追って飛び込んだっていいのです。その先には、きっと不思議な世界が待っているのですから。
ただ字面だけの「きみにだってできる」論に終わるのではなく、全ての要素を以て「お前にもできるんだぜ」と間接的に示し、しまいには「だから黙ってロックをやれって言ってんの!」と響かせる、その力強さに、画面越しの私は心打たれた、という長い長いおはなしでした。
黙ってロックをやれって言われたから
書きたいことだけ書いていたら、随分な分量となってしまいました。ほとばしる想いに身を任せ、気づけば同じことを何度も何度も繰り返し……。全体的に、特に後半にかけては、九分九厘が私個人の妄想と深読み(笑)と邪推によって成っており、加えて、そんな取り留めもない感情を、日をまたいで書き起こしているため、論理の組み立てに不十分な箇所がありましたら本当に申し訳ございません。返す言葉もございません。
それほどまでの言葉を超えた熱が、本曲にはあったのだとでも納得していただけましたら幸いです。
最後くらいは手短にということで、まずは本記事を読んでくださったあなたへ感謝を。説教めいた拙文に長らくお付き合いいただき、誠にありがとうございました。色々と語ってきましたが、少しでも本曲の魅力が伝わりましたら、これに勝る喜びはありません。
次に、本曲『黙ってロックをやれって言ってんの!』制作者および制作関係者の方々へ。この度、このような「ロック体験」をさせていただいたことへ、心づくしの謝意と敬意を表したいと思います。
作詞作曲の猫舘こたつさんはもちろん、動画担当の(シンガロングも兼任!?)あだちかすかさん、そしてスペシャルサンクス参加者やシンガロングを担当された有志の方々、その全員の想いが一本の曲として、聴く者の鼓膜、心へぶつかり、また響いてきました。
「作者の人そこまで考えてないと思うよ」案件だったかもしれませんが、その際は「こんな風に聴く人間もいるのか」とスルーしていただけましたら。
ミクさんへの感謝も忘れてはなりませんね。この方に関しては、本曲に出会う以前からも、そして以降もお世話になっているため、この場を借りてわざわざ伝えるというのも変な話ですが、そうですね……。
今回も素敵な音をありがとうございました。これからもあなたの声をたくさん聴かせてください。
では、これにて。
「黙ってロックをやれ」って言われたことですし、こんな長ったらしくて回りくどい文章とはおさらばしましょう。
そして、黙ってロックをやるのです。
誰もロックなんか聴かないと思いながら、
いつの日か、この想いを叫べるように。