共依存の両親②

父に会わなくなって15年は経つ。
下の子を出産した頃、両親は離婚裁判をしていた。
私が小学6年生の時に母方の実家で同居を始めたので、出て行くのは父だった。
裁判が終わるまで居座り続けた父。
家庭内別居をしていたから、下の子を連れて里帰りをしていた時でも、父に子どもを会わせなかった。
なので、下の子の名前も顔も知らない父。
今思い出すと、そうか、私が妊娠中に揉めていたのかと唖然とする。

父は離婚調停、離婚裁判にも一度と出廷せず無視し続けた。
最終的にどうなって終わりを迎えたのかはっきりとは覚えていないが、とりあえず裁判が終わり、弁護士事務所へ母と行ったことだけはうっすら覚えている。
相手は一度も出廷しなかったということで、弁護士さんは最初に提示した費用からいくばくかを割り引いてくれた。
これこら年金生活者になる人からたくさんのお金を頂けないと。
良心的な弁護士さんだった。

そもそも私と妹が両親の離婚に向けて動き出したきっかけをよく覚えていない。
ただ、父が母の頭を殴っていたのを覚えているので、多分その出来事がきっかけだったように思う。
お金絡みだったのか、自分の言うことを聞けと言わんばかりに殴ったのか、理由はどちらかだが、あまりにも理不尽すぎた。

母にはもちろんそんな父に立ち向かう気力もなく、精神的には支配下にあった。
何度かあった離婚危機の時も、物心ついている私に「あんたらがいるから離婚できない。」と言った。
腹をくくれば、どうにでもなっただろうに。

そんな言葉があったからこそ、大人になって私はもう我慢せんでええやん、という思いが強かった。
父が母を殴った出来事をきっかけに事を進めようとした。
市役所の相談に行き、担当者さんに恵まれた。
おそらく家庭センター絡みの人で、親身になって私たちの話を聞いてくれた。
どういう風に事を運んでいけばいいのかも教えてくれた。
弁護士さんもどうやって見つけたのか覚えていないが、何件目かでやっと引き受けてくれる弁護士さんを見つけた。

自分の事なのに、どこか他人事だった母。
共依存関係にあったから、そんな父でも一緒にいた方がマシとでも思っていたのか。
老後の生活を心配していたのか。
どうしてそこまで自分を傷つけてくる相手に依存しているのか、私はその当時も、そして今もわからない。

母は自分で立つことができない。
誰かに依存していないと生きていけない。
父が出て行き、依存する相手はいなくなったが、今は妹夫婦と同居をし、依存している。
そして、驚くことに妹が父と同じようなことを母に今している。
相手が変わっただけで、母は今や妹と共依存関係にある。
母が「食わしたってる。」と言われたと聞いた時、にどこかで聞いた覚えがあると思った。
すぐに父が浮かんだ。
それは父がかつて母に言っていた言葉だったからだ。

私はそんな関係、まっぴらごめんだ。
ちゃんと精神的に自立した関係の上で、助け合いたい。
母よ、妹よ、本当に今の関係でいいのですか?
同じこと、繰り返してませんか?







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