覚えている景色②

基本的には家族だけに理不尽を振りまいていた父だけれども、時々、社会の場でも父のモラハラ気質は顔をのぞかしていた。

父と私と妹との3人で出かけた小さな遊園地。
母が一緒にいた記憶がないので、珍しく3人で出かけたのだろう。
私が5歳、妹が3歳ぐらいだったろうか。
どういういきさつで3人で出かけたのか分からないが、母がいなかったいうことも、他者の前で父が理性で自分の苛立ちを抑えられなかった要因の一つでもあったのだと思う。

小さな遊園地は、食事を摂る所も限られていた。
お弁当を持ってきていなかった私たちは、唯一の食堂に入った。
今でいうフードコートのようなところで、先に注文をしてから、順に並んで注文したものを受け取るといったスタイルだった。
私たちと同じような家族連れでごった返していたその食堂の混み具合は、従業員のキャパを明らかに超えており、その注文の列は遅々として進まなかった。
そんな時である。
「何をちんたらやってるんや!さっさとやれや!」
と私の目の前で父が従業員のおじさんに怒鳴りつけた。
その怒号の後の数秒間の静けさ。
幼い私は顔から火が出るほど、恥ずかしかった。
席について食べ始めたけれど、周りからの視線を痛いほど感じた。
父は気難しい顔をしたまま、黙々と食べていた。
やっと受け取った昼食もちっとも美味しくなかった。
早くここから脱出したかった。

食事の後のことも、どうやって帰路についたのかも全く覚えていない。
ただただ食堂でのこの一場面を今でも覚えている。

違うよね。
いくら長蛇の列だからといっても、そんな言い方しなくてもいいよね。
小さな私を恥ずかしい気持ちにさせないで。

なんでこの人が父親やったんやろう。
この人を諫める人はいなかった。
誰にもきちんと向き合ってもらえない、可哀想な人だった。
父の生育環境は決していいものではなかったようだが、だからといって、妻や子どもに何をやってもいいというわけではない。
もう二度と会いたくないけれど、どういう気持ちで私たちと過ごしていたのかを聞いてみたい気もする。
いや聞いたとて、腹立たしさが増すだけだろうから、やっぱり聞きたくない。

もっと優しいお父さんがよかった。
欲は言わないから普通のお父さんがよかった。
父親との関係は、恋愛感、結婚観に大きく影響した。
なんとか結婚した私だけれども、父のおかげで、思春期の頃は「絶対結婚しない!」と友だちに断言していた。
そりゃそうなるよね。
1ミリも結婚に対して夢を持てないのだから。
それでも結婚した私。
よく結婚したな…






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