やっと出て行った父
母の一方的な想いから私は勝手に〈お父さんチーム〉の一員だったが、決して喜ばしいことでは当然なかった。
母は自分を大切に扱ってくれない夫、姑、そして姑に似た私をそうやって一括りにすることで、自分の立ち位置を明確にしたかったのかとも思う。
何も反論できない小さな私は〈お父さんチーム〉と言われて心の中で「え〜嫌やわ、なんか。」と思ってはいたけれど、「なんでそんなこと言うの?言われた方の気持ち考えてみて。」なんて反論もできなかった。
小さすぎて、母の言葉の意図を理解もできていなかった。
父はどう思っていたかは知るよしもないが、〈お父さんチーム〉〈お母さんチーム〉とカテゴライズされたことに何も言及もしなかった。
「そんな発想、おかしいやろ。」とでも言えたのに。
いつモラハラを発動してくるかわからない父のことは小さな頃から好きではなかった。
ベースがそれだから、もちろん思春期真っ盛りの頃は本当に大嫌いだった。
同じ部屋に絶対にいたくない。
同じ空間にいなくてはいけないのなら、そそくさと用事を済ませて、自室へ行く。
休日ははみんなで夜ご飯を食べてはいた。
その時も素早く食べて素早く自室へ行く。
本当に顔を見るのも嫌だった。
母にモラハラ言動をしているのを見聞きするのも嫌だったし、何がきっかけで怒り出すかもわからない人とはできる限り接触をしたくなかった。
もう会わなくなって15年ほど経っているから、日常の細々なモラハラを覚えていない。
というか、もうその記憶は消し去りたいから、今は大きなエピソード記憶しか保持していないのだろう。
こんな父親でもここまで大きくしてもらったのだから感謝しなくてはいけない、なんていう人もいるだろうけれども、こんな父親と暮らし続けて被ったしんどさをそういう人には全くもって理解できないのだと思う。
私と妹が成人し、もうこれ以上父と生活することは不可能だと判断し、離婚話を進めていくのだが、父は一向に首を縦には振らなかった。
(きっかけになった出来事があったはずだが、忘れてしまっている。また思い出したら書こう。)
私が小学生の頃に母方の実家へ引っ越しをしたので、いわゆるマスオさん状態だった父。
出て行くのは、明らかに父だった。
出て行って欲しいと話しても埒が開かなかったので、結局、離婚調停、離婚裁判と進んだ。
どちらにも一度たりとも出廷しなかった。
その間、父は当然のように母の実家に住み続けた。
裁判が終わり、財産分与も決着がつき、自分のお金の取り分を手にしてから、彼は出て行った。
長かった。
出て行った日、ようやっとこの精神的苦痛から解放されるのかと安堵した。
物理的に距離は置けたものの、父が何かしでかすのでないか、こちらに何か火の粉が降りかかってくるのではないかともしばらくの間、気を揉んでいた。
出て行った日から今まで、彼には会っていないし、彼のトラブルには巻き込まれてはいない。
ようやっと私たちは安心、安全の場所で生活できている。
お母さん、今不満もあるだろうけれど、この安心感がある中で生活しているのは、娘たちのおかげだということ、わかっているかな?
自分で決断できなくて、いつもどこか人任せ。
娘たちが決断をし、前に進んでいなかったら、まだ父のモラハラに怯える日々だったよ、きっと。
まだなんか事あるごとに殴られてるよ。
今の生活の有り難さ、感じてくれてるかな?
私は小さい頃から、お母さんを助けやなって思ってたんよ。
そんなこと、小さな私に思わせないでよ。
ほんまに、私、よう頑張った。
十分にやってきたと思う。
誰からも評価されなくても、自分で自分を褒めてあげよう。
自分で自分を慰めよう、癒やそう。
ほんまにお疲れさま。
今ある幸せをきちんと感じて、生きていこう。