覚えている景色①
自分の家族がおかしいと気づいたのはいつの頃からだっただろうか?
自分の家族のかたちしか実際は経験していないから特異さは分からず、おかしいと実感できたのは、大学生の頃になるのか‥
大人になって、両親の生育歴を推察することができるようになって、どうしてそんな大人になってしまったのかは理解はできるが、納得をすることは全くできない。
自分を変えることはできたと思うから。
彼らはやはり、結局は自分のことしか考えていなかったのだと思う。
モラハラを母や子どもに繰り返し、パチンコに依存する父。
世間体は気にするので、きちんと職には就き、一見普通の人に見えていたと思う。
家庭崩壊まではいかないが、ギャンブルのお金が足りなくなると、父は母に力を行使して生活費をむしり取っていた。
それを小学生だった私は、ただただ「やめて!」泣きながら叫ぶので精一杯だった。
今でもその光景はカメラアイのようにはっきりと覚えている。
流し台の前ですごむ父。
渡すお金はないと必死で抵抗する母。
結局お金を奪っていく父。
この場面だけでなく、母が父に苛立ちをぶつけられている姿を見てきた私は、母を守らなければいけないという使命感を物心ついた頃から抱いていた。
そんな状況にありながらも、ちゃんと学校にも行き、グレもせず、母が敷いた人生のレールを何も疑うこともなく生きてきた。
条件付きの愛だけで、懸命に生きてきた。
よう頑張ってたね。
十分やったよね。
誰か私の立場を理解してくれる大人がいたらよかったよね。
誰かに相談すればよかったのかな。
でもやっぱり、父が怖かったから、誰かに相談するという選択肢は全く思いつかなかった。
15年ほど前に離婚し、父の呪縛からは解放されているから、忘れてしまっている感情は多々ある。
けれども父がいた風景を思い出すと、いつもビクビクして、いつ怒り出すかわからない父の一挙手一投足を気にしていた子どもの私を思い出す。
こんな中で育った子どもがどんな人格になるのかを想像するのは容易だろう。
もっと〈普通〉の家で育ちたかった。
両親が仲良くて、無条件の愛をたくさんたくさんもらいたかった。
どうあがいても、現実は変わらない。
どれだけ求めても両親からの無償の愛を受け取ることはできない。
だから、今の自分が過去の自分を助けに行く。
書き記すことは、今回のように辛い記憶を辿る必要があるので、正直辛くて悲しい。
けれども、自分で自分を癒す旅を続けていく。
それが自分の人生を肯定できる、自分を好きになれる唯一の方法だから。