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大人にビビってる私を、救ってくれたのは。
娘は4月で新一年生になります。
進学先は特別支援学校。
“障害児”として囲って大事にケアするより、地域の中にこんな子もいる、ちょっとケアが必要な子なんだ、“くらい”で同世代の子に揉まれて生活したい。
今の私のチャレンジはコレです。
副籍で通う予定の地域の小学校。
その隣にある児童館を利用したいと考えています。
まずは、見学に行こうと思います。
色々と調べたり、頭の中でアレコレ想定しても、自分のメンタルが疲れるだけで、現実にはあまり良い影響はない。
慎重に交渉しすぎて、“障害児がくる”って大ごとになることもあるので、かるーい感じで「誰でも遊びに来れますか?」って聞いてみよう。
考えるより行動!
行動あるのみ!
結果は後からついてくるはず。
コレは自分への応援。
本来の私は小心者で人見知り…知らないところへ足を踏み入れることはとても苦手です。
それでもチャレンジしようと思えるのは、
私のこと、娘のことを真剣に考えて、応援してくれる人がいるからだと思います。
ここで自己分析。
自分との対話をしてみます。
児童館は誰でも遊びに行けるところなんだけどね…。
この根回しに時間をかけるところが、私がまだ世間に対してビビってるあらわれ。
この、私の気持ちを重くしてるものはナンダ?
思い当たるものは、
『偏見差別』
↑コレは流せるようになってきた。
心の底から意地悪をしてくる人はほとんどいない。見たことないものをつい見ちゃう感じの視線に、私が過剰反応してるだけの可能性もある。
なんせ、小心者なので。
もっと私が恐れているもの。
『同情、共感、知ったか』
↑コレはマヂでシンドイ。
積極的に関わってきて、あーでもない、こーでもない。
分かる分かる、と自分の経験したことを話始めたり、不幸自慢が始まったり。
苦笑いでこの苦痛な時間が過ぎるのを待つしかない(°_°)
この時の私の顔は、瞳孔吹っ飛んでるんだろうな。
こうゆう人は、勘違いしてる。
私は不幸でも大変でもない。
共感されたいとも思ってない。
物理的にできないことがあったり、ちょっとしたことで人手や時間が必要だったり。
そうゆう事実を理解して欲しいだけ。
私や娘のメンタルケアはお願いしてない。
言い方は悪いが、
分からなければ聞いてもらえれば答える(答えられる範囲で)
それが出来なければ、ほっといていただいて大丈夫。無理に、無言の時間を埋めるお喋りは必要ない。
児童館で出会う、“大人”がどんな感じで、我が家に対応するか。
過去の苦い経験が、私の気を重くさせてるんだな。
そんな自分も人間らしい。
悩むだけ悩め。
答えはやってみないと誰にも分からない。
さらに自己分析、
なぜ“大人”にビビってるのか。
保育園で子どもたちと接して分かった。
子どもは、『同情も共感も知ったかもしない』
娘の存在をただ受け入れてくれる。
自分と違うところもあるし、
娘に何が必要なのかも理解している。
よだれが垂れたら、年少さんの女の子が、ティッシュを持ってきてくれた。
いつもハンカチでよだれを拭いてるのを見ているから、自然と手助けをしてくれる。
「なんでよだれが出るの?」
と聞かれても、
「上手に飲み込めないから出ちゃうの」
と一度答えれば、それ以降は何も聞いてこない。
いつも娘に寄り添ってくれる、年長さんのKちゃんがいる。
自宅で、Kちゃんが娘のことを粘土で作った。(Kちゃんのお母さんが写真を見せてくれた。)
粘土で作られた娘は、車椅子に乗っていた。
帰宅後も娘のことを想ってくれているだけで幸せなのに、娘には車椅子が必要と理解してくれることが、さらに嬉しかった。
そんな単純なことで、私の心は救われる。
児童館も、良いご縁がありますように。
鮮やかなピンクの粘土で作られていた、娘。
ありがとう。