人生は縁起で決まる
縁起、と聞いてあなたは何を思い浮かべますか?
縁起をかつぐ、縁起がいい、縁起物など、縁起を「吉凶の前兆を表す言葉」と捉えている方が多いのではないでしょうか
けれど、仏教で言うところの縁起は、それとは少しばかり違うものです
仏教で言う縁起とは、「原因とそれに伴ういくつかの条件(縁)が整うと、それらがお互いに関係しあって結果となる」ことを言います
これを「因縁果の法」と呼びます
つまりこれは、蒔いた種(原因)とその環境となる土や水、そして太陽光など(縁)が影響し合って、やがて芽吹きの時を迎える(結果)といったように、「この世の全ては、因縁果によってお互いに関係し合いながら存在している」という教えです
中でも「良縁」とは、良い結果に結びつくような環境や状況、または人との出会いを言います
つまり、例えある人に隠れた才能があったとしても、その才能が開花するための状況だったり、良い人とのご縁、特に師となる人との縁を結べなければ、そのせっかくの才能も眠ったままになるかもしれない、ということです
さて、私にとって良縁と言えるもの、それは紛れもなくメンターの松田悠玄さんです
松田さんは、人に優しく自らには厳しい人間的に大変信頼のおける方、何よりネットビジネスの世界で17年間結果を出し続けている実力者ですので、メンターとしてこれ以上ない縁であると言えます
そんな風に「どんな縁を引き寄せるかで人生の大半が決まる」のは確かな事のようです
ただ種も蒔き、それ相応の努力もしているのに、なかなか思うような結果が現れない時があります
そんな時は、誰でも焦ったりヤキモキしたりしてしまうものです
ただ結果が出ないということは、まだその時点で縁が充分揃っていないことの証です
春に植物が芽吹くのを自然の摂理というように、私たちも時が来れば必ずや花を咲かせることができる
そう信じて、厳しい冬の時を乗り越えたいものです
さて、「良い縁を引き寄せるためには、日頃から善い行いを心がけなければいけない」のは言うまでもないことです
私たちの前には、いくつもの見えない扉が並んでいます
その扉は、日常の瞬間瞬間において私たちが何を選択するかで、その選択に見合った扉が自動的に開くように出来ています
私たちが、その時どんな行動を取るのか取らないのか、又何を言うのか言わないのか、それらを選択する度に開く扉が変わっていくのです
一つの扉が開くと、目の前には又新たな扉が並んでいます
そうしていくつもの扉を開けた先に何が待っているのかは、あなた次第、ということなのです
もう一つの縁起
さて、私たちのよく知る「吉凶の前兆を表す言葉としての縁起」についても書きます
日本には沢山の縁起物がありますね
年中行事や結婚にまつわることには縁起物が欠かせません
そこで最近読んだ本の中に、縁起について面白いエピソードが出ていましたのでご紹介します
本のタイトルは、秋山眞人著「しきたりに込められた日本人の呪力」です
秋山氏曰く、引き寄せにありがちな「私は成功する」などという単純な暗示の繰り返しには、それ程効果はないとのことです
何故なら、「その言葉を発する時に生まれる欲望などの雑念が、成功のイメージを曇らせるから」だそうです
それより、洒落や語呂合わせといったもので表されるニ次的な意味の方が、潜在意識に落とし込みやすいと言います
実は、私たちは「単語」を発した時、その単語と同じ音や意味をもつものを無意識のうちに連想しているのだそうです
例えば、お正月料理の鯛は「めでたい」、昆布は「よろこぶ」といったようにです
そして、その連想が繰り返されることによって、知らぬうちに二次的な意味の方だけが潜在意識に落とし込まれていくのだそうです
これは、一種のサブリミナル効果と言えます
例えば、受験生を抱えたご家庭では「滑った」「落ちた」はご法度ですね
何故ご法度なのかと言えば、それはそれら言葉に宿る二次的な意味の方が、本来の意味以上に強く潜在意識に働きかけることを、私たちが経験的に知っているからです
ということは、鯛を「めでたい」、昆布を「よろこぶ」と連想するように、「成功」とか「富」といったものを連想する同じ音で出来た単語を口ずさめば良いということです
それが何かは、各自お考え下さいね
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では、もう一つオマケのお話しです
結婚式において指輪のやり取りが日本で始められたのは明治以降
その指輪に使われるダイヤモンドには、「今を最高にする」という霊的な意味があるそうです
なのでダイヤの指輪は、喜ばしい場に着けていくのは構わないけれど、苦しい時や悲しい時に着けて行ってはいけないそうです
何故なら、その状態が最高になってしまうから
とのことでした
読んでいただき、ありがとうございました
きみどり
お心遣いありがとうございます! これからの励みにします!