こうなりゃ負けちゃいられねぇや! 笑いと涙と落語とコロナ──桂やまと〈前編〉
新型コロナウイルスの感染拡大は芸能を生業とする方々のくらしぶりに大きな影響を与えました。落語家さんもそういった方々のひとり。
二児の父でもある桂やまとさんは、寄席やホールでの落語会で活躍するかたわら、小学校での学校寄席や子ども向けの落語教室など、積極的に子どもとのかかわりをつくってらっしゃる落語家さんです。
でも、寄席やホールは休業、子どもたちの学校も休校に……。
生の高座を失った落語家は、いったいどんなことを考えていたのか? そして、いやがおうでも考えざるを得なかった「新しい落語」のあり方とは?
ご挨拶がてらの<前編>、新型コロナウイルス感染拡大を受けての<後編>と、2回にわけて、やまと節全開で語っていただきました。
■ご挨拶・落語家の桂やまとです
2020年2月下旬。
寒い日が続いていましたが、街の人通りのなさはその寒さのせいではなかったようで。
あたしは上野鈴本演芸場のトリを務めておりましたが、いつもは賑わっている寄席も明らかにお客様の足が遠のいていました。
2020年2月、トリを務めた上野鈴本演芸場
「ごめん、あなたがトリの時は必ず駆けつけるんだけど、今回ばかりは残念だけど様子を見ますね……」
そんなお電話をご贔屓の方々からわざわざ頂く日々。これが長い長いトンネルの入口になろうとは。信じたくなかったけど、日を追うごとに見えない何かが確実に迫ってきていることを認めざるを得ませんでした……。
あ、ご挨拶が遅くなりました。落語家の桂やまとです。一般公演だけでなく子どもたちへの落語教室をライフワークにしているほか、小学校のPTA会長を続けていることもあり、こちらでちょいとお話しさせていただくこととなりました。どうぞ一席お付き合いくださいませ。
■落語家になると決めた瞬間
コロナ禍以前、いつも通りの高座
(深川江戸資料館小劇場にて)
「俺、落語家になるから」
たとえばですけどね、急にお子さんからそう宣言されたら、皆さんはその場でどう答えますかねぇ……。
ちなみにあたしがそう告げた時、父はこういいましたよ。
「冗談言っちゃいけねえ!!」
身近なようで身近じゃない、それが落語という芸能。存在は知ってても一度も聴いたことがない方も多いと思います。
あたしは東京の下町・荒川に生まれ育ち、ちょっと足をのばせば寄席のある上野や浅草に行けますから、聴くチャンスはいくらでもあったにもかかわらず、初めて生の落語に出会ったのは19歳の時。二年目の浪人生となり、予備校に行かせてはもらえましたが教室に入ると完全なる窓際族。未来ある一浪の輝きには勝てず、サボって新宿御苑の芝生に寝転んだりしてました。家に帰っても無言のプレッシャーを勝手に感じて息苦しい。どこにも居場所がなかった頃でした。
地元の進学校に進んだものの
ギターに熱中しドロップアウト
そんな時テレビ台に置いてあったのが浅草演芸ホールの招待券。新聞屋さんが毎月持ってきてくれたこのチケットは、あたしの祖父の唯一の楽しみでした。月に2回の寄席通い……これが祖父の生き甲斐でした。
でもその祖父が寝たきりになってしまって、招待券だけは毎月届く。あたしも逃げ場所を探してたんで、「もう、どこでもいいや」とヤケクソになってこの招待券を握りしめ、浅草演芸ホールに足を踏み入れました。
2階の一番後ろの席に座って、入れ替わり立ち替わり出てくる芸人たちをながめてました。この日はほぼ満席で、番組が進むにつれて客席も熱気を帯びていくのがわかりました。
後半になるとみんな体を揺らしながら思いっきり笑って、まるでウェーブしているかのようでした。そしてトリの頃にはあたしも一緒になって何も気にせず笑ってました。
あんなに笑ったの、どれくらいぶりだったっけなぁ……。
あたしが演芸に救われた記念日。そう、心身ともに壊れていたあたしが息を吹き返した瞬間でした。
浅草演芸ホール。
毎年夏には恒例の「住吉踊り」に出演
■三代目「桂やまと」襲名まで
二浪の末、中央大学に受かってすぐに落語研究会へ。そしてのめりこむだけのめりこんで2年生になろうという時に、前出のあの宣言をしたわけで。二浪もしておいて果ては落語家なんて……と、親からは大反対されましたが、卒業が決まるまでずっと説得。結局折れてくれましたが、念願かなって桂才賀に入門できてからがまあ大変で……。
落語界には階級があります。入門から順に、見習い→前座→二ツ目→真打、と昇進していきます。この見習いのうちに自分の主張を捨て去って、理不尽のオンパレードにどれだけ耐えられるか、これが最初の関門です。無駄口を叩かず、自分の尺度で判断してはいけないという、芸の修行ではこれが大前提となります。学生時分にやってきたこともすべて忘れないといけない。
前座時代の高座姿。
前座は羽織を着られません
「素人の芸なんてな、プロの世界じゃ一つも使えねえんだよッ!!」
そんなつもりはなくても、師匠から見れば余計なものがたくさんついてるように見えたんでしょうねぇ。入門から半年間は芸名すらもらえず、ただただ朝から夜中まで怒鳴られながら必死に食らいついてました。
それから「桂才ころ」という名前をもらって前座を4年。二ツ目になって「桂才紫」と改名して11年。入門から15年で三代目となる「桂やまと」を襲名して真打に昇進して現在に至ります。
■人生のターニングポイント~断酒とPTA活動
これまでの人生でいろんなターニングポイントがありましたが、一番は「酒をやめたこと」ですね。6年前まで毎日浴びてましたから。記憶は失くすし大声は張りあげるし身体も壊しつづけるし手に負えない。でも一大決心してピタッと断酒したことで、新たな始まりを迎えることになります。
それがPTA活動。
ちょうどその時、うちの子が通う小学校のPTA役員が決まらない状態で、「誰かやってくれませんか」と切実な手紙が配布されてきたんです。あたしも酒をやめて正気に戻ってましたんで……「困ってるのなら、やってみるか」と立候補しました。
副会長として入った1年目。なるほど、やることが多すぎて敬遠されてしまうのがよくわかりました。また、子どもたちのために活動しているはずなのに、子どもとのふれあいが思ったより少ないうえに人数集めのような活動が多いとも感じた。
「こりゃ何とかしなければ」と2年目に入って会長に指名された際に、「あたしが全部責任持つから、うちのPTA活動変えるよ。だから一緒に頼むね」と他の役員さんにもお願いして、あとは有言実行で今もどんどん改革中。活動の負担もかなり軽くなり、毎年あれだけ決まらなかった新役員人事も、ここ数年は2週間ですべて決まっています。各委員会の委員さんも同じくあっという間に決まります。中には繰り返し立候補してくださる方々もいて有り難い限り。やるからにはやっぱり楽しいほうがいいですもんね。
小学校の卒業式でPTA会長として挨拶
■小学校図書ボランティアと落語教室
小学校の図書ボランティアに参加するようになったこともいい転機でした。月に一度の読み聞かせは、見事に落語家の血が騒ぎます。ただカミさんからは「デフォルメし過ぎ」と注意されるので気をつけてはいるんですが、お客さんが……いや、子どもたちが思いっきり楽しんでくれるやり方を模索した結果、多少の演出は必要だと感じてるんですよね。もちろん、作者の意図を尊重しながらですが。
また小学生への絵本の読み聞かせは、10分以内がベストだと実感しています。やる場所が教室であったり、みんな一緒になって鑑賞していることや集中できる時間などを考えると、10分を超えるものはゴールまで物語の楽しさを伝えるのが難しくなってきます。
これは小学校での落語教室でも同じことが言えるんです。小・中学校にお邪魔する落語教室は二ツ目時分からずっと続けていまして、たとえば千葉県佐倉市では教育委員会からのご要望ですべての公立小学校を7年かけて巡回公演しました。また市原市や成田市の小学校にも毎年行きますし、地元荒川区でもご依頼をいただく学校が年々増えています。
ライフワークでもある子どもたちへの落語教室
子どもたちにとっては人生で初めての生落語ですから、絶対に「おもしろい!」と思ってもらえないとプロが披露する意味がないと思うんです。もし初の落語がつまらないって感じたら、もう一生、聴いてくれなくなっちゃうじゃないですか。だからあたしは、落語家としてかなりの使命感を持って学校公演に取り組んでいます。落語だけではなく、古典芸能に興味をもってくれる子どもを一人でも増やしたいんです。芸能の未来のためでもあります。
そうして続けることでわかったのが、一席10分が小学生にとってはベストだということ。古典落語の演目は数多くありますが、そのうち小学生でも楽しめる噺は五、六席しかありません。それをさらにわかりやすく演出して、10分に短縮してお届けしています。子どもたちが笑い転げている姿を見て、先生方が驚いてますよ。「この子たちって本当はこんなに笑うんだな」って。
落語は想像を楽しむ芸です。一席を聴きながら登場人物や風景を想像して楽しめる限界が10分。これって、絵本の読み聞かせにおいても同じなんですね。あくまで経験則ですけど、あたしはそう感じています。
また読み聞かせについていえば、学年によって定番ができてきたのはうれしいことで。特に低学年は長谷川義史さんの『いいからいいから』(絵本館)、あとはマーティン・ワッデルさんの『よるのおるすばん』(絵:パトリック・ベンソン、訳:山口文生、評論社)がドンピシャですね。共通するのは、お約束ワードがくりかえし出てくること。読み進めていくと「いいから いいから」や「ママに あいたいよう!」がまた来るぞ、という期待が教室中にあふれます。
このチャンスを逃さずに「押す」んですね。あたしたち落語家は「押す」とか「クサくやる」なんていいますが、ここぞというところをあえて強調します。子どもたちが欲しいと思う気持ちを満たしてあげる。中途半端にやったら満たしてあげられません。だから押すのが大事。
落語も絵本の読み聞かせも、やり方ひとつで印象がガラリと変わるからおもしろい。本当にやりがいがあります。
近年はさらに活動の幅を広げて、学校の周年行事でその学校の歴史を盛りこんだオリジナル落語を作って子どもたちに演技指導したり、落語はもちろん自分の芸を活かして(長唄囃子の名取なんです)、寄席囃子の教室で子どもたちに和楽器のすばらしさを伝えています。
寄席のお囃子について解説。
実際に子どもたちが楽器に触れる時間も
■次回予告「生の高座を失った落語家はどこへ行く」……乞うご期待!
昨年3月から新型コロナウイルス感染拡大防止が叫ばれ、落語家にとってははじめてとなる「生の高座」を失う事態が起きました。目の前にお客様がいるからこそできる仕事……それが『落語』だと信じてきたのが落語家です。あたしはその中でどうしたのかは、また次のお話で。
(<後編>に続きます)
2020年2月、上野鈴本演芸場近辺。
いつもと全く違う人通りの少なさ
*タイトル写真:撮影 武藤奈緒美
――――――――――――――――――――
「こうなりゃ負けちゃいられねぇや! 笑いと涙と落語とコロナ──桂やまと<後編>」は→ こちら
★桂やまとさんの公演情報(オンライン独演会含む)はこちらをご覧ください→ こちら
★桂やまとさんの子ども落語教室動画(東京都「アートにエールを!」事業)