私とライブハウス / シゲ
text by シゲ
posted on Feb 16,2021
現在コロナ禍でいくつものライブハウスが(ライブハウスに限らず飲食店も)辛い状況にあります。お店を畳んでしまった所もたくさんあります。
こんな状況になって、改めてライブハウスって大事な場所だなぁと思うと共に、そういえばいつ頃からライブハウスに行くようになったっけ等色々と思い出しておりました。
高校時代は、音楽は好きでしたがライブハウスという場所には全然行ってませんでした。バンドにはとてもとても憧れていましたが、いかんせん友達が少なかったので、一人で家で音楽を聴いて、一人でベースを弾いている事しか出来ませんでした。
たまに友人がやっていたコピーバンドのライブに誘われて静岡の今はなき某ライブハウスに行った事はありました。つっても2回くらいかな。
その時はなんか、当時の第二次メロコアブーム(青春パンクブームかな)に乗ったヤンキーコピーバンド達の溜まり場みたいになっていて、多分イベントがそういうイベントだったからなんでしょうが、とにかくヤンキーやチャラついた方々しかおらず、気が小さい私はビクビクしながら隅っこの方にいました。もちろん、そこで見たバンドの事など全く覚えていません。
店員さんも無愛想でおっかなかったです。
よく覚えているのが、初めてライブハウスの受付でお金を払った時、店員さんが怠そうに「◯◯円とドリンクです」と言ったので、チケット代だけ出して「あ、ドリンクはいりません」と言ったら店員さんが更に怠そうな顔をして「いや…ドリンク代は払ってもらわなきゃなんですけど…」と言われ、あ、そうなのか…と恥ずかしい想いをした事です。
そんなん、わかんない人からしたらわかんなくね?と当時の自分はめちゃくちゃ思いました。この経験は、後にライブハウスで働く事になった時に大変役立ったと思います。(ライブハウスに初めて来るお客さんにはちゃんとわかりやすく対応する等)
てな感じで高校時代のライブハウスのイメージは、とにかくおっかないというイメージしかありませんでした。
それから大学に入学して軽音部に入りマイクロタゴスの先輩方や色々な先輩方と出会い、その繋がりで四日市のロックオンというライブハウスに行く事になりました。
確かそのライブは、当時の軽音部の先輩バンドのラストライブが行われるという事で見に行った記憶があります。
ライブハウスにおっかないイメージしかなかった私は最初は行くのにめちゃくちゃ緊張していたのですが、行ってビックリ、ロックオンというライブハウスは大変居心地の良い所でした。「ああ、こういうライブハウスもあるのかぁ」と非常に安心した覚えがあります。
その日のイベントの事はよく覚えています。先輩達のバンドが大変素晴らしいラストライブを飾った事、後に仲良くさせて頂く事になるカマキリバズノイズというバンドが物凄くカッコ良かった事、そしてこれは今でも鮮明に覚えているのですが、当時軽音部の友人だった山田くん(山ちゃんと呼んでいました)がベースを弾いていたHALKA GOATというエモバンドがトリで超感動的なライブをし、衝撃を受け、涙し、しばらく鳥肌がおさまらなかった事。
あの時のロックオンのライブは、自分の人生にとって必要不可欠な体験でした。
それから、バンドを組む事になり、初めてちゃんとしたライブをやったのが移転した後の四日市ロックオンでした。対バンは軽音部の友人がやっていたバンドのみで、今思えば初ライブがツーマンという凄い体験でした…(お客さん全然いなかったけど)
その時のライブの事も、めちゃくちゃ覚えてるなぁ。とにかく緊張しましたが、その緊張が良かったのかスタジオでは出せなかった感じみたいのが出せて、今思うと中々良いライブが出来たと思います。
終わった後、メンバーと「めちゃくちゃ緊張したねー!!」と泣きそうになりながら笑い合ったのが、とても強く印象に残っています。
ロックオンは、それから間もなくして閉店してしまったという噂を風の噂で聞きました。本当にいつの間にかという感じだったので、最後に一度行きたかったな。
それからなんやかんやで自分はそのバンドを辞めてしまったのですが、その後加入させてもらったバンドで名古屋のクラブロックンロールというライブハウスを中心にたくさんライブをしました。
もはや高校生の頃のライブハウスのおっかないイメージは気付いたら何処かへ行ってしまい、バンド、ライブハウスは自分が自分らしく生きるうえで無くてはならないものとなりました。
22歳で静岡に帰る事になり、しばらくの間は静岡から名古屋に通ってやっていたバンドを続けていたのですが、今思うとやはりバンドを継続するのに距離というのは大事な部分であり、メンバーもちょうどその頃皆将来の事等を考え始め、ちょうど自分が静岡に帰ったのが何らかの節目みたいな感じで、間もなくバンドは解散してしまいました。
あの頃、一つの青春が終わった感覚が確かにありました。
それからほぼ2年くらいはバンドを全くやっていませんでした。
またやりたい気持ちはあったにはあったのですが、自分は名古屋で音楽活動を始めたので、地元静岡では音楽仲間はその頃全くおらず、始めようにもやりようがありませんでした。
時々インターネットのメンバー募集等を見て、ちょっと興味があったらそこから色々な人と連絡をとってスタジオに入ってみたりはしたのですが、自分の中で名古屋での「あの頃」を感じられる感覚が今ひとつ得られず、というか全く得られず、なんというか、「あの頃」みたいになれないなら自分はもうバンドはやらない方がいいのかなと思っていました。
で、仕事に行って帰って寝るだけ、休日は一人で楽器を弾いたり、たまにCDショップ等に行ってCDを買って聴いたりするだけ、みたいな生活をしていました。
まるで高校時代に戻ったみたいだなぁと、ただただ虚しくて泣けてくるような、そんな時期でした。
そんな時、とある中学の同級生から突然連絡がありました。
その同級生というのが、後に静岡の宝と呼ばれる事になる、あの佐久間正英氏が生前最後にプロデュースしたバンド・アドバルーンのメンバーとなる教授でした。
教授とは、中学の頃はそこまで交流は無かったのですが、20歳くらいの頃名古屋から何かの用事で帰省していた時にたまたまあった同窓会で再開し、そこで教授と音楽の趣味が近い事を知り、連絡先を交換して今度また遊ぼうと約束をしていました。
その頃は名古屋でバンド活動に夢中になっていたので教授と遊ぶ事をすっかり忘れていたのですが(笑)、まさか彼と後々長く深く人生において重要な付き合いになるとはその時思いもしませんでした。
教授から連絡をもらって遊ぶ事になり、教授の家に遊びに行ったら、まさに音楽マニアの部屋みたいな感じで、大変興奮しました。自分も色々と音楽を聴いていたつもりでいたけれど、教授は更に色々な音楽を聴いていて、更に興奮しました。
それと同時に、失いかけていた音楽への、バンドへの気持ちがまた沸々と甦ってきました。
音楽はやっぱり最高だ、出来ることならまた自分は音楽がやりたいと。
教授のおかげで、そういう気持ちを取り戻せました。
それから、某SNSでたまたま見かけたメンバー募集に再び勇気を出して連絡してみようと思い連絡してみたのが、twiceというインストバンドでした。(同時はまだ同名のアイドルグループは存在してませんでした)
twiceでスタジオに入って、「あの頃」とは確実に違うけど確かに大変面白いものを感じました。
やっとそこで、自分は再びバンドをやる事になりました。
それから、教授と色々なイベントに行ってみたりtwiceの活動を通して、地元静岡で面白いシーンがある事を発見し、そこでの出会いが現在までに至ります。
静岡でバンド活動を始めてとても影響を受けたのが、なんといっても今はなき浜松のライブハウス・ルクレチアでした。
浜松を拠点に世界で活躍しているダークサイケバンド・UP-TIGHTの青木さんが店長をやっていたライブハウスでした。
自分はそこまで常連さんというわけではありませんでしたが、面白いイベントがあれば必ず教授と見に行っていたし、物凄く今の自分を形成する上で大事な場所でした。アンダーグラウンド・ミュージックとは何か、という事をルクレチアで学びました。
しかしそのルクレチアも、自分や教授が行きだして数年で閉店してしまいました。
あの時の寂しい気持ちと、閉店ライブの帰り際に手を振ってくれた青木さんの笑顔が今でも忘れられません。
ルクレチアが閉店して、これからどうなっちゃうんだろうなぁと思っていた矢先、浜松では新たにズートホーンロロというライブハウスが出来ました。ルクレチアの流れを組むライブハウスで、ズーロロが出来た時は大変嬉しかったです。後にオーナーのダイスケさんが、ズーロロの2号店としてキルヒヘアというライブハウスを開くのですが、その場所が新たな浜松の面白い音楽シーンの中心となっていきます。
同じ頃、静岡市ではGolgothaというバンドでギターボーカルをやっていた針谷さんから、静岡市にライブハウスを作るという話を聞きました。
それが、静岡の「騒弦」です。
正直、最初は「まさか静岡に新しくライブハウスを作るなんて、なんだか想像出来ないなぁ」と思っていました。
しかし、針谷さんは見事に騒弦というライブハウスを静岡の街中に作り、そこが静岡の新たな音楽シーンを作っていく事になります。
自分の音楽活動においても騒弦が中心となり、今思うと騒弦がなかったら本当に本当に自分は音楽を今に至るまで続けられなかったと思います。
そしてひょんなきっかけで3年間だけ騒弦の店長をやらせて頂いた事もありました。
あの経験は、後にも先にも何ものにも変えがたいものとなりました。
その静岡のライブハウス騒弦、そして浜松のライブハウスキルヒヘアという自分の音楽活動の歴史と楽しかった思い出がたくさん詰まった場所が、この春無くなってしまいます。
騒弦は既に解体作業に入り、次に静岡の両替町に行く時には跡形も無くなっているでしょう。
騒弦は一時閉店という形で、時が来たらまた新たな場所に移店する予定なのですが、やはり今まであった騒弦が無くなってしまうのはとても寂しく思います。
なんだか私のどうでもいい過去の話もあって長くなってしまいましたが、静岡の音楽シーンが新たな節目を迎えつつある今、改めて自分にとってのライブハウスとは、人生に多大な影響を与えたものだなぁと思います。
ライブハウスがあったから人生が変わった人は、自分以外にも沢山いると思います。というか、この目で見てきた限り確実にたくさんいます。
自分にとっての大事な場所、誰かにとっての大事な場所、それを作り上げてきた方々を今心から尊敬致します。
今まで当たり前のようにあると思っていた場所がなくなってしまう寂しさを改めて痛感すると共に、また一つの青春が終わりを迎え、じゃあこれから自分は何をしようかという事を最近色々考えます。
自分に何が出来るか、とかそんな大それた事は考えていませんが。
じゃあ何をしようか?という事を、少しずつ。
私とライブハウス、の話を自分はまだまだ終わらせたくありません。
シゲ_profile
静岡に住んでいます。
音楽が好きです。
バンドをやったりもします。
Gangliphoneというバンドでベースを弾いています。