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連作の紹介(1)内田穰吉「調べ」8首
作品
昭和十八年三月十五日、反戦思想の故を以て数多の学友と共に大阪府特攻課に検挙され、曽根崎警察署に留置、昭和十九年二月十日に至る。
七人がぐるりと我をとりまきて言へよと迫る小さき室に
窓の外は阪急広場窓の内は我をとりまく刑事と我と
四五人のわが若き友の名を示し皆はいへりと烈しくせめぬ
次々とわなを設けて追ひゆけり次々とわなは外れてゆきぬ
戦ひの今日の日にして我が友ら捕はれたるか思へば苦し
言ふ事があらばあるひは云ひもせむ調べの室に日は暮れ行きぬ
夕暮れて電燈暗き調べ室刑事らは物を言はずなりけり
怒りつつ刑事らは皆帰りゆけり明日の調べは烈しくならむ
解説
映画のワンシーンを見ているように、取り調べのさまが目に浮かぶドラマティックな連作である。全体はおおまかに場面描写→主体の心情→時間経過という構成をとっている。最後の句が「明日の調べは烈しくならむ」で終わっており、連作の出来事が何度も繰り返されたことを暗示する(→分析)。
内田穰吉(1912-2002)は日本の経済学者。戦前は共産主義運動にかかわり、何度も治安維持法違反で検挙されている。
連作のもとになった事件は「日本貿易研究所在勤中の1943年3月15日、輸出ブラシ工業の調査・研究・出版が治安維持法違反にあたるとして同僚とともに検挙された(日本貿易研究所事件)」というものらしい(参照)。
生涯にわたっていくつか歌集を出しているが、ネットで閲覧することができない。ここでは歌を小田切秀雄「内田穣吉「たたかひの獄」のこと」(『文学の窓』1948。初出『人民短歌』1947/11)から引用した。小田切秀雄はマルクス主義の立場をとりつづけた文芸評論家である。
小田切は歌集『たたかひの獄』を非常に高く評価する。なお、歌集の刊行前に小田切の文章が載っているので、事前に献本があったのかもしれない。
戦争下に特高警察にとらえられ、留置場へ入れられ引き出して調べられ、未決監へ送られ、終戦で解放されるまでの、強いられた灰色の生活のなかからこれらの歌は生みだされているのだが、この灰色の生活に対して内的にはいささかも屈服していない著者のおのずからな人間的権威の輝かしさは、歌そのものを灰色どころかみずみずしい生命にあふれた作品としている。
「調べ」についての評価は次のとおりである。
「調べ」一連の歌は、特高の調べ室に引きだされたときの緊迫した空気をたしかな声調のなかに描き出しながら、ほかならぬその凝視と声調とのたしかさにおいて、しつかりと抵抗することのできた、作者自身をうちけしがたくものがたるものとなつている。
分析
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小田切が述べている歌の緊迫感は、連作のなかで演出されているようにみえる。[①具体的な場面]からはじめることで臨場感が演出され、[②・④状況説明]は[①・③場面描写]に挟まれて置かれている。
[①~④]で舞台を整えたあと、ようやく[⑤・⑥主体の心情描写]が置かれ、[⑥・⑦時間経過]を経て[⑦・⑧刑事の心情変化]が導かれる。連作が[⑧明日の取り調べの予告]で終わることで、一連の出来事が何度も反復される(された)ことを強く示唆する。
結論として、小田切の評価はもっともだが、この連作のリアリティーはかなり意識的に構成されていると考えられる。
※『たたかひの獄』の歌の一部は国会図書館デジタルコレクションから閲覧することができます(リンク)。