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〈世界〉になじめない〈私〉――前川佐美雄『植物祭』私論/10月の短歌

はじめに

2023年、前川佐美雄『秀歌十二月』、三枝昂之編『前川佐美雄歌集』が発売された。前年には『ねむらない樹』vol.9、特集「詩歌のモダニズム」に前川佐美雄の評論が多く寄せられ、2020年7月には『短歌』に特集「没後30年 前川佐美雄」が編まれている。彼はいまさかんに読み直されている歌人だ。

彼はなにをしたのだろうか。前川佐美雄主宰の歌誌「日本歌人」(1934-41)は戦後に復刊されるが、その同人には戦後短歌を彩る塚本邦雄・山中智恵子・前登志夫らがいた。さらに以下で触れる『植物祭』について、1930年に編まれたこの歌集は現代短歌の最初の達成として位置づけられている。『アララギ』的な写生主義を近代短歌とすれば、昭和初期にはじまる前衛短歌運動が現代短歌のはじまりであり、その最初期の成果が『植物祭』だったということだ。総じて前川佐美雄は現代短歌の源流と言えるだろう。

以下、三枝昂之『前川佐美雄』、三枝昂之編『前川佐美雄歌集』の二冊を頼りに前川佐美雄の初期世界を探ってみよう。特に断りがない場合、歌は『前川佐美雄歌集』から引いている。

なお、引用する歌には「白痴」「きちがひ」という表現が含まれている。これらはいま不適切な表現だが、時代背景と作品の独立性に鑑みて変更を加えない。筆者はこうした表現について〈狂人〉という語を用いた。前川の歌に即して彼の表現世界を分析するための用語であり、特定の集団・属性を指しているわけではない。どうかご理解いただきたいと思う。

2.『植物祭』の表現世界が独立した『植物祭』評となっています。こちらだけお読みいただくこともできます。

1.『春の日』から『植物祭』まで

1903年、前川佐美雄は奈良県南葛城群忍海おしみ村に生まれる。11歳のころから短歌をつくり、1921年3月に『心の花』に入会した。同誌で彼はすぐに頭角を現し、12月には「晩秋悲歌」12首が1ページにわたって掲載される。これは同人と同じ待遇であった。抄出しよう。

秋なれや日まはり畑のふかみより畑打つ音の悲しく聞こゆ
君恋ひて思ひふければ秋雨の庭石ぬらす夕べとなるも
せまりくるものぐるほしさうまからぬたばこを吸ひて夜更かすなり

われ去ればこの自画像を愛せよと妹に言ひつつなみだ拭ひぬ(故郷を出づる日三首)
秋風に桜紅葉のちりしく日吾は淋しく家をば出でし
家出づる吾を見送る肉親のゐやする時のたまゆらの心

『心の花』1912年12月号。ルビ筆者、以下同。

『アララギ』的と言ってよい短歌だが、「せまりくるものぐるほしさうまからぬ莨を吸ひて夜更かすなり」「吾去ればこの自画像を愛せよと妹に言ひつつ泪拭ひぬ」あたりに屈折した自意識を読みとることができるかもしれない。

1922年、前川は上京して東洋大学に入学すると、『心の花』の歌会である曙会に参加するようになる。ここで大いに鍛えられたようだ。こうした初期から1926年9月までの短歌を集めたのが歌集『春の日』である。

三枝は『前川佐美雄』で『春の日』に、『植物祭』には見劣りするものの「一つの世界として自己主張できる」価値を認めている(p.41)。とはいえ『前川佐美雄歌集』には14首しか収められていない。一首のみ引いておこう。

干草ほしくさの匂いをかげばひもじきにうらうら秋の日は落ちにけり

「うらうら」だから暖かい秋の夕暮れだ。「秋の日」も「干草」も目に見えるような明るい景だが、「干草の匂い」を嗅いで「ひもじ」くなる主体の姿が妙になじまない。

1925年に大学を卒業して帰郷した彼は、1926年に再び上京し、『心の花』同人との関わりを深めていく。

ここで昭和初期の歌壇を概観しておこう。『アララギ』を主流とする写生主義・文語定型の既成歌人に対抗して、プロレタリア短歌モダニズム短歌は短歌の革新を目指していた。なお、プロレタリア・モダニズム二派の内部には文語/口語、定型/自由律という立場の違いがあった。興味深いのは、前川が雑誌掲載の段階では口語自由律志向であった短歌を、『植物祭』に収める際には口語寄りの文語定型志向に修正している点である。三枝は『前川佐美雄歌集』「解説」において昭和末期の一大ベストセラーである俵万智『サラダ記念日』が文語・口語のミックス短歌であったことに触れ、『植物祭』をその「先駆的なトライだった」と位置づけている(p.299)。

1928年、前川らは新興歌人連盟を結成してプロレタリア短歌・モダニズム短歌の結束を目指したが、同年末には解散してしまう。翌29年プロレタリア短歌側は無産者歌人連盟を結成し、『プロレタリア短歌集』を企画。同年7月にはプロレタリア歌人同盟に改組し、機関誌「短歌前衛」を創刊する。当時の前川にはプロレタリア志向があり、『プロレタリア短歌集』・「短歌前衛」ともに参加しているが、その基底には常にモダニズム志向があった。前川は12月に「短歌前衛」から脱退するとモダニズム短歌に注力するようになる。なお、モダニズム短歌側では29年3月に前川らが「先端」を創刊していたが、4ヶ月で終刊してしまう。このような流れのなかで翌30年に刊行されるのが『植物祭』である。

2.『植物祭』の表現世界

2.1.知覚・認識をズラす

〈私〉がいて、〈世界〉がある。〈世界〉は〈私〉に知覚され、〈私〉は〈世界〉を認識する。このように〈私〉―認識・知覚―〈世界〉という図式を想定してみよう。

大正期の歌壇は『アララギ』が支配的な勢力を持っていた。彼らの歌の特徴は、〈私〉と〈世界〉の関わりを現実らしさのなかで捉えていることだ。作者は実体験をもとに歌をつくり、読者は歌を実際の出来事として詠む。それを支えているのは歌そのものの現実らしさである。

前川佐美雄が『植物祭』で目指したのは現実らしくない歌をつくることだった。彼は「真の芸術的短歌とは何か(二)」という文章で、短歌の「革新」にはただ「方法」が必要だとして次のように述べている。

 ではその方法とは如何?
 この勿体振った答えはただ一言である。曰く「新しい角度から見る」ただそれだけである。「新しい角度から見る」には「新しい精神エスプリが必要である。(…)ここでコクトオの言を引こう。「真の現実の主義は、僕らが毎日触れているために最早や機械的にしか見なくなっている事物を、それを始めて見るかのような、新しい角度を以て示すことにある。」

『心の花』1930/10。新字体・新かなに改めた。太字筆者、以下同。

「新しい角度から見る」とは、第一に〈私〉の知覚・認識を変えるということだ。世界の捉えかたが変われば、自然と〈私〉の感覚が変化するからである。

耳たぶがけもののやうに思へきてどうしやうもない悲しみにいる

ここでは「耳たぶ」が「けもののやうに」という直喩によって捉えなおされることで、〈私〉は「悲しみ」を感じている。比喩はもっともスタンダードな知覚・認識のズラしかたといえるだろう。

裸体はだかにて量器はかりのうへにのつてゐるこのさびしさはいくとせぶりぞ

体重計に乗るという日常の一コマが、ここでは「さびしさ」という視点から捉えなおされている。これは現実の新しい捉えかたを教えてくれる。

あかあかと夕日に染まりゐる野のはてに何んとわがの小さくぞある

「夕日に染まりゐる野」があることで、「わが家」がちっぽけなものとして捉えなおされている。


2.2.〈私〉をズラす

〈異様な私〉

「新しい角度から見る」ために、ほかに変えられるものがないだろうか。〈私〉―認識・知覚―〈世界〉という図式で考えれば、〈私〉をズラす方法〈世界〉をズラす方法が思い浮かぶ。

ここで注意すべきなのは、前川は現実でない歌を詠みたかったわけではないということだ。先の引用で前川が引くコクトオの言葉が「真の現実の主義は」からはじまっている点を思い出したい。〈私〉を非現実までズラすのであれば、たとえば死人やドラキュラや小石にしてしまえばいいし、〈世界〉をズラすならあの世や異世界にすればいい。しかし、『植物祭』の歌にはこのような例がない(……か、ごく少数だろう)。あくまで現実のなかに非現実的な要素が介入してくるようになっている。

これを踏まえたうえで、〈私〉をズラすにはどうすればいいか。前川がとったのは〈異様な私〉になる方法、そして〈狂人〉になる方法だった。

さんぼんの足があつたらどんなふうに歩くものかといつも思ふなり

〈異様な私〉を想像している歌だ。

かなしみを締めあげることに人間のちからを尽して夜もねむれず

「かなしみ」によって眠らないのは普通の行動だが、「かなしみを絞めあげることに」尽力して眠れないところが異様に感じられる。

すつぽりと着物着かへて何処どことなくこの秋晴に出でて行かましを
どうせこの虫にもおとるわれなれば今日の秋晴にも寝てゐてあらむ

正常から逸脱した〈異様な私〉は、一方では奇怪に、他方では滑稽に感じられるだろう。

わが室にお客のやうにはいり来てきちんとをれば他人の気がする

ここでは「わが室」という〈世界〉が設定され、そこに〈私〉が部外者として入っていく。〈異様な私〉を演じている歌だ。


〈狂人〉

なにゆゑにへやは四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす

〈狂人〉の歌。〈狂人〉は〈狂人〉であるがゆえに、その知覚・認識は狂い、〈世界〉も狂いをきたす。前川はそう考えただろう。知覚・認識だけをズラすのではなく、〈異様な私〉のように〈私〉がわずかにズレるのでもない。〈私〉そのものをはっきりと〝変えて〟しまうことで、認識から〈世界〉までを根こそぎ変えることができる。重要なのは、この〈狂人〉が非現実の存在ではない点である。つまり現実らしくない歌を詠む確実かつ安定感のある方法だと言え、『植物祭』の大きな特徴になっている。

丸き家三角の家などの入りまじるむちやくちやの世が今に来るべし

同じ連作中の一首。先の歌のとまどいが、ここでは確信に変わっている。

ひじやうなる白痴の僕は自転車屋にかうもり傘を修繕にやる

〈狂人〉が生みだす狂いがもっとも劇的に表現された一首である。おそらく「かうもり傘」という表現が重要で、コウモリの持つイメージが「白痴」の「白」と黒の対比を生みだし、歌にゴシック的な情感を与えている。実は自転車の車輪と傘の骨組みはけっこう似ていてそれほど狂ってないのではないかという突っ込みは可能だが、このような歌は今までなかっただろう。


2.3.〈世界〉をズラす

〈異物混入〉

〈世界〉を非現実にせずにズラすには、現実世界に異物を混入させる方法がある。

海超えて幾万のばつたがらむそんな日あれとせちに待たるる

ぞろぞろと鳥けだものをひきつれて秋晴の街にあそび行きたし

変わらないこの〈世界〉に異物が舞い込んでくる、または〈私〉が異物を引き連れる、その期待の歌である。

野の花がみな目玉もちて見るゆゑにとても独で此処にをられぬ

一首の表現に従うならば、実際に「野の花」に「目玉」があると考えるほかない。ここでは〈世界〉の一部が異物に変化している。


客体化される〈私〉

床の間に祭られてあるわが首をうつつならねば泣いて見るべし

テクニカルな歌だ。〈私〉の頭部を切り離して〈世界〉の側に配置し、さらにそれを認識する〈私〉がいるというのだ。もちろん「うつつならねば」だから現実ではない。

前川は『植物祭』の歌を詠むなかで〈世界〉や〈私〉のズラしかたを何度も考えただろう。〈私〉をズラすこと、それは〈私〉を前川自身から切り離していくことであり、作中世界の〈私〉が〈私〉自身を客体化することであった。〈私〉による〈私〉の客体化は、自分のことをわざわざ「白痴」や「人間」と称したり、自身の身体や行動を客観視するところに表れている。

不快さうでひととはなしもせぬときのあのわが顔がみたくてならぬ

ここで表現されているのは〈私〉が〈私〉を客体化したい、つまり自分を他者のように観察したいという欲求である。そのためには先の歌のように「首」を切り離してもよいが、ほかの方法がある。

のぞいてゐるとはだんだんに大きくなり魔もののやうに顏おそひくる

「掌」はもっとも凝視しやすい部位である。すでに紹介した「がけもののやうに思へきてどうしやうもない悲しみにいる」も同じ身体の客体化の歌だが、耳たぶは目に見えないために「思へきて」という想像で終わっている。

さて、このような〈私〉の客体化は、ある道具を使えば簡単に成しとげることができる。だ。


鏡という装置

鏡のそこにひびが入るほど鏡にむかひこのわが顔を笑はしてみたし

「顔」はもっとも〈私〉らしい部位だ。だからこそ前川は「首」を切り離したわけだが、鏡があれば現実世界で「顔」を見ることができる。

「鏡のそこに罅が入るほど(…)笑はしてみたし」という表現は〈私〉の神経質さをよく表現している。ただ、このように『植物祭』には「…したい」「…と思う」という想像で終わる歌が多い。「さんぼんの足があつたらどんなふうに歩くものか」「ぞろぞろと鳥けだものをひきつれて秋晴の街にあそび行き」などもそうだ。たとえば「さんぼん足のわれは」や「あそび行くなり」とすれば想像は現実化され、幻想の強度は強くなるだろう。しかし、これでは現実ではない歌になってしまう。前川が目指したのは現実らしくない歌だった。この立場をとる限り、「…したい」「…と思う」などと付けざるをえなかったのだ。

月の夜の野みちにたつて鏡出ししろじろとつづく路うつし見る

深夜しんやふと目覚めてみたる鏡の底にまつさをな蛇が身をうねりをる

鏡はまた異世界への扉となる。鏡は見えないはずの顔を映し、見てはいけないものをも映してしまうだろう。一首目は異世界への期待であり、二首目では異物が混入している。


2.4.〈私〉と〈世界〉をズラす

〈世界〉とすれちがう〈私〉

幾千の鹿がしづかに生きてゐる森のちかくに住まふたのしさ

森の幻想的な情景と〈私〉の「たのしさ」がかみ合うようでかみ合わない。〈世界〉と〈私〉がともにズラされていることで謎が生まれている。こうした歌は読者に謎解きを要求し、〈世界〉と〈私〉のつながりを想像させる。

遠い空に飛行船のちてる真昼ころ公園の噴水がねむい音なり

ここでも〈世界〉と〈私〉のつながりはズラされているが、それは両者の結びつきを想像させるというよりも、結びつかない無秩序な状態こそ〈世界〉のありさまだと主張するかのようだ。おなじ趣向の歌に「戦争のたのしみはわれらの知らぬことは春のまひるを眠りつづける」があり、反戦的な態度を示しきらない点にプロレタリア短歌との違いがある。


〈世界〉になじめない〈私〉

「人間」や「きちがひ」と自称し、「首」や「掌」を凝視し、現実らしくない認識・行動をとる〈私〉はたしかに奇怪・滑稽であるが、それ以上に孤独である。〈世界〉が平常である以上、ただ〈私〉だけがズレた存在であるからだ。

昼ひなか映画館をくぐる不思議にもこしらへられた暗さに心惹かされ
世紀末的喜劇を愛する人たちをわらへなくなつてわれも見てをる

〈私〉は本当に「こしらへられた暗さ」が好きなのだろうか。「不思議にも」とどこか疑問に思っていないだろうか。〈私〉が「喜劇を愛する人」を笑えなくなったのは、どこかで自分が「喜劇」を演じていると感じているからではないだろうか。

誰もほめて呉れさうになき自殺なんて無論決してするつもりなき

それでも〈私〉は平常の〈世界〉のなかで生き続けるしかない。「自殺」をしない理由は「誰もほめて呉れさうにな」いからだが、これはほめてくれる〈世界〉とのつながりを求めているのだろうか。いや、そもそも自殺をほめる〈世界〉など存在するのか。

手の上に手をかさねてもかなしみはつひには拾ひあぐべくもなし

だれかの「手の上に手をかさねても」悲しみはなくならない。〈私〉の悲しみはなによりも切実であった。悲しみの歌として「裸体にて量器のうへにのつてゐるこのはいくとせぶりぞ」「耳たぶがけもののやうに思へきてにいる」を思い出したい。

ひじやうなる白痴の僕は自転車屋にかうもり傘を修繕にやる

「なにゆゑに室は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす」もそうだが、〈私〉はわざわざ「きちがひ」「白痴」を自称していた。本当の〈狂人〉であれば〈狂人〉を自称する必要はなかったはずだ。そう、〈私〉は〈狂人〉になりきれていないのである。〈狂人〉になろうとして〈狂人〉になりきれないことが、〈私〉をさらに深い悲しみに沈める。

筆者はすでに『植物祭』の歌の多くが「…したい」「…と思う」といった想像で終わっている点を指摘していた。〈私〉がそうした幻想を実現できる異世界の住人であれば、あるいは〈狂人〉であれば悲しみは少なかったに違いない。〈世界〉にとどまりながら〈世界〉とズレているために、そしてそれを自覚しているからこそ、〈私〉は悲しいのである。

かなしみを締めあげることに人間のちからを尽して夜もねむれず

〈私〉は悲しみを殺そうとする。しかし、「夜もねむれ」ないほど時間をかけて「締めあげ」ても悲しみは死ぬことがなかった。〈私〉の存在そのものが悲しいのだから、〈私〉は悲しみと付き合っていかなくてはならない。それは死ぬまで、だろうか?

いますぐに君はこの街に放火せよそのの何んとうつくしからむ

だからこそ〈私〉は〈世界〉の崩壊を求める。〈世界〉になじめない〈私〉は〈世界〉を焼きつくす「焔」を「何んとうつくしからむ」と称えるのだ。

また、この歌はいままでのように「…したい」「…と思う」といった想像で終わる歌とは異なっている。たしかに実際に〈世界〉を壊すわけではない。しかし、〈私〉は「君」に「この街に放火せよ」と呼びかけ、行動を促しているのだ。その直接性、そして「いますぐに」という切迫感が、この歌を優れた名歌にしている。

3.『植物祭』の史的位置

揺らぐ〈私〉、比喩の表出

『植物祭』は短歌史においてどのような意味を持っていたのか。三枝昂之は『前川佐美雄』において「〈私〉の変位」「喩表現の表出」の二点を挙げる。

仮想敵となるのは大正期の『アララギ』である。先に述べたとおり、『アララギ』的写実主義は現実らしさを重視した。では、歌の表現が現実らしいとはどういうことか。

第一に、同一人物のつくる数々の歌からひとりの〈私〉が見えてこなくてはならない。たとえば斎藤茂吉の歌であれば、彼のつくる歌々の作中主体が一様に斎藤茂吉らしくなくてはならない。そうすることで短歌は、現実に生き、暮らし、思考するひとりの〈私〉を形づくることができる。

『植物祭』における〈私〉は客体化され、〈異様な私〉となり、〈狂人〉をも自称していた。これは『アララギ』の私=作者を激しく揺すぶっただろう。これを「近代短歌と決別した」(p.118)と言い切ることもできるだろうが、すでに述べたように〈狂人〉になりきれない等身大の〈私〉を強く意識しているという点で近代短歌の範疇から抜けきっていないとも言える。『植物祭』の〈私〉は、ともすると前川らしいと言えるかもしれない。

第二に、現実らしい歌は比喩を用いるべきではない。すでに示したように、比喩は知覚・認識を変化させるのみで〈世界〉を変えるわけではないから、現実らしさは失われないと思うかもしれない。しかし、たとえばカーテンを「波のようだ」と表現したとき、この比喩は歌に作中世界のいま・ここにはない別世界のイメージを呼びこむ。また、比喩を用いることは、三十一音のなかでカーテンの質感や位置を描写するのではなくその様態を想像するという選択をとることになる。こうした点において、歌から現実らしさが(正確には現場らしさが)失われるのだ。もっとも比喩はある種の現実性を保持するだろうが、避けておくべきとする理由ははっきりしている。

『植物祭』の歌はどのように比喩的であるのか。ここで三枝が指すのは、「わが室にお客のはいり来てきちんとをれば他人の気がする」「耳たぶがけものの思へきてどうしやうもない悲しみにいる」といった歌ではない。比喩の本質はなにかを別のものになぞらえることにあり、その結びつきがときに新鮮さや面白さを生みだす。そうすると「ひじやうなる白痴の僕は自転車屋にかうもり傘を修繕にやる」は「自転車屋」と「かうもり傘」を比喩的に結びつけていると言えるし、「幾千の鹿がしづかに生きてゐる森のちかくに住まふたのしさ」は「幾千の鹿がしづかに生きてゐる森」と「ちかくに住まふたのしさ」を比喩的に結びつけているといえる。読者はその結びつきを謎解きし、比喩的な効果を見出すのである。三枝はこのような表現について、「喩表現に禁欲を強いてきた大正期短歌の崩壊ののちにあらわれた『植物祭』の、その喩表現の突出ぶりは、それ自体でドラマチックに史的な意義」であり、「この一点の意義は、表現史においては掛け値なしにビッグな成果というべきである」と述べている(p.123)。


おわりに

前川佐美雄に関する論考や歌の鑑賞は多くあるが、ここでは三枝昂之『前川佐美雄』、同編『前川佐美雄歌集』のみを参照した。「2.『植物祭』の表現世界」は『前川佐美雄』よりうまく整理できたと思っているが、結局は読者が判断することだ。

ちなみに、このnoteは『秀歌十二月』との関連で、各月の歌人をピックアップするnoteの一つとして書かれている。毎月違う歌人をとりあげる予定だが、著者である前川佐美雄のみ複数回とりあげるつもりだ。

いまは10月、晩秋にあたる。第1回である今回は、彼の『植物祭』にいたるまでの初期世界を無季の歌・秋の歌を中心に読み解いていった。次回は来春に『白鳳』『大和』を扱うつもりでいる。またお読みいただけると嬉しい。

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『秀歌十二月』は古典和歌から近代短歌にわたる150首余の歌を一二ヵ月にわけて鑑賞したものです。立項外の歌を含めると400首ほどになると思われます。

『秀歌十二月』の初版は1965年、筑摩書房から刊行されました。これは国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。同書は2023年5月に講談社学術文庫から復刊されました。

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