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今月の短歌

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前川佐美雄『秀歌十二月』を起点として、各月の短歌を紹介します。『秀歌十二月』読書会の企画です。
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木下利玄とリアリズムの現在/二月の短歌

木下利玄とリアリズムの現在/二月の短歌

前川佐美雄『秀歌十二月』の二月では木下利玄の歌が紹介されている。

『李青集』は歌文集だ。ここで『李青集』所収の散文から利玄の歌風を考え、そこから一気に現代短歌へと繋げてみたい。

利玄略歴

「道」で利玄は自身の略歴を語る。李玄は1886年に現在の岡山県北区に生まれる。藩主であった伯父が早々に亡くなると、五歳の利玄が跡取りとされ、すぐに東京行きが決まった。故郷の実の親とは離され、会うことはほとん

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〈舞台〉に立つ、〈舞台〉を降りる――前川佐美雄『白鳳』私論/一月の短歌

〈舞台〉に立つ、〈舞台〉を降りる――前川佐美雄『白鳳』私論/一月の短歌

前回のnote

はじめに前川佐美雄の第三歌集『白鳳』は1941年7月に出版された。刊行順でみれば『植物祭』『大和』につづく第三歌集だが、『大和』より前の1930-35年の歌を収めており、実質的な第二歌集に位置づけられる。

このnoteは三枝昂之『前川佐美雄』、三枝昂之編『前川佐美雄歌集』の二冊を頼りに彼の表現世界を辿ることが目的である。しかし、『白鳳』は『前川佐美雄歌集』には80首しか収められ

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「年の暮」の歌人たち/十二月の短歌

「年の暮」の歌人たち/十二月の短歌

画像:生野源太郎『草にをどる』所収。「南独kairswertにて」とキャプションがある。ドイツ、デュッセルドルフの都市カイザースヴェルト(Kaiserswerth)か。

国会図書館でタイトル「歌集」、目次「年の暮」で検索すると12冊の本がヒットする。『藤田東湖全集』が3冊(1冊は新版)、安達鏡子『二春と一と夏 遠き子らへと』が2冊あるから正確には9人10冊だ。

筆者はこの10人を誰も知らない。

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尾山篤二郎「雪の舞踊」と斎藤茂吉の評価(十一月の短歌)

尾山篤二郎「雪の舞踊」と斎藤茂吉の評価(十一月の短歌)

尾山篤二郎について尾山篤二郎(1889-1963)は石川県金沢市生まれ。15歳のとき、膝関節結核により右足を大腿部から切断。生涯を文筆一本で生計を立てる。歌壇最初の総合誌である「短歌雑誌」の編集に就く。歌集のほかに歌論、古典和歌評釈を書いた。

『現代短歌大事典』では「家庭的にも経済的にも、幸せであったとはいえないが、狷介孤高、奔放不羈、近代短歌史上に特異な光芒を放」つと評価されている(滝沢博夫)

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〈世界〉になじめない〈私〉――前川佐美雄『植物祭』私論/10月の短歌

〈世界〉になじめない〈私〉――前川佐美雄『植物祭』私論/10月の短歌

はじめに2023年、前川佐美雄『秀歌十二月』、三枝昂之編『前川佐美雄歌集』が発売された。前年には『ねむらない樹』vol.9、特集「詩歌のモダニズム」に前川佐美雄の評論が多く寄せられ、2020年7月には『短歌』に特集「没後30年 前川佐美雄」が編まれている。彼はいまさかんに読み直されている歌人だ。

彼はなにをしたのだろうか。前川佐美雄主宰の歌誌「日本歌人」(1934-41)は戦後に復刊されるが、そ

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長塚節の秋の歌(九月の短歌)

長塚節の秋の歌(九月の短歌)

長塚節について長塚節(一八七九~一九一五)は現在の茨城県生まれ。前月の伊藤左千夫(一八六四~一九一三)より生年は下るが没年は二年違いに留まる。貧寒な農村のなかで長塚家は有力な豪家であった。しかし、父源次郎が政界で活躍するにあたり資産を傾け、母たかと節は心労に苛まれる。学校の成績は優秀だったが脳神経衰弱により尋常中学校を中退する。子規の「歌よみに与ふる書」などに感化された節は、一九〇〇年に上京して子

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伊藤左千夫の水害連作(八月の短歌)

伊藤左千夫の水害連作(八月の短歌)


伊藤左千夫について伊藤左千夫(一八六四~一九一三)は現在の千葉県生まれ。おおよそ明治時代を生きた歌人である。親は農家であり、左千夫自身も二六歳で独立して牛乳搾取販売業をはじめた。一九〇〇年、左千夫三六歳の折に正岡子規門下となって作歌に専念する。左千夫らとともに子規庵で行われた歌会に端を発したのが根岸短歌会であり、子規没後は左千夫が中心となった。一九〇三年には根岸短歌会の機関誌「馬酔木」を創刊し、

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