風船手紙のはなし
梅雨の合間の青空を見ていたら、昔、手紙をつけた風船を飛ばしたことを急に思い出した。
確か、小学校新校舎落成記念式典のことだったと思う。
その日は晴天。「祝落成」と書かれた紙とともに色とりどりの風船が、青い空と風とともに流されていくのをぼんやりと見ていた。先生に言われるままに手紙を書き、風船につけて飛ばした。ただ、それだけ。
何日か経つと、風船が届いたという連絡があちこちから小学校に連絡があった。先生が毎日のように「●●さんの風船は隣町まで行きました」「✖✖さんの風船は3キロ離れた▲●市まで行きました」と嬉しそうに教室で報告してくれた。
言われた子供は何か誇らしげな顔をして、周りは何かうらやましそうな様子でその子を見ていたと思う。
私の風船はどこへ行ってしまったのか。
だれからも返事が来なかった。
川に流されてしまったのか、ゴミになってしまったのか。
結局、「誰にも拾われなかったんだ」とあきらめ、残念ではあったものの、そこまで風船手紙に思いもなかったので、すぐに忘れてしまった。
ところが、である。
それから半年くらい経った時であっただろうか。朝、学校へ行くと先生から急に呼び出された。なんと、今さら私が飛ばした風船手紙の返信が届いたというのである。
「こんなに経ってから届くなんて、先生も驚いたの。一応、みんなには報告するけど、この人にお手紙書いてあげてね」
そう言って、ぽん、と茶色の封筒を渡された。見ると、ずいぶんと細い字で住所が書かれている。裏を返すと「千葉県印旛郡‥」と住所とともに、男性の名前が書いてあった。
今は「印旛郡」は「いんばぐん」と読むことができるが、当時それを見た時には何と読むのかわからなかった。家に帰って親に報告すると、親も辞書を調べていた。実は小学校は埼玉県にあり、その場所までは70キロくらいも離れていたのである。
封筒には手紙が入っていた。それによると、私の風船手紙は、その人の畑の中に落ちたらしい。畑には作物が植えてあり、収穫の時に初めてしぼんだ風船とともに手紙を見つけたらしい。
読みづらい達筆な字で「いつ届いたのかもわからず、返信が遅くなって申し訳ありません」と書かれていた。
私の風船手紙は、飛んだ距離は最長記録のようであったが、最初の盛り上がりからずいぶん経ってしまったので、教室で報告しても「ふーん」程度でたいした反応もされなかった。
すでに流行に乗り遅れてしまったような感もあり、気乗りもしなかったが、先生からも手紙を書くようにとしつこく言われたので、仕方なく手紙を送った。
すると、すぐに返信が来た。
中には写真が入っていた。
見ると、おじいさんと生後何か月かの子供の写真である。手紙を書いた人はそのおじいさんで、最近生まれたばかりの孫のことや、毎日畑仕事をしていることが綴られていた。
私はその人の好さそうなおじいさんが少し気に入って、その後も何度か手紙のやりとりをした。おじいさんからはすぐに返信が来た。小学生との文通を楽しんでいるようだった。
ところが、ある日おじいさんから届いた手紙を開けると、最近少し具合が悪くなり畑仕事も休んでいることが書かれていた。だから、返事が遅れたりしたらごめんなさい、ということも。
私はそれを読んで、急におじいさんに手紙を出すことが怖くなってしまった。
まだ小学生ではあったが、もし送って返信が無かったらーーー。
そう考えると、これ以上おじいさんに手紙を送ることはできなくなってしまい、今に至っている。
成田空港へ行く途中、印旛沼の辺りを通過する地域がある。
遠くまで見渡せる緑の畑と用水路の合間に家や小屋が見え隠れする。そして時々、だれかがトラクターに乗ってゴトゴトと畑仕事をしているのを見つけることがある。
そんな時、私は誰が乗っているのか、つい確認してしまう。
いないのはわかりきっているが、それがおじいさんとわかるとと妙に安心する。恐らく、私の中でおじいさんは永遠に生きているのだろう。
青い空にはいつも雲がゆっくりと動いている。
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