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原因の矢印は自分に向ける
何をやってもうまくいかない時期がありました。
もがいてももがいても、上手くいかないことだらけ。
でも、そんな時にふと気がついことは、
私はその時に上手くいかない理由を、すべて自分の外に向けていたのです。
「上手くいかないのは生徒が悪いからだ。」
「上手くいかないのは協力してくれない同僚のせいだ。」
「上手くいかないのは上司に理解がないからだ。」
私は、ある講演家の方の話を聞いた時に、ハッと思わされました。
「できない理由」はいくらでも出てくる。でも、どんなにできない理由を並べても、自分は何一つ成長しないのだと。
上手くいかない理由の矢印を自分に向けた時、自分が動き出す。
自分が変われば、世界が変わると。
本当にその通りでした。
表向きはなにも変わっていませんが、考え方が変わっただけなのです。
それだけで自分の目の前で起こる出来事が180度変わりました。
原因の矢印は、自分に向ける。大切なことだったと今でも思います。
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明治から大正、昭和にかけて活躍した文豪・幸田露伴。
代表作として知られる『五重塔』をはじめ、数々の小説を生み出す一方、『努力論』や『修省論』など、人生修養のための随筆を書き残しています。
露伴は人生における運を大切に考えています。
運というと他に依存した安易で卑俗な態度のように思われがちです。
だが、露伴の言う運はそんなものではありません。
その逆です。
露伴は人生における成功者と失敗者を観察し、一つの法則を発見します。露伴は言います。
「大きな成功を遂げた人は、失敗を人のせいにするのではなく自分のせいにするという傾向が強い」
物事がうまくいかなかったり失敗してしまった時、人のせいにすれば自分は楽です。あいつがこうしなかったからうまくいかなかったのだ
あれがこうなっていなかったから失敗したのだ
物事をこのように捉えていれば、自分が傷つくことはありません。
悪いのは他であって自分ではないのだから、気楽なものです。
だが、こういう態度では、物事はそこで終わってしまって、そこから得たり学んだりするものは何もありません。
失敗や不運の因を自分に引き寄せて捉える人は辛い思いをするし、苦しみもします。
しかし同時に、「あれはああではなく、こうすればよかった」という反省の思慮を持つことにもなります。それが進歩であり前進であり向上というものです。
失敗や不運を自分に引き寄せて考えることを続けた人間と、他のせいにして済ますことを繰り返してきた人間とでは、かなりの確率で運のよさがだんだん違ってくる、ということです。
露伴はこのことを、運命を引き寄せる二本の紐に譬えて述べています。
一本はザラザラゴツゴツした針金のような紐で、それを引くと掌は切れ、指は傷つき、血が滲みます。それでも引き続けると、大きな運がやってきます。
だが、手触りが絹のように心地いい紐を引っ張っていると、引き寄せられてくるのは不運であるというわけです。
幸運不運は気まぐれや偶然のものではありません。
自分のあり方で引き寄せるものなのです。
「失敗をしたら必ず自分のせいにせよ」
露伴の説くシンプルなこのひと言は、人生を後悔しないための何よりの要訣です。
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「運は、自分で『運ぶ』もの」
言葉を正し、明るく笑顔で、前向きに、そして、上手くいかなかったことは自分に原因の矢印を向ける。
たったそれだけで、運命の歯車は良い方向に回りだす。
他人も過去も変えられない。
変えられるのは、自分とその未来だけ。
今日もnoteを読んでいただき、ありがとうございます。