あと7日間のいのちだとしたら
あなたのいのちがあと7日間しかないとしたら・・・
あなたは何を考え、何をしますか?
私はただただ呆然として、何も手につかないかもしれません。
悲しみに耐えられず途方にくれるかもしれません。
私たちのいのちは無限ではなく、限りがあるものです。
それを分かっているのに、今日という一日がくることを当たり前のように思い、その有り難さを忘れてしまっています。
忘れてはいけない「いのちの尊さ」を感じる話を紹介します。
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「神様、お願い。7日間の元気な時間をください」
52年間連れ添った妻に先立たれた71歳の男性の投書
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妻が願った最期の「七日間」
1月中旬、妻容子が他界しました。
入院ベッドの枕元のノートに「七日間」と題した詩を残して。
《神様お願い この病室から抜け出して 七日間の元気な時間をください
一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい
あなたが好きな餃子や肉味噌 カレーもシチューも冷凍しておくわ》
妻は昨年11月、突然の入院となりました。すぐ帰るつもりで、身の回りのことを何も片付けずに。そのまま帰らぬ人となりました。
詩の中で妻は二日目、織りかけのマフラーなど趣味の手芸を存分に楽しむ。
三日目に身の回りを片付け、
四日目は愛犬を連れて私とドライブに行く。
《箱根がいいかな 思い出の公園手つなぎ歩く》
五日目、ケーキとプレゼントを11個用意して子と孫の誕生日会を開く。
六日目は友達と女子会でカラオケに行くのだ。
そして七日目。
《あなたと二人きり 静かに部屋で過ごしましょ
大塚博堂のCDかけて ふたりの長いお話しましょう》
妻の願いは届きませんでした。詩の最期の場面を除いて。
《私はあなたに手を執られながら 静かに静かに時の来るのを待つわ》
容子。2人の52年間、ありがとう。
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『今日あなたが無駄に過ごした一日は、昨日死んだ人がどうしても生きたかった一日である』
私たちのいのちは、当たり前ではありません。
奇跡のような尊いものです。
だからこそ、生きるのです。
生かされていることに感謝しながら。
私のいのちを「生きろ!」と強く叩く胸の鼓動に、有り難さを感じながら、今日を力強く生き抜きます。
今日もnoteを読んでいただき、ありがとうございます。