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遊民的中国レポート【4】韓国人たちに紛れ込んで「教会」に向かう、中国到着二日目

〈前回までの記事はこちらから〉

遊民的中国レポート【1】

遊民的中国レポート【3】


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ルームメイトのHと私は、簡単な挨拶を交わした後、大人しく消灯して寝ることにした。

他の国からやってくる留学生と比べても移動時間は短く、「長旅」と呼べるようなものではなったのだが、自宅から関空までの移動、関空から上海へのフライト、待ち時間を経ての数百キロのバス移動で、体感としてはかなり疲労感を覚えていた。

Hも似たような疲れを感じていると見え、我々はすぐに眠りについた。


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現地入りした当日に入寮手続きを済ませた後、授業までは数日間ある。

留学生たちは、その数日の間に考案事務局での「移住手続き」や、オリエンテーションへの参加、所属するコースの選択などを一気に済ませなければならなかった。
結構タイトなスケジュールだ。

学内設備含め、何もわからない状態であった私は、寮の掲示板や他の留学生の動向を見て動くことに決めていた。

しばらくはHとともに行動するのが確実だろう。
同世代で、英語も達者なルームメイトがいると思うと少し心強くなった。


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前日の疲れから少し遅めに起床した私たちは、ひとまず「朝食でも食べに行こう」という話になり、寮の下にある食堂に向かった。

留学前に「学生寮の食事はとにかく安い」ということを聞いていたので、早速試してみよう、思ったのだ。

学生寮の一階には小綺麗なホールのようなスペースがあり、そこにバイキング食材がずらりと並んでいた。

揚げパン

スープ
野菜炒め
パイ生地のお菓子…


どれも美味しそうである。

しかしながら、「学生寮の食事にしては豪華すぎる気がするな…」という気もした。


私たちは食事を取りたい旨を、給仕作業中の服務員(=スタッフ)のオバサンに伝えた。 

英語では伝わらないため、身振り手振りで何とか伝えた。

寮で様々な仕事をする〈服務員のオバサン〉達は、誰一人英語を話せる人がいないようだった。

おばさんは「わかった」というような顔をして、私たちをそれなりに装飾された部屋に通した。

朝食バイキングには、少数ながら他の学生も参加しているようであるが、彼らはその辺りに適当にセッティングされている椅子机で食事をとっているようだ。

「何故私たちだけ良い部屋に通されたのか…?」

勝手が違う様子に不安を覚えた。

こういう時の嫌な予感というのは大体当たるもので、請求された朝食の額は、私たちの想定していた額の10倍はしようものだった。

Hは涼しい顔で払っていたが、例によってドケチな私は、大変もやもやした。

帰り際に、服務員のオバサンに「何でこんな高いん?」ということを英語で問いかけた。

オバサンは私の顔からその意味を察したようで、中国語で勢いよく返答してきた。
あちらもあちらで強気である。

冷静なHが「何言ってるかは私にも分からないけど、多分私たちがまだ学生じゃないから外部の客向けの料金だってことじゃない?」と解説してきた。

私はその解説に納得するとともに、昨日から感じていた諸々の違和感に対して合点がいった。

入寮した寮は、学生寮といいつつ、一般宿泊者にも部屋を開放しており、だからトイレ風呂設備を除いて、そこそこ綺麗なホテル風(※ただし狭い)だったのだ。

朝食は宿泊客にもサービスされているが、その場合は寮生よりも高い金額を払わなければならないのだろう。

私たちはまだ学生カードや身分証がないから、一般客用の料金を請求されたというわけだ。


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諸々の証明になる「学生カード」をもらったのは、後日、オリエンテーションが済んでからであった。

この学生カードはプリペイド方式でお金を入れることができ、食堂の会計も、学生カードであれば学生料金で食べられるのであった。

当時の中国は、プリペイドカード社会で、地下鉄に乗るのもなんでもプリペイドカードが必要だった。 

QRコードこそまだないものの、非接触技術はこの頃からすでに、中国では極めて一般的なものとなっていたのだ。


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想定外に高くついた朝食を済ませた後、Hは韓国人集団とロビーで落ち合った。

Hは昨日のうちに、すでに韓国人留学生同士、連絡先を交換していたとみえる。

彼女の紹介により、私は韓国人コミュニティに迎え受けられ、授業が始まるまでの数日、韓国人らと行動を共にすることになった。

まずはみんなで教会に行く、という話が出た。

教会…?


留学してきた韓国人にはクリスチャンが多くおり、留学した市にも韓国人が管理する教会があった。

歴々の韓国人留学生たちは、おそらく教会を通して情報を得てきたのであろう。

家を借りるにも、公的手続きにも、このコミュニティが機能しているようで、新しい留学生がやってくるたびに、教会が独自のオリエンテーションを開いているようであった。

私は、Hや、朝食後に合流した韓国人たちと、クリスチャン教会に向かった。

クリスチャン教会のオリエンテーションでは簡単な食事も出た。

「わたし、全く関係ないのにこんなのしてもらっていいんやろうか。韓国人でもないし、クリスチャンでもないし。」

内心申し訳ない気持ちになり、そのことをHにこっそりいうと

「いいんじゃない?私も別にクリスチャンじゃないし。」

とのことで、彼女の非常にちゃっかりした性格を端的に表す出来事だった。


そこでも数人の韓国人と仲良くなった。
そのうち、特に私によく話しかけてきたYは、2歳年下の女子大学生で、敬虔なクリスチャンであった。

彼女は英語力もかなり高い上に、中国語もそこそこ話せるようだ。
日本語も簡単なものは少しだけ分かるらしい。「こんにちは!」だとか、「遊民さん!」だとか。

以降、彼女が私に話しかける第一声目は、必ず日本語であった。


◆◆
「すごいなー、英語も中国語も、そのレベルでできたら、就職もしやすいんでしょうね。」


私はなんの気無しに、彼女を褒めるつもりでそう言ったが、彼女は

「こんなんじゃ全然ダメ。私はHみたいに、ソウルの良い大学の学生じゃないから」

と強く言った。

話を聞くに、「ソウルの良い大学」というのに行くのが、当時の韓国社会ではとても大事なことらしかった。

私たちの大学に留学に来ていた韓国学生は、ルームメイトのHを筆頭とした名門私立大学や、ソウル大学の学生、それ以外のソウル近辺の大学生、釜山の国立大学生、財閥系企業からの留学できているおじさんたち、サバティカルで中国語を学ぶ韓国人ドクターなど、立場は様々であった。

他の韓国人が実際どのように思っていたのかは知らないが、Yやその他の学生から話を聞く限りは、兎にも角にも、彼らにとって「ソウルの大学」というのは大事なことらしかった。

同じ大学でも、キャンパスがソウルにあるかそうでないかで、ブランド、のようなものが変わってしまうらしい。

このあたりは、日本や中国にはあまりない感覚かもしれない、と当時の私は思った。

「ソウルの良い大学」に行った一握りの学生はもちろん、そうでない大学の学生は、より一層、語学の習得や資格習得に精を出さなければならないようだった。

彼らは積極的で、勉強熱心で、大変社交的だった。


もしも就職活動に国境が全くなければ、日本の多くの学生は彼らに敵わないだろう、と私は感じた。

きっと、韓国よりも日本の方が就職は格段に楽なのだろう。

無知な私は、その時まで、日本が内需の強さで成立している国だと意識することなく生きてきたのだった。


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つづく

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