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#これからの時代にこの世界で僕がやりたいこと
1コロナの時代の僕ら
2020年3月。僕は大学を卒業しました。
いつの卒業も思い出深いものではありますが、今度はまた違った趣きで記憶に刻まれることとなりました。
卒業式の当日の朝、普段どおり通学していた電車のなかで、中止の連絡を目にしました。前日に、都より非常事態が出されたためと思われます。その日は先生に簡単な挨拶をし、証書を受け取って帰途に就きました。
若いうちはいろんなものを見てみたい、いろんな体験をしてみたいと動き回ってみたというものの、いざ4年間が終わるという節目に、あっけなさを感じてしまいました。
ともあれ、世界ではいま、公衆衛生上の危機が起きています。
すぐに過ぎ去るだろうという当初の希望的観測がだんだん不安へと変わっていきました。人々は恐怖のなかに取り残されていきます。
世間では「social distancing」「stay home」という聞き慣れないフレーズが飛び交います。自分一人は外出したいけれども、その行動が周りの人に影響を与えてしまう、というジレンマに悩まされます。
感染の連鎖のきっかけは人間。感染症は関係の科学なのです。
アジアでも、ヨーロッパでも、南北アメリカでも、同時多発的にこの現実に直面しています。
ここに、僕らの生きる世界がいかに複雑につながっているのかを思い知らされます。
そんな折、外国人排斥、不信感、自国主義、といったニュースが聞こえてきます。「県外の人は来るな」「国外の人は来るな」という声が、時に非情で窮屈なものに感じてしまいます。
しかし、私たちの属しているコミュニティは何なのでしょう。
いまこのウイルスには人類全体が連帯して闘っています。まさに、医療従事者、行政、科学者が誠実に働いてくれていることに感謝したいと思います。そう考えると、人類全体が私たちの共同体なのかもしれません。
結局、私たちはこの危機に原始的な方法で対処しています。
まさに自宅への流刑。自宅軟禁の受刑者なのです。式の翌日から私はずっと家にとどまり、こうしてこのエッセイを綴っています。
しだいに、この非日常の時間を受け入れるようになってきました。
ここで私は自分に問いかけます。この惨禍を通して、忘れたくないもの、とは何だろうか。むしろ元の世界に戻ってほしくないもの、とは何なのだろうか。
2 旅で知った世界
思い返せば、大学に入ったとき、僕はまだ世界を知らなかった。
いまの自分が世界を知っているとは到底言えませんが、確かに旅で知った世界があります。
4年前、期待を込めて大学の門を叩いたとはいえ、最初の一年は授業とバイトとサークルのサイクルを繰り返している日々でした。不安を交えながらも、自分の居場所を築きたいと懸命になり、でもそこに自分のほんとうの居場所があるのか、もどかしさを持ち合わせました。
日常から出て、自分の可能性に挑戦しようと思い立ちました。
19歳、はじめてマレーシアの国際ワークキャンプに参加しました。入国ゲートをビビりながら通過し、初めて会う日本人グループで2週間のホームステイを経験しました。僕は必死にチャンスをつかもうとしていました。
世界遺産マラッカの市内へいくと、教会の隣にモスクがあり、同じ都市で多文化が共生していることに新鮮さを感じました。
父親がマレー系、母親が中華系とインド系のハーフ、という一人のマレーシア人に会いました。
イスラーム教徒の彼は世界の言葉と宗教に興味があるらしく、日本の宗教観について聞かれました。自分の拙い英語で、必死に話しました。でも、なんと言ったか全く覚えていません。
ある日、現地のマレーシア人と、チャリティーで貧しい村を訪問しました。道も凸凹していましたが、のどかで、ローカルな暮らしがありました。
帰り際、一緒に遊んでいた10歳くらいの女の子から、インスタを交換してほしい、と言われました。僕は断りました。当時、僕はソーシャルメディアをどれもやっていなかった。そのとき、自分こそ文明の未開人だったことに気づいたのです。
翌年、カリフォルニアへ短期留学へ行きました。今度は日本人学生の少ないタイミングを選び、一人で旅立ちました。
英語のクラスの初日、教室に行くと、15人中13人が中華圏から来た学生でした。授業中は英語、休み時間には中国語が聞こえます。
1:13か。なるほど、人口比を考えれば納得がいきました。北京、上海、広州、四川、台北などさまざまな地域から集まっていて、東京から来た僕を歓迎してくれました。アメリカに来れば同じアジア系です。その日、僕はWeChatをインストールしました。
サンフランシスコ市内にフィールドワークへ行ったとき、同じグループの中国人の学生が、日本食レストランに行きたいと言いました。どうも、日本人の僕に案内してもらいたいそうです。
実際に行くとメニューは豊富で、味は美味しい。でも、どうも違和感を感じました。すると、彼が広東語でオーナーと話し始めました。そこは中国系オーナーの日本料理屋だったのです。結局僕の代わりに、彼が注文してくれました。
どうして、味噌汁を箸で飲むのか。なぜ、余った料理を持ち帰らないのか。いやあ、考えたことなかった。
春になると、タイへ海外ボランティアに行きました。
僕はプロジェクトの日本人リーダーをつとめました。今度は初めての海外というメンバー達を率いて、東北部の小さな農村にたどり着きました。
地元の小学校には、無邪気で健気に遊ぶ子どもたち。そして、インフォーマルな教育に力を注ぐ先生たちの姿がありました。僕らのチームは、地域の小学生たちが英語を楽しみながら学べるよう、簡単なゲームを取り入れました。
一週間が経ち、小学校の卒業式に参列しました。村の人総出で卒業する6年生を祝いました。
赴任して一年目だった新米の先生が、感慨深くスピーチしていました。その様子を傍でみて、僕も号泣してしまいました。自分の卒業で泣いたことないのに。
微笑みの国。地域のコミュニティには、人の温かさがありました。
半年後、ベトナムのホーチミンへ行きました。東南アジアは慣れたと思いきや、空港をでた途端、また独特な風情を感じました。
中心部から離れた町の路地奥で、日本語クラスのボランティアをしました。夕方になると現地の学生たちは、日本に憧れを抱きながら、熱心に日本語を学んでいました。
日本語を教える、というより、一緒に互いの文化を知る、という姿勢だとうまくいきました。
僕たちは週末、市内の戦争博物館へいきました。ホーチミンの学生も訪問するのは中学校の遠足以来のようでした。そこでは、数々の写真を通して、独立と戦争の歴史というものが、リアリティをもちました。
同世代の彼らは言いました。ベトナムに来たら、ぜひベトナムのことを知って帰ってほしい。とかくに、急成長を続ける国の若者たちに、学ばされることが多かった。
ホーチミンの滞在後、一人陸路でアンコール・ワットへ向かいました。
ベトナムの友人は、隣国カンボジアに行ったことがない、といいます。 誰もが旅に行けるわけではない。きっと旅に行けるのは幸運なことなんだ。でも、だからこそ、僕は旅を続けたいと思った。
異国の地を旅していて印象的なのは、日本人に初めて会ったという人に出会うときです。ひいては、自分の印象が彼にとって日本人のイメージになります。
いつも、好きな漫画やアニメを熱弁してくれます。ごめん、ボクはマンガには詳しくないんだ。それでも仲良くなって、別れ際に「I like you」と言ってくれたときは嬉しかった。
そんな折、旅先で出会った友達が、東京に来てくれたことがあります。東京に大雪が襲った翌日、マレーシアから来た友達と白景色の渋谷を散策しました。夏休みには、留学中にクラスメイトだった上海の友達と浅草・スカイツリーを巡りました。また楽しからずや。
20年もこの東京に住んだと言うに、海外の観光客から眺めた、新しい側面がみえてきました。
発見の旅とは、新しい世界を探すことではない。新しい目でみることなのだ。(マルセル・プルーセル)
旅を通して、僕はまだ世界の1ミリも知らないのだ、とわかります。
それでも、いまの僕には、世界に旅した土地があり、世界に友達がいます。だからこそ、思いを馳せることができるのです。
一つ一つのエピソードを思い返せば、どれも挑戦と失敗ばかり。でも、ステージを重ねた今の自分にあるのは、自己効力感そのものです。
3 現代社会はどこへ向かうか
はじめての海外ひとり旅であった、カンボジアの旅を終え、母国に帰ってきた翌日、僕は幕張の野外フェスに参加しました。
その名も、「Peace Day 2019」。
毎年9月21日は、国連が定めた国際平和デー。その日を記念して、世界の平和を見つめる場が日本にも生まれました。
のんびりとした開放的な空間には、多種多様な活動家たちが集まり、同じビジョンのもとに語り合っていました。
アーティストも、パフォーマーも、起業家も、官僚も、NPOも、飲食店も、雑貨屋も、親子連れも、学生ボランティアも。
そこには、世界中の幸せを思い、本気で取り組んでいる大人たちがいたのです。
代表理事の方は、ご自身のテーゼに「利他主義」「世界平和」を掲げています。
社長は、人の安心と喜びのために、ビジネスを続けてきたそうです。そんな起業家がいたなんて。僕も子どものころ感じてた夢を、いつからか忘れてしまってたのか。
最後のトークセッションで語っていました。
「この1日でも、世界の人が平和を願えば、
きっと争いはなくなるだろう。」
2015年、国連サミットにて、持続可能な開発目標(SDGs)のための2030アジェンダが採択されました。
地球上の誰一人も取り残さないため、世界にはまだ解決すべき課題があります。私たちが取り組むものが目の前にあります。
もう5年経ってしまいました。でもあと10年はあります。
世界のリーダーたちが語ります。コミュニティの力で社会をよくしていこうと。コラボレーションの力で地球をよくしていこうと。
日々刻々と変わっていく現代に、私たちはどのような社会に生きているのでしょうか。
イノベーションの加速し、デジタル・テクノロジーが社会実装しました。
インターネットと人工知能。プラットフォーム。ソーシャルメディア。
情報の見える化。限界費用ゼロ社会。
資本主義もアップデートしていく節目にあります。
シェアリング。トークン。クラウドファンディング。ESG投資。
Peer to Peerの思想も根付いてきました。
ブロックチェーン。分散化された信頼。民主化されたシステム。
新しいタイプの組織も着目されてきています。
ティール組織。ホラクラシー。拡張家族。
セルフマネジメントとミッションへの共感。
人生100年時代、持続可能な社会に向けて、パラダイム・シフトが起きつつあります。
人口が減少していくという日本社会。災害とも向き合う私たち。定住人口から交流人口へ。この本土を後世にどう伝えていくのか。
学生時代を通し、僕は世の中にはいろんな人がいることを知りました。活動を続ける彼らに少しずつ感化されていきました。
関東近郊で、無農薬の有機農業を始めた人。
限界集落に移住し、週末にキャンプを行っている人。
日本にやってきた難民の若者たちの、対話の場をつくってきた人。
沖縄の文化を大事に思い、ビーチクリーンの活動を続ける友達。
いつから始めるのだって遅くはない。そんな言い訳をして、僕はまだ何も始められていない。
4つきあい方の科学
社会とは不思議なもので、数十年も変わらないこともあれば、たった短い期間で変わってしまうこともあります。
僕の生活の中にも、オンラインミーティングが入ってきました。今では、授業もバイトもサークルも、リモートで行っています。以前なら考えられなかったことが、新しい日常になってしまいました。
テクノロジーは便利なツールをもたらしてくれます。
買い物も、読書会も映画鑑賞も、出来てしまうのです。早朝の海外の講義すらも受けられます。当分、電車にのって通学せずとも、家のなかで事足りているのです。
人々は元のつながりを取り戻したのでしょうか。むしろ各々は寂しく、孤独を深めているのでしょうか。
Face to Faceの関わりとはなんだったのか。
「あなたは、たいていの人を信用できますか。」
簡単なようで、実は難しいのかもしれない。
みんながお互いに、協力しあうことがベストなこと。でも、相手は見ず知らずの人で、裏切るかもしれません。フリーライドしようと企む人がいるかもしれません。
もし自分だけが損してしまうとしたら。信頼には、モラルハザードの構造がつきまといます。
僕が大学に残ってまで、研究したいこと。
それは、"信頼"と"協力"の進化メカニズムについて。
いかに共助社会を実現できるか。
お互いが助け合えるということ。肝心なのは、人間の利他性、互恵性という規範です。
真面目に考えようと思うと、個人の心理特性から、経済のインセンティブ設計、そして社会システム全体にまで広がります。
学問分野でいっても、
数理社会学、経済学、経営工学、コンピュータ・サイエンス、進化生物学、社会心理学、文化人類学、国際開発、計算社会科学、公共衛生学、政治学、科学技術社会論、公共政策、システム工学、等
分析方法でいっても、
ゲーム理論、ネットワーク分析、数値解析、コンピュータ・シミュレーション、実験手法、データ・サイエンス、統計解析、フィールド・ワーク、等
多くの領域にまたがります。
人と人のつながりの豊かさは、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)と呼ばれています。
数々の研究により、信頼関係や人脈のネットワークによって、人々の協力行動が活発になることが知られてきました。そこには、地域のコミュニティやボランティア活動も含まれます。
ソーシャル・キャピタルの豊かな人ほど、ソーシャル・キャピタルの蓄積された市民社会ほど、機会が増え、効率性が高まるといいます。
僕は来たるデジタル時代における、人と人のつながりについて解明していきたいと思っています。
人々が信頼し、協力し、知識を共有し合う社会となるために。そのミッシング・リンクを導いていきたいのです。将来的には研究の成果を発信し、制度設計やサービス企画に携わるようにしたいと思っています。
今後のよりよい社会の仕組みをデザインしたい。
これから先、いつ何時も、理論的に物事を解明する冷静な頭脳と、社会に生きる人のためになんとかしたいという温かい心をもって、日々を邁進していきたいと思っています。
5答えのない世界を生きる
僕は今年、インドと中国に行くことを予定していました。そのための準備はしてきたつもりでした。
学生のあいだにインドにいくと人生変わるよ、と誰か言っていました。インドへ行く仲間は見つかっていました。タージマハルの前で現地集合して、ホーリー祭に参加しようと話していたのでした。
中国ではアフターデジタルの世界をみてこよう、と考えていました。北京の中関村も深センも、今後のビジネスに大きな存在になるだろうと感じていました。渡航に向け、日々中国語のスキルを磨いていたのでした。
でも、世界は何が起こるかわからない。人生は思い通りにいかないものだ。
おいおい、日本のパスポートは最強ではなかったのかい。いつになったら、行けるようになるんだい。深夜の嘆き。
キャリアの8割は予期しない偶然から始まる。
現場に一次情報を取りに行く。
人とフラットにコミュニケーションを取る。
いつだって、視座は高く、視界は広く。
正しい答えがわからない。
正しい世界の姿なんて存在しえない。
だからこそ、人間社会のあり方を問い続ける。
未来を思い描いていく。
人生には険しい道もあるだろう。
上り坂でも、下り坂でもなく、マルチステージの連続だ。
僕の心には、アクセルとブレーキが備わっている。
自分のハンドルは自分で握っていたい。
自らのコンパスにしたがって、人生の道を進んでいく。
迷ったら前へ出よう。
いつも前進していると信じている。
喜びは行動とともにやってくる。
人を幸福にしたいのなら、
まずは、自分が幸せにならないといけない。
自分らしく。やってみよう。なんとかなるさ。ありがとう。
幸せは、子どもの頃の原体験にある。
大人になり、22歳となった現在から、自分はどれだけ変われるのだろう。自分のためだけに動ける時間なんて限られている。それでも変動する世界を前に、自らのOSをアップデートしないといけない。
結局僕はまだ何も果たしていない。最後までやりきったものといえば、大学を卒業したくらいではないか。
就職もしないで、まだ社会に出てないの。いや、そんなつもりではない。僕はたしかに社会のなかで生きていて、社会の課題を解決しようと日々頭を働かせているんだ。
僕が使える武器なんて、かわいげと大物感ぐらいなもの。それだけで十分すぎるのかもしれない。
これからの時代にこの世界で僕がやりたいこと。
Be your whole self. 一人の自分自身であれ。
6君たちはどう生きるか
中学生の頃の、公民の授業は今でもよく覚えています。
長らく役所で勤めていたのを辞め、若い次世代のため教鞭を取った意志ある先生でした。政治とは何か。経済とは何か。倫理とはなにか。公民とはなにか。わかりやすく面白く、本当に大事なことを学ばせていただきました。
中でも印象的だったのは、先生が板書したこと。
「君たちが大学生になったら、やってほしいこと。」
1たくさん本を読むこと。
(先人たちの教えを乞うことができる)
2若いうちに旅をすること。
(特に東南アジアには行ったほうがいい)
3地域の祭りに貢献すること。
(危機のときでも、地元の関わりは重要なんだ)
先生、僕は及第点を取れましたでしょうか。まだまだでしたでしょうか。
時たま、昔読んだ本のエピソードを思い出します。
中学二年生のコペル君は、好奇心旺盛な少年です。ある日、粉ミルクが届くまでに、多くの人が生産に関わっていることに気が付きます。コペル君はその発見について、嬉しそうに手紙に綴りました。
だから、僕の考えでは、みんな、見たことも会ったこともない大勢の人と、知らないうちに網のようにつながっているのだと思います。それで、僕はこれを「人間分子の関係、網目の法則」ということにしました。(『君たちはどう生きるか』)
手紙を読んだおじさんは、いたく共感しました。そして、返信のなかでメッセージを送りました。
今の世の中では、人間は、人間同士、地球を包み込んでしまうような網目をつくりあげたとはいえ、そのつながりは、まだまだ本当に人間らしい関係になっているとはいえない。だから、これほど人類が進歩しながら、人間同士の争いが、いまだに絶えないんだ。
(中略)
だが、コペル君、人間は、いうまでもなく、人間らしくなくっちゃあいけない。人間が人間らしくない関係の中にいるなんて、残念なことなんだ。たとえ「赤の他人」の間にだって、ちゃんと人間らしい関係を打ち立ててゆくのが本当だ。
(中略)
では、本当に人間らしい関係とは、どういう関係だろう。(『君たちはどう生きるか』)
まだまだ、僕らは旅のさなかにいます。
これからの時代にこの世界で僕は、問いの答えを、本当に人間らしい関係というものを、探求していきたいと思います。
未知の世界を探求する人々は、地図を持たない旅行者である。 (湯川秀樹『旅人』)
最後まで読んでくださった人に、
僕の人生を応援してくださった人に、感謝申しあげます。
2020年5日1日
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