生後5ヶ月で混合から完ミ移行。それまでを記録として綴る。
おっぱいの分泌も徐々に減り、そろそろ断乳しようかなと思った矢先に突然の授乳拒否。
授乳クッションに連れてきた時点で不穏な表情をみせ、Tシャツを捲り上げて乳首を近づけると、時が止まったかのようにギャン泣きされた。
断乳しようかな…でも寂しいからもう少し続けよう…を繰り返してきたけど、ついに決心がついた。
ここまで本当に色々なことがあったので、記録のためにnoteを書くことにした。
◾️産後吸ってくれないまま病気が発覚
もともと陥没、扁平気味だった私の乳首。出産前から多分直母は難しいだろうと考えていた。
だけど母乳育児に憧れてたし、なによりお金が浮くので完母を希望。
ミルクに抵抗はないものの、できるだけ頑張ってみようと考えていた。
産後0-1日はおっぱいを吸わせることを頑張ってはみたもののなかなかうまく咥えてくれず、ミルクを足していた。
何より本当に眠りこけるタイプで、起こしても起こしてもまっっったく起きない。助産師さんに起こしてもらっても起きない。
起きなさすぎてしんどくて、初夜は本当に辛かったのを覚えてる。
それでもほんの少しでもチュッ…と吸われただけでものすごい幸せを感じた。
産後2日目は、息子に黄疸が出てしまい、新生児室に預けることになった。
普通は2日くらいで治療が終わるので何もなければ一緒に退院できますよと看護師さんから説明を受けとても安心した。
それでも離れ離れになるのが寂しく、産後メンタルで部屋でシクシク泣いていた。
新生児室は、自分の病室を出てすぐ向かいにあるのでガラス越しに青い光を当てられていた息子を涙ながらに見ていた。
3時間おきの授乳の時間。
黄疸のライトをなるべく当てていなければならないので授乳の時間は限られていた。
だけどやっぱりうまく吸ってくれない。
助産師さんと四苦八苦汗だくになりながら挑戦するも敗北に終わった。
仕方ないので哺乳瓶でミルクをあげるも、それすら吸ってくれない。挙げ句の果てに泣き始める。
そうこうしていると息子が嘔吐した。黄色い嘔吐だ。
私は赤ちゃんのことは全く分からなかったのでよくあることかと思ったのだが、助産師さんがその吐瀉物を写真で撮り、先生に見せるという。
よくあることじゃないのかなと一抹の不安を感じた。
その後もおっぱいやミルクを飲ませようと頑張ったがだめ。
こんなに飲まないのはもしかしてウンチが出てないからかもしれないと綿棒浣腸をすると、ドロっとした赤黒い血便が出た。
え?これもよくあることなの?と思っているとまたしても助産師さんが写真を撮った。
するとすぐに新生児科の医師が来て、検査したいので本館へ連れていくと言った(出産した病院は大学病院でマタニティハウスは別館)。
準備が整うまで新生児室で抱っこさせてもらっていたが涙が止まらない。
すぐ近くで退院間近のママさんが沐浴の練習を嬉しそうにしていた。そのママさんもいろいろ大変で退院が長引いてるとのこと。明るくてなんだか救われた感じがしたのを覚えている。
そのすぐ後に息子が本館へ運ばれていった。
私は何もできずに祈るだけだった。
◾️辛い時間とはじめての搾乳
病室に戻ると新生児科の医師が部屋に来た。
「黄色い嘔吐と血便は普通ではないので腸に何らかの異常がある可能性が高いです。
どんな病気かはまだ分かりませんが新生児科で預かって様子を見ます」
一緒に退院できるか聞いたらおそらく厳しいと言われた。退院用に買った少し高いお洋服を息子に着せ退院するのが夢だったので本当に悲しかった。
しかし、絶望に打ちひしがれながらも、私はこの時、心臓や脳などでなく腸なら命に関わることはないだろうと思っていた。
その時点で家族に連絡し、一緒に退院できなさそうだと伝えた。
しばらくすると先ほどの医師がまた来た。いい知らせかと思ったら、とんでもない知らせだった。
「腸が捻れて壊死してる可能性がある。このままだと命が危険なので手術をすることになりそうです」
私は絶句し溢れ出す涙を止められなかった。
そしてここから、手術の準備ができるまでの時間が本当に辛かった。今思い出しても涙が出る。
ご飯の時間になって病院食が運ばれるものの喉を通らない。
そんなときに助産師さんが私の肩を抱きながら「今できることは、おっぱいを絞ることです」と言った。
当時は「こんな時におっぱいのことなんて考えられない。ほっといてくれ!」と思っていた。
その時の私は勉強不足で、母乳の分泌は産後1週間でいかに多く吸わせる(乳頭に刺激を与える)かにかかっているということを知らなかったのだ。
5mlの小さいシリンジを持ってきて、「絞った母乳をここに入れて保存しましょう」と言う。
「母乳の出がいいですね!」と褒めてもらえた。
その時は少し嬉しかった。
母乳をNICUに届けると言うこともそのときはあまりよく知らなかった私。
助産師は私を励ますようにおっぱいを絞ってくれた。
「これだけ出ればたくさん飲んでくれますね」
と言ってくれた。
その時は、こんなときに母乳なんて…と思ってたけど、5ヶ月になるまで母乳が出てくれたのはこの時助産師さんが泣いている私を励ましながら絞ってくれたおかげだと今になって思う。
ありがとうございました。
「緊急救命手術が決まったので旦那さんに連絡してください」
そのすぐ後にそう言われ、主人に連絡。
そのあと手術となるのだった。