一生点滴になるかもしれない。息子の人生の分岐点。
断乳して1ヶ月と10日ほど経った。
当然だが乳が張ることはもうない。
ただ、息子の世話をしている時にいまだに母乳が滲むことがある。それには驚いた。
お風呂の時にたまに絞ってみると、まだ出てくるのにも驚きだ。
完ミ生活は、私にとってはとても楽だった。
量も管理しやすいし、人に預けることもできる。
何よりおっぱいが張らないことが一番楽だ。(お金かかるけど)
ようやく本当に、妊娠から出産、そして授乳という体の変化に終止符が打てたかなと感じている。(産後太りは解消せず)
今回は、搾乳・母乳の話より、息子の病気の話がメインとなるので悪しからず。
◾️動かない息子。飲めない母乳
救命手術が終わり、とにかく体を鎮静させて経過を観察するというフェーズになった。
大量の鎮静剤が打たれ、ずっと眠りこけている息子。
両手両足に点滴と、両鼻の穴、そして口から人工呼吸器や吸引のための管、そして尿管も通されていた。
胸には電極が3つ。
更に黄疸のライトを常に当てているためアイマスクも装着していた。
服は着れないのでオムツ一貫。
小さなお腹には真一文字に大きな手術跡があった。まだ血が滲んでいてかなり痛々しい傷だった。
一日3時間の面会時間は、もちろん抱っこはできないものの、少しはふれあいの時間が持てた。
濡れコットンで体を拭き、保湿をしたり、オムツを変えてあげた。
常に3人ほどの看護師さんがつきっきりで点滴を交換してくれたり、いろいろな記録をしていた。
本当に暖かい方ばかりで、息子を普通の赤ちゃんと同じように扱ってくれ、励ましてくれた。
鎮静中は、栄養を摂るというよりは、生命維持のためにミネラルなどを入れるだけで母乳のようにカロリーのあるものは入れられなかった。
なので体重は出生時よりも減っていた。
3時間おきにしっかり搾乳はしているものの、果たしていつから飲めるようになるのか、そもそも飲めるようになるのか、不安でいっぱいだった。
◾️術後の容体が悪化傾向に。
腸回転異常症という病気は、一度開腹手術をした後様子を見て、数日後にもう一度開腹するケースが多いらしい。
なぜなら腸の様子は開けてみてみないと詳しくはわからないからだ。
術後2-3日程度を山にその後の対応が変わるらしいのだが、息子の場合、容体が思わしくないと、執刀医から話があった。
それが術後2日の話だ。
これ以上悪くなったらまた開腹手術をする必要がある。
状況によっては最悪腸を切除する可能性がある。
もし短腸症になった場合、一生点滴でしか栄養が摂れなくなることもある。
と話があった。
そうなる可能性はどのくらいなのですか?命に危険はないですか?回復して普通の子と同じように過ごせる可能性はどのくらいですか?
聞きたかったけれど、結局のところ先生にも分からない。お医者さんは神じゃない。
治療もできないので、あとはどっちに転ぶか、待つしかないです。
早ければ半日以内に再手術をするのでその時は連絡します。
と言われ、その日は自分の病室に戻った。
本当に悲しくて辛かった。
常に、最悪の状況を考えては落ち込み、それでも生きてさえいてくれれば、一生点滴でも…と考えていた。
とにかく少しでも前向きになれるように搾乳を頑張った。
良質な母乳が出るように病院食は残さずもりもり食べた。
いつ電話が鳴るか、いつ看護師さんが病室に来て、呼ばれるかハラハラしながらも一晩過ごした。
◾️ウンチの色
面会は午後14時から。その時間まで連絡はなかった。
ということは、少しは回復したってことかな?
という淡い期待を持ちつつ、それでもきっと悪い話をされるんだろうと覚悟を決めて面会に行った。
結果、昨日よりは回復傾向にあったため、開腹手術はしないことにしたとのこと。
ここ数日間で一番気持ちが救われた瞬間だった。
まだまだ油断はできないけれど、一旦様子見になった。
本当に嬉しかった。
こんな小さな体で、短期間で2回も大きな手術をするなんて、それだけでも体への負担は大変なものだろうと思っていただけに、とても安心した。
先生の話によると、ウンチの色が鍵とのことだった。
というのも、当時の息子のウンチは、ずっと血混じりの血便だった。
それが、緑っぽくなってきたらとりあえず安心だと言われた。
外科の先生は、私たちをなかなか安心させてくれない。怖い話ばかりで、顔を見るたびに怯えていた。
でもその怖い話しかしない先生が、「緑のうんちが出たら安心だ」と言った。
先生から「安心」という言葉が出た。
それだけでなんだか嬉しかった。
その日以来、私と夫は緑のウンチを心待ちにしていた。
毎日NICUに行くたびにウンチの様子を聞いた。
そして、その話があってから4日後に、看護師さんから
「ほんの少し緑がかったウンチが出ました」
という話があった。
それまでは、本当にどっちに転ぶか分からずに苦しかったけれど、その瞬間から、きっともう大丈夫。このまま治る!とかなり前向きな気持ちになったのを覚えている。
鎮静剤で眠りながらも、本当に小さな体で、誰よりも頑張っている息子。
早く母乳を飲ませてあげたい!早く抱っこしてあげたい!早く沐浴で体をきれいにしてあげたい!早くお洋服を着せてあげたい!
溢れる気持ちを抑えて毎日足の裏を撫でながら話しかける日々が続いた。