「鉄壁」という曲について
少し前、とある芸能人が自ら命を絶ってしまった。
ニュースを見た時は信じられなかった。みんなそうだったと思う。私は彼のことがとても好きだった。何かイベントに行ったりとか、グッズを買ったりとか、情報を追っていたわけではなかったけれど、ふとした時にメディアで話をしている姿を見たりするたびに「しっかりした考え方をするな」と感じていたし、見た目は奇抜に見えたかもしれないけれど、考え方はシンプルでとても尊敬していた。発言にはいつも優しいきもちがこもっていたように思うし、私は「他人にどう求められているか」をよく考えている人だなと感じていた。気配りができるというか。彼は間違いなく私たちの世代の代表者のようにメディアに出ていたし、ファッションやSNSとの関わり方など、影響を受けた人も多いと思う。「自分らしく」いることの大切さや、気軽に自分の考え方をSNSで発信することの魅力的な側面と怖しい面を、彼らから教わった人はすごくたくさんいると思う。
だからこそ、最近Twitterを見ていても彼らのことを悪くいう人が増えたことがすごく嫌だった。なぜ、こんなに酷いことが言えるの?近頃よく思うことだけど、世の中の人ってこんなに無責任に人を傷つけることができる人ばかりなのだろうか。SNSによってそういう人が増えていったのだろうか。それともSNSによって可視化されるようになっただけなのだろうか。わからない。わかるのは、もう二度と彼の姿をテレビなどでふと目にすることはできないということ。とても悲しいことだと思う。
私は、砂のように生きていた時があった。社会人一年目で、いろいろなことがあって砂のようになって生きていた。今考えると、本当に危ない状態だったと思う。
毎日、出勤する前にメイクをすると仕事が怖くて涙が止まらなくなってしまうことがあった。せっかくメイクをしても台無しにしてしまうから、毎日5時前に起きて出勤する用意をしていた。会社がある最寄駅についても、足がすくんで電車を降りられないこともあった。遅刻をしてしまわないように、タクシーで行っていたこともあった。毎日出勤する夢を見た。家を出て、電車に乗って、会社について、デスクに座るところでいつも目が覚めた。全身が「休んで」と訴えていたんだと思う。あの時流した無意識の涙や、毎日見ていた夢は、私の知らない私が「逃げて」と教えてくれていたんだと思う。その声は聞こえていたけど、意味には気付かないふりをしていた。
あの一年のことは、もう覚えていないことも多い。でも今でも覚えていて、やっぱり忘れることができないことの一つに、女王蜂の『鉄壁』との出会いがある。
いつどのようにして出会ったのか、もう覚えていないけれど、あの曲にすごく救われた。youtubeにあがっている歌詞の動画を、何度も何度も聴いて何度も何度も涙を流した。全ての歌詞が無駄なくあの時の私に刺さった。必要のない言葉が一つも無かった。風呂場で湯船に浸かりながら口ずさんでいたら、涙が止まらなくなって、そのまま泣きながら眠りについたこともあった。仕事帰りにも何度も歩きながら聴き、何度励まされたことだろう。何度強い気持ちになれたことだろう。あの曲があったからこそ、今の私がいますとはっきり言える。今の私はもう、出勤する時の夢を見たりしない。
全ての言葉に意味があり、無駄な言葉など何一つない曲だが、私が一番励まされたフレーズは
誰もがいつか 土に還るわ
生き抜いたものを讃える 美しい場所だと聞くわ
生きてゆくこと 死が待つことは
何より素晴らしいこと
誰にも奪わせないで
というところだ。
最近、youtubeの「THE FIRST TAKE」にこの曲が上がった。息を呑むことや、涙を流すのを忘れてしまうほどの熱量のあるパフォーマンスで、見終わった時には放心状態になってしまう。歌詞もとっくに全て頭に入っているけれど、何度耳にしても励まされ、「祈る」気持ちがお腹の底から起こってくる。
それは「もう二度と、あの砂のように生きた自分が帰ってきませんように」という祈りでもあるし、「誰一人、あんな風に生きることがありませんように」という祈りでもある。一人でも多くの人に『鉄壁』という曲を知ってほしい。『鉄壁』でなくっても構わない。生きるためのほんの少しの強さが、起こってくるものに出会えますように。砂のように生きている人が、減りますように。少しでも優しい世界になりますように。私には祈ることしかできない。でも祈らずにはいられない。
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