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ランボルギーニLM002とモータースポーツ

 スーパーカーメーカーがオフロード車を作ることは、今でこそアストンマーティンやフェラーリに見られるように当たり前のことだが、かつては意欲的な挑戦だった。
 プレミアムSUVの先駆け的存在であるランボルギーニLM002は、実はランボルギーニ社が初めてモータースポーツに挑戦したマシンである。

出展:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%BBLM002

 トラクターの製造にルーツを持つランボルギーニは、モビリティ・テクノロジー・インターナショナル (MTI)社からの依頼を受け、1977年に米軍向け高機動車のプロトタイプ、ランボルギーニチーターを発表した。しかしリアにエンジンを搭載したことにより、ハンドリング性能に問題が発生。そのほかにも欠陥を抱えていたため軍での採用は見送られた。市販仕様として試作されたLM001でもハンドリングの問題は改善されず、結局フロントにエンジンを移したLM002が1986年から市販されることとなる。

 LM002に搭載されたカウンタック用の5.2L V12エンジンは砂漠や酷暑地域に対応できるよう改良され、450馬力を発揮した。
この強力なエンジンによって2.7tの車体を時速206キロまで引っ張ることができたという。さらにピレリ製専用タイヤを履くことで、悪路での走破性も優れていた。

 そんなLM002に目をつけたのが元F1ドライバーであるアンリ・ペスカロロである。彼はこの車のパワフルな走りなら、ラリーの場で活躍できると考えていた。そこで彼は当時ランボルギーニ社を買収した実業家 パトリック・ミムランにLM002でラリーに参戦することを提案した。ペスカロロとミムランが手を組むことはなかったが、創業者フェルッチオ・ランボルギーニからミムランに経営が移ったランボルギーニ社は、それまで創業者の意向により参戦してこなかったモータースポーツへの参戦を計画し始めた。そしてランボルギーニ社初のレーシングマシンとして、一台のLM002がラリー仕様に改造された。


出展:http://www.jloc-net.com/lamb/proto/lm002.html

 シャーシナンバーHLA12047のLM002は、豪華な内装をすべて取り払い、最新のナビゲーションシステム、プレキシガラスのウインドウ、レーシングシート、無骨なロールバーが組み込まれた。
エンジンは600馬力以上にチューニングされ、燃料タンクも600Lまで拡張された。
 そして1987年10月。エジプトで開催されるラリー・デ・ファラオにてLM002がデビューすることが決まる。しかし、直前にスポンサーの一人がボートの事故で亡くなったため、このラリーをLM002が走ることはなかった。
 その後、今度はギリシャのラリーに参戦する。かつてランチアストラトスとともに伝説を作り上げたサンドロ・ムナーリとマリオ・マヌッチのコンビで挑むが、故障により完走は叶わなかった。
そして翌年のダカール・ラリーが始まる頃には経営がミムランからクライスラー社に移り、結局ダカールラリーにファクトリーチームで参戦することはなかった。

出展:https://www.4legend.com/2019/miniature-118-lamborghini-lm002-paris-dakar-1988-top-marques/

 しかし、LM002のダカールへの挑戦はファクトリーだけではない。
 1988年にはスイスのプライベーターチームがLM002でダカールに挑戦する。真っ赤なカラーをまとったカーナンバー519のLM002が出走した。結果については詳しい記録が残っておらず、マラソンカテゴリーを10位でフィニッシュしたとも、リタイアしたとも言われている。

 さらにLM002の発売から10年後の1996年。白いカラーのLM002がダカール・ラリーに挑戦する。カーナンバー246のベースとなった車体はかつてミムランの妻が所有していた車体だった。1990年代半ばにイタリア人ドライバーのアンドレア・アバンギがこの車体を購入し、1年以上の歳月をかけてラリー仕様に改造した。燃料タンクは800Lまで拡張され、エンジンも600馬力以上にチューニングされた。
万全の体制で挑んだ1996年のダカール・ラリーだったが、この車がラリーを完走することはできなかった。ノーマル仕様で2.7tある車重が、悪路の高速走行やジャンプ時に足回りに強い負荷をかけた。結局24回ショックアブソーバーを交換した後、スペアパーツ不足によりリタイアすることになった。

 それ以降LM002がダカール・ラリーをはじめとする競技に参加したという記録は見つからないが、シャーシナンバーHLA12047と見られる個体が日本にあり、実際に2017年のランボルギーニ・デイ・コンクールデレガンスTOKYOにラリー仕様のLM002が出展された。246号車は海外で大切に保管されている。

出展:https://octane.jp/articles/detail/915/3/1/1

 ランボルギーニ社のモータースポーツの歴史は、実はオフロードラリーから始まったのである。


参考サイト

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