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第3回不思議RTAフェス裏話と今後の不思議RTAフェスについて

不思議RTAフェスについては過去イベントの振り返り記事の公開が伸び伸びになってしまっていますが、今回の話は早めにお知らせしておきたい内容なのでこちらを優先することにしました。

今だから話せることですが、実は第3回不思議RTAフェスは1月上旬の時点である理由でリスケすることも検討していました。

そのあたりの話や、現在と今後の不思議RTAフェスという組織、その在り方の展望について書いていきたいと思います。

昨年末~新年明けまで

ちょうど昨年末のRTAinJapan(以後RiJと略します)が開幕したあたりで、母から父に関する連絡がありました。

4年ほど前から父はがん闘病を続けていたんですが、昨年夏頃に抗がん剤治療の継続が難しくなり、以降は薬の投与を行わず自然の流れに任せる判断となっていました。

そして年末の経過診察時にいよいよ余命宣告を受けた、というのがそのとき母から聞いた話です。

いつかそうなるのは避けられないこととはいえやはりショックでしたが、年末までやるべきこと(RiJの解説など)を抱えていたので、年が明けてから実家の方に帰ることにしました。

実家に帰って父から直接話を聞く感じでは本人はもうとっくに覚悟を決めていて、いわゆる終活の準備もその時点でほとんど済ませていたくらいでした。

そんな状態の人にかけるべき言葉もなかなか思い浮かばず、今後はこうして欲しいという話にただ了承して再び自宅に戻りました。

ここでもう1つ問題になったのは、父が宣告された余命の時期と第3回不思議RTAフェスの開催時期がバッティングしそうということでした。

まず1人で考えてみて、リスケはやむを得ないのではないかと(そのときは)判断したため、すぐに運営陣とサブ運営的な立場で協力してもらっていた2名の方も含めて会議で相談させてもらうことにしました。

運営会議にて

その会議で他のメンバーに初めて上記の事情を話して、自分の中ではリスケは避けられないと考えていること、リスケした場合のイベントの開催時期について話を進めていきました。

ただ事情が事情だけにリスケしたとしても次にいつ開催日を決められるかすぐには目処が立つものではないですし、複数人で話し合っても悩むことには変わりありませんでした。

そんな曖昧なことはしたくなかったですが、開催日未定でリスケとするしかないんだろうかと考えていたところ、会議メンバーの1人から「主催抜きでも回せる体制を整えて予定通り実施するのはどうか」という案が出ました。

自分も頭の中ではそれが出来たら一番良いと考えてはいたものの、3日間のオールナイトイベントを任せっきりにしてしまうのは無責任すぎると思って言えなかった提案です。

他の人からそういう案が出されるとは想像していなくて驚いてしまったんですが、ようやくそこで「そう出来るならそうさせてもらいたい」と本音で話すことができました。

そこからはトントン拍子で主催不在になったときの体制案と対策、これから進めていく準備についての話が進んで、予定通り開催することが決まりました。

運営メンバーや協力者として依頼した人たちはみんな自分が信頼して頼んだ人しかいないので、決して自分抜きでは任せられないと思っていたわけではありません。

その場でも言われたことですがどうしても「自分でやらなければ」と抱え込んでしまいがちな性格なので、その意識が強くなって思い込みすぎてしまっていたんだと思います。

それともしリスケすることになったら、どういう事情で決断に至ったかは応募された方たちにも伝えるつもりでしたが、それは結果的には(本人の預かり知らないところで)父が原因で多くの人に影響を与えてしまうことにもなります。

きちんと説明しなければいけないことだから仕方ないと思いつつ、気持ちが沈んでいたところもあったので、そういう意味でも予定通り開催できることになって救われた気分になりました。

現運営メンバーについて

先にも書いたように現在の運営メンバーは自分が以前から見知った人たちで、やむをえない事情により脱退されたアジーンさんも含めて心から信頼している人たちで構成されています。

その中でもファジーさんという方は、第1回の不思議RTAフェスでボランティアスタッフとして手伝ってもらって、その後ご本人から「RTAイベント運営に興味があるので是非運営メンバーとして参加させてもらいたい」と直訴されて加入してもらった経緯があります。

ファジーさんは初回のボランティアとして参加されたときも本当に精力的に動いてくれていたのが印象的だったんですが、運営として加入された後もさらにイベントを支える柱として成長されていきました。

彼がRiJのボランティアとしても活躍されている姿を見たことがある方もいらっしゃるかと思います。

それほどに頼りになる存在なので、第3回不思議RTAフェスで自分が不在になったときは、ファジーさんに代理リーダーとして動いてもらえるように進めていたくらいです。

第1回当時は大学生だったファジーさんのようなモチベも能力も高い人に入ってもらえたのはとてつもなく幸運なことだと思いますし、自分の考えや進め方についてきてくれて大事なところで助けてもらえて、本当に感謝しかありません。

イベント本番~その後

イベントに関わっていた方はご承知の通り、幸いなことにイベント期間中も自分は抜ける事態になることなく運営作業を行うことができました。

結果的には当初の構想通りの体制で臨めましたが、もし自分が不在になっても他のメンバーだけで滞りなく完遂させられる準備はできていました。

後から振り返ると、そもそもこれだけの規模のイベントを開催するのに主催一名が欠けただけで開催中止を検討してしまうような体制自体がまずかったんだと今では思います。

そして、イベントが終了してしばらく後に父が他界しました。

自分の親が亡くなることも今回初めての経験だったのですが、亡くなった後の手続きを迷うことなく進められたのは、残る家族のために父自身が準備を整えてくれたおかげだと思います。

父は気分屋なタイプで、自分や他の家族に不機嫌・威圧的に接したりすることもよくあったので、子供ながらに「大人のくせになんでもっと自分の感情をコントロールしようとしないんだろう」と当時は思ってたりもしました。(こう書くとすごく生意気な子供っぽい)

自分が大人になってからは「そういう人もいるよな」と理解できることではありましたし、病気で年々弱々しく変わっていく姿を見て感じることもいろいろありました。

闘病を続けて日常生活も徐々に大変になっていって看病する母も含めてしんどい時期が続いていたので、最期になるであろう日をあらかじめ覚悟した上で静かに看取れたのはまだ不幸中の幸いだったと思います。

今後の不思議RTAフェスについて

先日Twitterでお知らせした通り、不思議RTAフェスは新しく「Super Staff」という役職を作りさらに多くの方に協力を頂く体制となりました。

第3回不思議RTAフェス終了後にイベント関係者約40名ほどで行った慰労会でも感じたことですが、自分の想像以上にこのイベントをもっと応援したいと思ってくれている人が多かったというのが「Super Staff」導入のきっかけだったりします。

最初にこの不思議RTAフェスを主催しようと決めてから、思い描く理想のイベントを作るためにどうしていくべきか、自分はどういう人間であるべきかを考えてきました。

多くの人を巻き込んで盛り上げていかなければいけないイベントを成長させるためには、イベントそのものだけでなくそれに係わる人とそのコミュニティを好き・応援したいと思ってもらって、自分もその輪に加わりたいと思う人を増やせるかどうかに懸かってくると思います。

自分なりに考えて実践してきたこと、そしてこれまで支えてきてくれた人たちの協力のおかげで、当初の理想に近いものにまで至りましたが、今ではさらにその先が見えるようになりました。

このイベントをもっと魅力あるものにするために、出来ることはまだたくさんあると思っています。

今後はSuper Staffの方も含めてより進化した不思議RTAフェスをお見せ出来るように動いていきたいと思いますので、何卒応援をよろしくお願いします!!

不思議のダンジョンRTAフェス(@mysrtafes)さん / Twitter


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