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双子の妊娠から出産まで

あっくんは幼稚園。みーちゃん、きーちゃんは保育園に通っているのだが、毎日朝はバタバタ。
何がアレてあっくんは、ご飯食べるのにあんまやる気なくてダラダラ。
それを狙うハンターのきーちゃん。
みーちゃんはバナナとか狙ってる。
「あっくんテレビ観とらんとご飯食べて!きーちゃん自分のやつ食べたやろ!みーちゃんバナナ二つ目はやめて!」
何度も何度も同じこと言うてるな、と思いながら朝の準備をさせる毎日。
バタバタと車に三人乗せて、保育園と幼稚園に送り届ける。
保育園では毎月身体測定をしてもらえるのだけど、それを見ると産まれた時を思い出した。

元々年子で子どもが欲しいな、と簡単に思っていた私。
あっくんを産んで、年子なんて無理やわ。と理解した。
体力オバケを日中追いかけまわし、夜も遊びに付き合ってると下の子なんて考えることなんて出来なかった。
下の子ほしいなー、と考えているうちに三年すぎた。
あっくんも年少さんになるし、今出来ないと多分無理だ。
そもそも今の段階で四年離れる。
あっくんが小学五年の時にやっと双子が入学する計算だ。
二十歳の時に十六…、え、うそ、そんなに離れる?
これ以上離れたら自分のモチベーションがもたない。

幸いすぐに出来、あっくんの時にお世話になった病院に行く。
ただいま綺麗な病院。今日も人がたくさんだね。待ち時間てなんでこんな長いん?と思いながら、受診票に妊娠したに〇をふる。
担当してくれたニコニコ女医先生が「うん、妊娠してますね!確実なことを言うためにまた再来週くらいで来てくれますか?」と言い、会計を払った。
妊娠のクーポンもらうまではお金かかるので注意が必要(忘れててギリギリだった)
また病院に行って、長い時間待ってると順番が回って来た。
ニコニコ先生=N先生がまた担当してくれたんだけど、何かゴニョゴニョ言ってる。
D?M?とか聞こえてきて、ダイレクトメール?とか思ってたらN先生が二代目先生を呼びに行った。(院長、副院長、二代目先生、K先生、N先生の五人がいる)
「ちょっと待っててくださいね~」て看護師さんに言われるけど、このポーズで待ってなきゃダメですか?とは言えない。
二代目先生(メガネ先生)が来て、一緒にみてる。
んでメガネ先生とN先生に声かけられてエコーを一緒に見た。
N先生が嬉しそうにキャッキャッしながら「ほら見てください!これ双子ちゃんですよ!一番安定してるDD双子です!」
いや、DDてなんやねん。え、てか双子!?

二絨毛膜二羊膜双胎
絨毛膜が2つ、羊膜を2つ持つ双胎。DD双胎とも呼ばれる
一絨毛膜二羊膜双胎
絨毛膜が1つ、羊膜を2つ持つ双胎。MD双胎とも呼ばれる
一絨毛膜一羊膜双胎
絨毛膜が1つ、羊膜を1つ持つ双胎。MM双胎とも呼ばれる
絨毛膜や羊膜の数が少なくなる程、ハイリスクな双胎妊娠となるケースが多く注意が必要。

出典:エナレディースクリニック

何やらポカーンとしてる間に健診は終わり、ハイリスクになるので今度から担当は基本院長になると言われた。
いや、ここにいる人たちプロばかりだから誰でもいいんですけど…。院長だと日にち指定されるし…。とか言えない小心者の私は、「はい!お願いします!」といい返事をして帰って来た。
いいことはハイリスクで担当医が指定されていると事前に予約が取れるので、待ち時間がまだマシだったことだった。
それでも長いけど。

とりあえず妊婦生活が始まったんだけども、あっくんの時より悪阻がひどい。
ほんと毎日朝昼晩とマーライオンになるし、何を食べても吐いてしまう。
点滴打ってもらうのもえらいし、嫌すぎて家でゴロゴロ身体の向きをマシなところに向けて寝ころぶ日々。
いやもうほんと悪阻の薬なんででやんの?需要あるよ?
四か月くらいの時に、院長から手術を提案される。
なんか子宮口を縛って赤ちゃんの早期出産をさせないためらしい。
体調悪いし、手術とかしてもな。と思ってやりたくないオーラ出してたら「個人病院だし、早い出産になるとどうしようも出来ないんだよね。もし早く陣痛がきた時に、少しでも時間を稼ぐためには必要になるんだ」とか何とか言われたら拒否は出来なかった。
三月下旬に手術をすることになり、二泊三日の入院。
気がかりなのはあっくんだったが、うちは同居なので私のお父さんとお母さんもいる。
昼は幼稚園、夜は私のお父さんと寝るあっくん。
あっくんは、私のお父さんが大好きなので別に私がいなくても平気だった。
というか、帰った時に「ママもっとお泊りしてきてもいいよ」とか言われた。
寂しがりがゼロというのも寂しい。
そんなこんなでマーライオンになりながらも毎日を過ごしていき、お腹が大きくなるにつれてお腹の張りが増えていく。
それを相談したら薬をだされて、張りがめちゃ増えたら夜中でも来てね。と優しい言葉。
8月5日に結構張りがひどいので朝一で病院に行くと、眼鏡先生がすぐ診てくれて「ウーン」と言われる。
入院しよっか?と言われたのだが、まだいけるんじゃね、と思っていた私は一旦帰りますと言ってもう少し強い張り止めの薬をだしてもらった。
そしたらその薬が合わずにめちゃくちゃ体調が悪くなり、次の日もう一度病院に。
副院長先生に診てもらったら「はい入院ね」と言われた。
諦めて言う通り入院しだし、24時間張り止めの点滴になる。
点滴は邪魔だし、マーライオンは収まらないし、ご飯美味しいのに吐いちゃうし…とこれが予定日の9月下旬くらいまで続くのかと思ってたら血圧が上がった。
血圧が上がるとどうなるか知ってるか?テレビを見ないでねと言われ、カーテンを閉められ薄暗いなか生活するんだぜ。さらにご飯の内容も変わるんだ。
もう泣いたね。これが一か月以上は無理だって。
そしたら10日の夜から激しく吐き出した。
11日の夜もゲーゲーしてたら当直の先生に診てもらって、血もとったけど様子見と言われる。
12日の朝もゲッソリしながらこんな生活もうイヤ!と思いながら、看護師さんに朝の血圧を測ってもらう。
朝はいつも通りの血圧だった。
10時の看護師さんの巡回の時に事はおこった。
なぜなのか、身体がおかしくなって震えが止まらなくなる。会いたくて震える。
血圧測りに来てた看護師さん必死になってナースコールしてくれて、他の人たちも来てくれた。
メガネ先生も来てくれて看護師さんから説明を聞いて、診察室へ!と言ってる。
ストレッチャーに乗せられて診察室へ行き、血をとられたりしてると震えが収まり冷静になった。
看護師さんに「もう大丈夫ですー」と言って部屋に帰りたいと言ったら、「何言ってるの!血圧も高いしダメだよ!」て怒られる。
メガネ先生も来て「ここじゃ万が一の時にどうしようも出来ない。大きな病院に受け入れをお願いしたら大丈夫だと言われたので、今から救急車で行ってね。緊急連絡先のお母さんにも連絡したから。すぐ来てくれて、大きな病院にも車で追いかけてくれるって」と真剣な顔で言われた。
きゅ、救急車!?となった私は「お母さん来てくれるなら車で行きます」と話すが、怖い顔で怒られた。
「君自分の現状分かってる?何が起こるか分からないから救急車で行くんだよ。お腹の赤ちゃんは元気だけど、今一番心配なのは君の身体だから」
THE正論。
救急車を待ってたらお母さんも来てくれて、院長も来た。
「頑張ってくるんだよ」と院長に言われたが、え。そんな状態やばいの?とかしか思わなかった。
救急車にはメガネ先生が乗ってくれて、救急隊員の人に説明をする。
せっかくなので救急車の中をしっかり見たかったが、吐き気がおさまらないのでじっと目をつぶり耐えていたので何も覚えてない。

大学病院につくとストレッチャーで運ばれ、診察室にいった。
そこで血をとられるのと血圧測定。
病室は、ハイリスクな人たちが横一列に並べられている部屋だった。
もちろんカーテンで仕切られているが、みんな点滴してるので絶対どこかから点滴の液切れのアラーム音が響いてた。
入院したのが夕方で夜ご飯を出されるが、食べても吐いた。
赤ちゃんが元気かをしる機械をつけているので、動きもしにくい。
ご飯の後血をとられる。
20時、また血をとられる。
22時、また血をとられる。
夜中の何時かに起こされ2回血をとられた。
朝の6時半くらい、先生の声で起こされる。
先生は「血液検査を何回もしてるけど数値がずっと下がってる。赤ちゃんは元気いっぱいなんだけど、このままじゃ母体がもたない。産みましょう。ご飯も吐いてて食べてないし、帝王切開いけるんで」そう言って、帰って行った。
え、手術?とか思ってる間にも看護師さんたちが来て、手術の説明をしたり剃毛したりで時間は過ぎていく。
家族ラインで旦那、お父さん、お母さんに「手術になったわ」と言うとざわめくライン。
手術時間になって、エレベーターまで看護師さんと会話しながら歩いて行く。
「局部麻酔になるんで、赤ちゃん出てくるの見れますよー」
お腹切る感覚とか分かるのかな、と思って手術室の前くらいに行き麻酔の先生と会う。
局部麻酔とか痛いですか?と聞いたら
「あ、血が止まりくい薬飲んでるから全身麻酔やで」
え?全身?え?
とか思ってる間にストレッチャーに乗せられ、手術室へ。
なんか気付かぬうちに眠ってて、起きたらガラガラと運ばれていた。
お父さんに会って、産まれた双子の動画を見せてもらう。
先に産まれたみーちゃんのが小さくて約1800g。
後に産まれたきーちゃんは約2200gだった。
可愛いと思うよりも何せ切ったとこが痛い。
なぜこんなに早く目覚めさせた、我を目覚めさせたのは誰だ。
医療用麻薬がきいていると言われたが、にしては痛い。
おかしいくらい痛い。これほんとに効いてる?プラシーボ狙ってない?
痛み止めを飲むがほんと痛い。
しかも、あんまり長く医療用麻薬使っているとダメだと言われなくすことに。
その日は起き上がることもあまりないまま、時間が過ぎて行った。
次の日から立ち上がる訓練が始まり、痛いと泣きそうになりながら立ち上がる。
双子はNICUに入っていて、満足に歩けない私は車椅子に乗せてもらって見に行った。
二人ともたくさん機械の音が鳴る中でスヤスヤ寝ていて、あっくんの産まれた時よりもだいぶ小さい姿。
ママのお腹にもっといさせてあげれなくてごめんね、と涙が出てきてしまった。

それぞれ担当の先生がちがっていたけど、しっかり二人の様子を説明してくれた。
退院の条件としては、修正週数37週+体重が2400g以上になってるというものだ。
きーちゃんはすぐに体重の条件をクリア出来そうだったので、ほぼ心配していなかったのだが、みーちゃんはあまり体重が増えなかった。
小さなお鼻の中に管が入っていてミルクをそこから飲んでいて、少しずつ練習してますと教えてもらう。
私が退院を迎えても、二人はNICUにいて面会に行っていた。
きーちゃんの退院日が決まり、GCUでお外に出る練習をしている時もみーちゃんはNICUで保育器に入っていた。
担当の先生からも9月に退院するのは厳しいかも知れないと言われていて、体重はなんで増えないんだろうと悩んだ。
この子は本当に大きくなれるのだろうかとハラハラしてると、きーちゃんが退院してきてすぐにみーちゃんのミルクの飲みっぷりがよくなっていく。
看護師さんたちも「お母さん、みーちゃんたくさん飲んで一気に体重が増えてるんです!きーちゃんがお家に行っちゃったから、置いてかれてたまるか!ってなってるんですよ!」と嬉しそうに教えてもらった。
きーちゃんが退院して、本当にみーちゃんは頑張ってミルクを飲んで体重を増やしていく。
担当の先生も驚くぐらいのスピードで体重を増やしていき、つーちゃんが退院してから一週間と半分くらいで退院することが出来た。

今のみーちゃん、きーちゃんはとっても元気で最初に思ってた大きくなるのかな?という不安はない。
みーちゃんは小柄なのだが、自分のペースで大きくなってるし、
きーちゃんはほんとに立派に育ってる。
これからもどんどん大きく、元気に育ってほしい。
ただし、あっくんがやり返してこないからって叩くのはやめてあげなさい。


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