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自然な生活
思いやりや礼節や謙虚さを忘れず有能なガーシーさんは、復活してライバーとして稼いでる。
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一方、思いやりと礼節と謙虚さのない無能の國光夫妻は、何やっても頓挫して貯金残高を減らし続けている。
同じような境遇の2組なのに、どうしてこうも違ってしまったのか。何が違うのか。國光夫妻はどうすれば良かったのか。ガーシーの何が良くて、國光夫妻の何が悪かったのか。
答えはもう出ている。メカニズムもはっきりしている。なぜならこの問題は先人たちも苦慮し続け、幾万の書物に書き残してくれているから。僕は國光夫妻を通してそれを提示してきたつもりだ。
メカニズムを詳らかにしてしまえば、きっと簡単すぎてあっけにとられてしまうことだろう。が、人間社会ってのは簡単なことの方が難しいようで。
ただ謝ればいい。
ただ許せばいい。
ただ耳を傾ければいい。
ただ相手の立場に立てばいい。
ただ真面目に生きればいい。
ただ規則正しく生活すればいい。
ただ誰かの役に立てばいい。
ただできることをやればいい。
こんな簡単なことができないのだ。なぜならこれらのことは、ホモ・サピエンスの本能に組み込まれてないから。
だから本能的な人、、、というより自制のきかない人ほど人間社会からはじかれてしまう。
僕はどちらかというと、本能的で自制のきかない側の人間だと自覚している。だから社会に適合しながらも、出来るだけストレスのない環境作りに精を出し、出来るだけ本能に則った生活を送るように心掛けている。
狩猟採集生活してた頃の人類のように、起きる時間は決めず雨が降ったら休む。晴耕雨読というやつ。
人間社会で稼ぐのは大変だからと不動産に稼いでもらい、仕事しないのは不自然だからとリフォームや物件の管理をしている。苦手な書類仕事もする。気分が乗らないときは人に頼む。
家族親族の共同体は身を挺してでも守り、誰かに危害を加えられそうになったら威嚇もする。もし賊が侵入したら殺すつもりで戦う。
ホモ・サピエンスとしてデブもガリガリも不自然だから、ストレスない程度の粗食を心掛けて、たまには外食も甘い物も食べる。適度な運動と筋トレもする。
子を育てるのも親を看取るのも自然なことで、国に任せたり拒否したりするのは実はとても不自然なこと。現代人は楽をしすぎてる。その重荷は誰かの肩にのしかかってる。
一度、経験してみれば良い。ホモ・サピエンスとして自然な生活を心掛けていれば、不思議と物欲はなくなり酒も飲みたくなくなる。人は労働という苦役を忘れるために酒を飲んでるにすぎない。
さて、國光夫妻はどれだけ自然に生きているか。親も看取らず(たぶん)、子も育てず、共同体にも属してないデブとガリガリ。仕事もしてない。人を思いやることなく自分の主張ばかりして、自己中心的に自分のためだけに生きている。
自己中心的に生きることって一見、本能的に見えるけど、実はホモ・サピエンスとしては不自然だ。
だって思いやりながら共同体で生きるのが自然な姿だから。國光夫妻にはそれができない。人間失格。もちろん反省など望むべくもない。てことは生物学的には淘汰される運命にある。
まぁ、だからなんだって話なんだけど。
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ポンズケースケの考察日記
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